第百十二話 殻、破れる
イヴリンとマリアンの仲は、日に日に深まっていた。
夫を失った悲しみを背負いながら懸命に働くマリアンにとって、イヴリンという新たな友の存在は、何よりもありがたいものだった。
イヴリンは毎日店に足を運んでは、ただ話をするだけでは帰らなかった。
必ず、下着を一組買っていくのだった。
「ホントに、無理して買わなくて良いってば、イヴリン! 気持ちだけで十分嬉しいんだから!」
マリアンが苦笑交じりにそう言うと、イヴリンは首を振った。
「ううん。お金は、大事。子どものために、お金、貯めておかないと」
そう言って、彼女はマリアンのお腹を見つめた。
「……もう……」
マリアンは苦笑しながら、自分のお腹を優しくさすった。
「この子も……イヴリンみたいに、心の優しい子になってほしいな」
その言葉に、イヴリンの目が見開かれる。
「……心の、優しい……? 私が?」
「え?うん、そうだけど?」
マリアンは、何気ないように返すと、またお腹をなでながら明るく言った。
「男の子でも女の子でも……イヴリンみたいな子になりますよ〜に!うふふっ!」
イヴリンの目から、涙が一粒、頬を伝った。
「え!? ごめんごめん! 泣かないで、イヴリン!」
マリアンが慌てて声をかけると、イヴリンは小さく笑いながら首を振った。
「ううん……ありがとう、マリアン」
それだけ言うと、彼女はいつものように手を振って、店を後にした。
「じゃあ、また明日」
「うん!また明日ねー! 明日こそ、買わなくていいからねー!」
マリアンの声が見送る中、イヴリンは人目を避けて、モーゼフの部屋へと帰っていった。
*
「ただいま、モーゼフ」
「おかえり、イヴリン。って、また買ったの!?」
顔を赤くしながらモーゼフが言うと、イヴリンは当たり前のように頷いた。
「うん。明日も買うからね」
「まだ一度も着てないのが山ほどあるじゃないか!」
「いいの。見るだけで楽しいし。モーゼフも、楽しんでいいんだよ?」
モーゼフは真っ赤な顔で口ごもった。
「そ、そういう問題じゃ……」
だが、イヴリンは俯いたまま、静かに言った。
「ねえ、モーゼフ。私……マリアンに、本当のこと言いたい」
「……急にどうしたの?」
「急じゃない。ずっと、思ってたの」
「……どうして?」
「マリアンに、隠し事してるの……なんだか嫌なの」
モーゼフは少し黙り込んだ後、静かに言った。
「……そうか。それは、正しい感覚だよ。イヴリン。だけど──」
「やっぱり正しいんだ。じゃあ……言ってくるね!」
そう言って、イヴリンは部屋を飛び出していく。
「ちょっ……待ってくれ、イヴリン!!」
モーゼフは慌てて追いかけた。
*
追いついた時、イヴリンはすでにマリアンの店の中にいた。
カロンコロンッ
「いらっしゃいませ……って、イヴリン!?まだ明日じゃないわよ!?」
カロンコロンッ
「え、モーゼフ!?どうしたの!?」
「……はぁ……はぁ……マリアンさん……突然すみません……実は──」
「マリアン。私、あなたに………隠していることがあるの」
「イヴリン!!」
モーゼフが叫ぶ。
「えっ? なに……? 二人、知り合いなの……?」
イヴリンは声を震わせながら、口を開いた。
「……うん。マリアン、私ね……………大魔王の娘なの」
モーゼフは目を閉じる。
———静寂。
そして……
「……イヴリン……?何を、言っているの……?」
イヴリンは変身魔法を解き、頭に生えた二本のツノを見せた。
「私は……父が封印された後、あなたの夫の仲間たちに殺されるところを、モーゼフに助けられて、一緒にここへ来たの」
マリアンは目を見開いたまま、沈黙した後——
「……モーゼフ、本当なの?」
モーゼフは目を下に逸らしながら、静かに頷いた。
「……黙っていて、申し訳ございません」
「………そう、なんだ……」
マリアンの表情に影が落ちる。
イヴリンは、心の底から恐怖が湧き上がってくるのを感じた。
この恐怖は、味わったことのないものだった。
いや、そもそも恐怖を感じたこと自体が初めてだった。
モルガンとコジーロに殺されようとしていた時でさえ、恐怖は感じていなかった。
震える脚で、影っぷちに立ち尽くしているようだった。
マリアンに人差し指でポンと押されただけで、簡単に奈落の底へ落ちてしまいそうな気がした。
彼女の口から、その言葉がこぼれる瞬間までは。
「……でも、イヴリンは……悪い魔物じゃないんだよね?」
「………え……?」
「イヴリンが大魔王の娘なのはわかったけど……隠していたのは、それだけ?」
「それ……“だけ”……?」
「……本当は、何か企んでるとか……悪い子だとか……そういうんじゃ、ないんでしょ……?」
「そんなこと、絶対ない!私は、マリアンの友達だから!!」
「なんだぁ……良かったぁ!!ビックリさせないでよ、も〜!!」
その瞬間、モーゼフの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
(なんという……なんという心だ……!)
イヴリンも、堰を切ったように涙を流す。
「……なんで……なんでそんなふうに……思えるの……?」
「え!? 何が?」
「私の父が……あなたの一番大切な人を殺したも同然なのに……それでも……私のこと……うっ……ううっ……」
マリアンは咽び泣くイヴリンを、優しく抱きしめた。
「……父親がどんな悪党だろうが……生まれてくる子には、何の罪もないのよ……私は、それをもう知ってるから。それに……」
愛に満ちた眼差しでイヴリンを見つめながら、マリアンは言った。
「私にとっては……”今のあなた”が全てよ、イヴリン。過去なんて……どうでも良いじゃない!」
その瞬間、イヴリンの中の"殻''が、全て砕け散った。
「……うああああああああん!!マリアン……マリアン!!……大好きだよ!!隠しててごめんねぇ!!!」
「私も……だーーいすきだよ、イヴリン!!デイビッドの仲間に殺されなくて、ほんっとに良かった!!ありがとうね、モーゼフ!!」
──「ありがとう」
勇者の犠牲を裏切るような行為をしたはずの自分が、まさかその妻から「ありがとう」と言われる日が来るなど──想像できるはずもなかった。
マリアンの言葉は、モーゼフの心を、全て洗い流してくれた。
モーゼフは、嗚咽しながら祈る。
(主よ……全てに……感謝致します)




