第二十五話 揺らぎ
──覚醒は、静かに解けた。
黒く逆立っていた髪が、ふわりと白く降りる。
殺気に満ちた赤い瞳も蒼く戻り、優しさを取り戻した。
「……ムサシさん……?」
ようやく意識を取り戻したクリスは、目の前に迫る気配に気づき、困惑の声を漏らす。
だが次の瞬間──
「おりゃあああああ!!」
猛獣のごとく吠えたムサシが、村政宗を振りかざして斬りかかってきた。
「え……な、なんで!?」
「ちょっと何してんのよ!!」
間一髪、アリシアが魔法を放つ。
爆裂の炎がムサシの頭上で炸裂し、その勢いに彼はよろめいた。
「ぐあっ……!」
ムサシは数歩後退し、ふとクリスの髪を見て……我に返った。
「……あ?」
「ムサシさん、いったい何が……?」
アリシアは強い怒気をこめて叫ぶ。
「あ?じゃないわよ!! あんた、クリスに斬りかかったじゃない! 正気なの!?」
ムサシは歯を食いしばり、吠えるように返す。
「あぁ!? こいつが、さっき黒髪になって俺に攻撃しかけたんだよ!!」
「えっ……?」
アリシアはその場に固まり、驚きのままにクリスへと視線を移す。
「クリス……本当なの?」
クリスは、口を閉ざしたまま目を伏せ、しばらく沈黙してから──
「……わかりません。ですが……ムサシさんは嘘はつかないかと」
「………」
ムサシは深く息を吐き、静かに語り出す。
「……あん時はな、黒いお前が魔物の股間を吹っ飛ばした直後、すぐに戻った。でも今のは違った。人食い箱を粉砕したあと、完全に俺を狙ってた。……こりゃあ、話が変わってくるぞ」
アリシアの顔から血の気が引いていく。
「……そんなことって……」
沈黙。
その沈黙の中で──クリスの心は、静かに崩れていた。
ドスコムーアのときも、ザルマデスのときも。
覚醒の記憶はなかったが、結果として仲間を守れたことに、どこか正当性を感じていた。
だが今回は──違った。
あのコジーロ村。
人のあたたかさと誇りに満ち、ムサシが守ってきた大切な場所。
あの村の人々が懸けた想いと絆を、ムサシという男は背負って仲間になってくれた。
そのムサシに、自分は剣を向けた──。
聖職者として、仲間として、人として。
何かが、心の奥底で音を立てて揺らぎ始めていた。
クリスは、震える膝でその場に崩れ落ちた。
「……すみません……っ」
頭を深く下げ、唇を噛み締めた。
「……本当に、申し訳ありません……っ……ムサシさん……アリシア様……」
肩を震わせ、涙がぽたぽたと地面に落ちていく。
アリシアは、その姿に胸が詰まった。
しばしの沈黙のあと──
「……何でそんなことになったのか、今はわからない」
その言葉は冷静に聞こえたが、アリシアの声はほんのわずかに震えていた。
「……仲間を攻撃するのは、何があっても許されない」
───呼吸。
そして、ぐっと拳を握りしめたアリシアは、涙を溜めながら叫ぶ。
「……だけど、私はクリスを信じたい!! 信じていたいの!! だって……クリスより信じられる人なんて、この世にいないもの!!」
クリスの目から、さらに涙があふれた。
「もしかしたらこの先も、同じようなことがあるかもしれない……でも、それでも……私はクリスが僧侶じゃなきゃ嫌なの!! クリスと一緒に、世界を救いたいの!! この旅を、最後まで一緒に乗り越えていきたいのよ!!」
その言葉は、何よりも救いだった。
クリスは顔を両手で覆い、声を上げて泣き出した。
ムサシはそんな彼をじっと見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「……顔を上げろ。もうわかった」
その声は、いつもの荒々しさを忘れた優しさを帯びていた。
「それに俺だって……お前を斬ろうとした。それは変わらねぇ。……すまなかった」
「……ムサシ、さん……っ」
泣き崩れるクリスに、ムサシは無言で手を差し出す。
「さあ、立て」
その手を、クリスは震えながらも握った。
そして、ぐっと力強く引き上げられる。
「……ぐすっ……ぐすっ……はいっ……!」
涙とともに、わずかな笑みがこぼれる。
──こうして、ひとつの動揺と涙の時は過ぎ去り、
三人は再び、冒険の足を進めていった。
あの階段の先に、何が待ち受けているのかも知らぬままに──。




