第百十五話 生誕
——臨月を迎えて三週が経ったある日。
マリアンは数日前から店を休業し、モーゼフの家で静かにその時を待っていた。
その日も、モーゼフは下の教会で講話に立っていた。
上の部屋では、マリアンとイヴリンが、穏やかに昼の時間を過ごしていた。
「……で、モーゼフとはどこまでいったの?イヴリンちゃん?」
昼間からニヤニヤと笑いながら、夜の話を持ち出すマリアン。
イヴリンは、顔を真っ赤に染めて答えた。
「な、何もしてないよ!……マリアンがお風呂から出るの待ちながら、お話ししてるだけだよ……」
「ふ〜ん。ま、別にいいけどさ。あんまりゆっくりしてると、他の人に取られちゃうかもよ〜?」
「モーゼフはそんな人じゃない!私のこと、ちゃんと愛してくれてる!毎日キスもしてるし!………あっ。」
「そっかそっか〜、毎日お熱い時間をお過ごしなのね〜。私の入浴中に。いいな〜」
「ご、ごめん……マリアン……」
「ちょっと、イヴリン?冗談よ冗談よっ! も〜!真面目すぎよ!あっはは!」
「もう!マリアンッ!!」
「ごめんてば〜!……でも……本当に、良かった。イヴリン……“恋”って、奇跡よ。世界中の人の中から、たった一人の人に特別な想いを抱くなんてさ。しかも、お互いによ? ホントに、笑っちゃうくらい奇跡よね」
「……うん……本当に、そうだね……」
イヴリンの目から、ぽろぽろと涙が溢れた。
「イヴリン!?ホントに、さっきのは冗談だからね!?そんなの、最初からわかってたんだから!」
「違うの……。モーゼフのこと“好き”っていう自分の気持ちを知ったから……マリアンの、デイビッドさんへの気持ちも、前より全然わかるようになったから………グスっ………本当に、ごめんなさい……」
マリアンは、やさしくイヴリンを見つめた。
「イヴリン。謝るのは、おかしいよ? だって……私、今すごく幸せだもの。もちろん、デイビッドがいないのは、寂しい。だけどね……イヴリンと出会えなかった人生なんて、考えたくないの。あなたの幸せが、私にとっても幸せじゃないはずないでしょ? だから、もう……そんな顔………うっ……!」
──突然、マリアンが腹を抑えて苦しみ出す。
「……マリアン? マリアン!?」
その足元には、水が広がり始めていた。
「イ、イヴリン……モーゼフに言って……助産師さんを……うっ!」
「わかった!!」
イヴリンは駆け出し、ちょうど講話を終えて戻ってきたモーゼフを見つけた。
「モーゼフ!!マリアン、産まれそう!!助産師呼んで!!」
「!!わかった、すぐに行く!イヴリンはマリアンの側にいてくれ!」
イヴリンは頷き、マリアンの元へ駆け戻った。
モーゼフは自らに加速魔法「ハヨ・ナーレ」をかけ、街の助産師の元へと全速力で駆け出していった。
部屋では、イヴリンがマリアンの手を握りしめていた。
「マリアン!モーゼフが助産師連れてすぐ来るから!頑張ろう!!」
「はぁ……はぁ……ありがとう……イヴリン……」
*
やがて、モーゼフが助産師を背負って部屋へ戻ってくる。
「よろしくお願いします!!」
モーゼフはそう言って、マリアンに一言だけ。
「頑張ってください、マリアンさん!」
そして、イヴリンと深く目を合わせて頷き合い、部屋を出た。
「よしよし、もう少しだけ頑張ろうねぇ。どれどれ……」
助産師がマリアンの下半身を確認する。
「──あら、もうすぐそこまで来てるわよぉ! 合図したら、力んでちょうだい!」
「はぁ…はぁ……はい……!」
イヴリンは、胸の前で手を組み、無意識に祈った。
(神様……お願いします……!)
「せーの!!」
「うぅ〜っ!!」
「もう一回!! せーの!!」
「うぅ〜〜〜〜っ!!!」
──その瞬間。
「オギャ〜! オギャ〜!!」
部屋の外で祈っていたモーゼフの耳に、赤ん坊の産声が届く。
「……あぁ……ああぁ……」
モーゼフはその場に膝をつき、咽び泣いた。
「オギャ〜! オギャ〜!」
助産師は素早く処置を終え、マリアンの横に赤子をそっと置いた。
「元気な女の子よ〜! お母さん、よく頑張りました!」
イヴリンは、奇跡を見るような目で呆然と立ち尽くし、
やがて——
「……うぅっ……ううっ………うああああぁん!!
マリアン……良かったぁあああ!!!」
マリアンは、小さな赤子の手にそっと触れた。
「……産まれてきてくれて、ありがとう……」
そして、そのままイヴリンに目を向け、伝える。
「イヴリン……一緒にいてくれて、本当にありがとね……心強かったわ……。モーゼフを、呼んできてあげて」
イヴリンは頷き、モーゼフを迎え入れる。
「……凄い……可愛い女の子ですね、マリアンさん……」
「本当に……可愛い……」
マリアンは、二人の言葉に微笑みながら、赤子を見つめた。
「……可愛いってさ。良かったね……アリシア。あなたの名前は……『アリシア』よ」
「……アリシア、ちゃん……」
「……素敵な、名前だ……」
──その瞬間。
アリシアの身体が、眩い光を放った。
天井を貫き、空へと届く神々しい光。
「なに!? アリシアの身体が!!」
「……これは……!」
「……いったい、何が……」
やがて、光が静かに収まる。
「アリシア!? 大丈夫なの!?」
「オギャ〜! オギャ〜!」
元気な産声と共に、赤子は手足をバタつかせていた。
そして、助産師は静かに口を開いた。
「……マリアンさん、いえ──マリアン様。
この子は……アリシア様は……神に選ばれました。
新たなる……勇者様です」




