第三話 黒の顕現
深く暗い森の中。
響き渡るのは、ザルマデスの甲高い笑い声だけだった。
「ほーっほっほっほ! さぁ、楽しい楽しい殺戮の始まりよぉ〜!」
剣を構えたアリシアが、鋭い視線を向ける。
「……いくわよ、クリス!」
「はい!」
アリシアが踏み込む。
その剣筋は、これまで幾多の戦場をくぐり抜けた猛者たちさえ唸らせたもの。
鋭く、正確で、速い──まさに勇者の剣。
だが──
ギィン!
ザルマデスは、笑いながら素手で剣を受け止めた。
「おほほっ! そんなのでアタシを傷つけられると思ったのぉ?」
「っ……! 硬い……!」
アリシアはすぐに体勢を立て直し、低く踏み込むと、剣を連続して繰り出す。
──一撃、二撃、三撃。
すべて、ザルマデスの硬質な腕に阻まれ、火花が散るばかりだった。
(……斬れない!)
アリシアは一瞬、歯噛みしながら距離を取る。
その鋭い眼光が、冷静に敵の弱点を探っていた。
そして、素早く構えを変える。
「──なら、これならどう! モエ・テーロ!!」
左手に紅蓮の魔力が宿り、火球が放たれる。
轟音とともに火柱がザルマデスを包み込む!
魔物の身体が軋み、焦げた匂いが辺りに立ちこめる。
「うふんっ! イタイじゃないの!」
アリシアは手応えを感じ、即座にクリスへ叫ぶ。
「魔法の方が効きそうよ! クリス、魔法で攻めるわ!」
「承知しました!」
ふたりは一気に攻勢に転じた。
だが──
「……甘いわよぉ、坊やちゃん、嬢ちゃん!」
ザルマデスが、いやらしく笑いながら右手を掲げた。
禍々しい黒紫の魔力が、手のひらに集まっていく。
「アリシア様、いけない!」
クリスが叫んだ刹那、ザルマデスが呪文を放つ。
「ディア・ブラス!」
爆発するような衝撃が二人を吹き飛ばした。
地面に叩きつけられたアリシアとクリス。
それでもアリシアは、必死に体を起こし、クリスに詠唱を促した。
「くっ……ごめん、クリス、ミスった……!」
「いえ……アリシア様……いま……回復を……カロ・ナ──」
クリスの言葉は、最後まで続かなかった。
ザルマデスの追撃が彼を直撃し、彼はその場に崩れ落ちる。
「クリス!!」
アリシアの叫びも虚しく、ザルマデスはくすくすと笑った。
「んふふっ。これで鬱陶しい回復役は退場ねぇ。さぁ、次はアナタよ、勇者ちゃん!」
アリシアは、気力を振り絞って剣を構えようとした。
しかし、ザルマデスの放った魔法が右手に命中し、剣は地面に落ちる。
「うぅ……っ!」
右手が痺れ、剣を握る力すら湧かない。
「さてさて、そろそろフィナーレよぉ!」
ザルマデスは、再び右手を高々と掲げ、風の魔力を集め始めた。
「さよなら勇者ちゃーん!──ゲイル・デス!」
怒涛の風が渦を巻き、アリシアめがけて放たれる。
絶望が、アリシアの心を覆った。
(──もう、ここまでなの……?)
幼い頃から剣を握り続けた日々。
テレサの優しい手。
共に笑い、励まし合った孤児院の仲間たち。
そして、クリスの笑顔。
すべてが走馬灯のように脳裏を過ぎる。
涙が、ひとすじ。
頬を伝った。
「……ごめん、みんな……」
アリシアの意識が、闇に飲まれようとしたその時だった。
気を失っていたクリスの指先が、微かに動いた。
そして、その目が、うっすらと開かれる。
そこに広がっていた光景は──
接近する風圧に煽られ、無防備に捲れ上がったアリシアのスカート。
眩しいほどの純白が、彼の視界を満たす。
──ビリリッ!
瞬間、クリスの脳裏に稲妻が走った。
白銀だった髪が、夜の闇のように黒く逆立つ。
虚ろだったはずの蒼い瞳が、深紅に染まり、恐るべき力を宿す。
すくっと立ち上がるクリス。
手を一振りすると、襲い来る風魔法は霧散した。
「……な、なにっ!?」
ザルマデスがうろたえる。
クリスは、一歩、また一歩と、静かに前へ歩み出す。
その姿は、まるで死神のようだった。
無言で、そっと気絶するアリシアのスカートを整えると、
無慈悲な眼差しでザルマデスを見据える。
静かに、右手を掲げた。
「──ケシ・トーベ」
闇の奔流が、雷鳴のように炸裂した。
ザルマデスの体は、首だけを残して跡形もなく吹き飛び、
「おほほほ──?」
と間抜けな悲鳴をあげながら、森の彼方へ消えていった。
それは、名残惜しさのかけらもない、見事なまでの消滅だった。
こうして、四魔王ザルマデスとの戦いは、
あまりにも突然に、あっけなく幕を閉じたのであった──