第二話 森の試練
アリエヘンの街並みが、徐々に遠ざかっていく。
頭上には清らかな青空、足元には柔らかな草の海──まるで旅立ちを祝福するかのような、穏やかな日だった。
「で、まずどこに向かうんだっけ?」
天然な調子で尋ねるアリシアに、クリスはすぐに答える。
「まずはここから西に進み、長い森を抜けた先にあるという農村"コジーロ"へ向かいます。父からの助言です。その村の村長が父の古い知人らしく、きっと我々の力になってくれるだろうと」
「そうだったわね! よーし、それじゃあ西へ向かいましょう!」
快活に笑ったアリシアが先導し、二人は旅を続けた。
やがて森の入り口に辿り着くと、陽の光は葉の天蓋に遮られ、ひんやりとした空気が漂い、どこか不気味な気配を醸し出していた。
森に足を踏み入れたその時──
「っ……来たわね。いくわよ、クリス!」
アリシアが剣を抜き放つ。
同時に、茂みの奥から小柄な魔物たちが飛び出してきた。
赤い毛並みを持つ獣型の魔物──獰猛な牙を剥き出しに、襲いかかる!
「はい!」
クリスも構え、素早く補助魔法を詠唱する。
「ハヨ・ナーレ!」
魔法の光がアリシアの身体を包み、彼女の動きをさらに鋭くする。
アリシアは一陣の風のごとく舞い、剣を自在に操って魔物たちを斬り伏せていった。
その剣さばきは鮮やかで、まるで踊るようだった。
──幼少期より王城の騎士たちに鍛え上げられ、剣術大会で優勝した実力は、伊達ではない。
クリスは支援に徹し、傷つきかけたアリシアに即座に回復魔法を施す。
「カロ・ナーレ!」
二人の連携は完璧だった。
「楽勝ね!」
アリシアが剣を軽く振り払い、笑った。
「ええ。しかし、油断せずに行きましょう」
クリスも微笑みつつ、森の奥を警戒した。
その後も二人は森を進み、何度か魔物の襲撃を受けたが、難なく退けた。
そして、森の木陰にちょうど良い切り株を見つけ、そこでひと休みすることにした。
「少し休憩しましょう」
「そうしましょう」
アリシアは剣を膝に置いて腰を下ろし、ほっと一息ついた。
「クリスの魔法、すごいわね! 本当に頼りになるわ」
「いえいえ、アリシア様の剣術こそ……正直、ここまでとは驚きました」
「そぉ? ありがと。まあ、散々扱かれたからねー。子どもの頃、楽しそうに遊んでる女の子たちを見て、なんで私だけ……って、何度も思ったわ」
「……そうでしたか。アリシア様の背負われている過酷な運命、僕には計り知れません」
「ホントきつかったんだから。あら、いきなり愚痴っぽくなっちゃった、ごめんね?」
アリシアは笑いながら言った。
「でも、結局今は、私に生まれてきてよかったって、心から思ってるの」
「それは、つまり?」
「お母さんが、私にたくさん愛情を注いで育ててくれたから」
「お母さん……孤児院のテレサさんですね」
「うん。お母さんは、私が勇者だからって特別扱いしなかった。他の子たちと変わらず、普通に接してくれた。勇者としてしか見られない厳しい訓練の日々の中で、それがどれだけ救いになったか…本当に、温かかった……。」
アリシアは胸に手を当て、そっと目を閉じた。
「この旅が終わったら、お母さんを手伝うって約束したの。だから──絶対に生きて帰るんだ!」
「本当に素敵なお母さんですね。きっと、お母さんもアリシア様と共に過ごす日々を、心待ちにしておられるでしょう。……僕も、この旅が終わったら、父の教会を継ぐつもりです」
「そっか。なら、私たち──ずっと一緒だね!」
アリシアは明るく、無邪気に笑った。
その無防備な言葉に、クリスは耳まで赤くしながら咳払いをした。
「ゴッホン。そ、そういうことになりますね……。では、そろそろ出発しましょうか」
「うん、行こっ!」
アリシアが立ち上がろうとした、その時──
──ズバッ!!
赤い閃光がアリシアの脇腹を貫いた!
「っ……!」
アリシアは膝をつき、苦悶の声を上げた。
「アリシア様!」
クリスはすかさず回復魔法カロ・ナーレを唱える。
癒しの光がアリシアの身体を包み、傷は瞬く間に塞がった。
二人は閃光の飛んできた茂みの奥を睨みつける。
──そして、茂みの中から、禍々しい気配とともに、一つの影が現れた。
その瞬間、森の空気がピリリと震えた。
小鳥たちが一斉に飛び立ち、枝葉がざわめいた。
「ほぉ〜〜っほっほっほ……! なかなかやるじゃない、坊やたちぃ!」
紅と蒼の奇怪な衣をまとった男が、優雅な仕草で姿を現した。
その顔には厚化粧、目元には毒々しいアイシャドウ。
唇を歪め、妖艶な笑みを浮かべる。
「アタシの名前はザルマデス! 愛しきジャダム様に仕える、四魔王のひとりよぉ〜〜!」
ザルマデスは、しなを作りながら大仰に胸元を撫でた。
「この森を抜けるなんて、なかなかの腕前じゃない? でもぉ……ここでおしまいにしてあげるぅ!」
「っ……! 油断できません、アリシア様!」
クリスは即座に魔法の詠唱を始め、アリシアも剣を構える。
緊張が、森の空気を一瞬で張り詰めさせた。