第百十一話 友愛
アリエヘン城を後にしたモーゼフは、静かに城下町を歩いていた。
(……もう、イヴリンの買い物は済んだはずだ。噂でマリアンさんの耳に入る前に……僕の口から伝えなければ……いよいよ、だな)
勇者デイビッドの死を、その妻に伝える。
その責務の重さに打ちひしがれそうになりながらも、モーゼフは覚悟を決めていた。
やがて彼の目の前に、「マリー・アントワ」が現れる。
デイビッドとともに何度か訪れたことはあったが、一人で入るのは初めてだった。
それはそうだ。
(……ええい! 今さら、男一人で女性の下着屋に入ることを気にしている場合じゃない!)
自らを叱咤し、扉を押し開ける。
カランコロンッ──
「いらっしゃいませ!」
快活な声が響く。
マリアンだった。
店内へ足を踏み入れたモーゼフの目に映ったのは──
そのマリアンの隣で談笑する、見覚えのある少女の姿。
イヴリンだった。
(なっ……!?)
危うく声をあげかけたモーゼフだったが、ぎりぎりで踏みとどまる。
マリアンも、目を見開き、驚きの声を漏らす。
「……モーゼフ……?」
イヴリンも、咄嗟に表情を引き締める。
(あ、まずい……)
だが、モーゼフは深く息をつき、彼女を信じることに決めた。
「……お久しぶりです、マリアンさん」
その声色と、何よりデイビッドが姿を見せていないという事実。
マリアンは、それですべてを察した。
「……久しぶり!モーゼフ」
マリアンは、努めて明るく、笑顔を作ってそう言った。
イヴリンは、空気を察し、小さく頷くと立ち上がった。
「……マリアン、私、帰るね。また、来る」
「うん!もう毎日来てよね、イヴリン!またね!!」
イヴリンは黙ってモーゼフの横を通り過ぎ、店を出る。
カランコロンッ──
扉の音が響く。
「ごめんごめん。今の子ね、すっごく素敵な子なの。今度モーゼフにも紹介するよ!」
妊娠中の身体で、あえて明るく言うマリアン。
だがその姿に、モーゼフはもう堪えきれなかった。
「申し訳ございません……! マリアンさん……
デイビッド様は……大魔王の封印と引き換えに……命を落とされました……!!」
その場に膝をつき、土下座しながら、言った。
重い沈黙が店内を満たす。
やがて、マリアンが優しく声をかけた。
「……モーゼフ。顔を上げて」
モーゼフはゆっくりと顔を上げ、立ち上がる。
「……ありがとうね。言いづらいことなのに、わざわざ来てくれて」
その目に、涙はなかった。
限りない優しさだけが宿っていた。
「マリアン、さん……」
「デイビッドとあなたが旅立ったあの日から、もう覚悟はしてたの。あなた一人でも生きて帰ってきてくれて……それだけで、私は嬉しいわ」
そう言って、マリアンはそっと微笑んだ。
そして、表情を少しだけ曇らせて続けた。
「……モーゼフ。あなたも……お父さん……残念だったね……」
その言葉に、モーゼフの胸はまた締めつけられた。
この人は、どこまでも人を思いやる人だった。
優しさに満ちて、底知れぬ強さを秘めている──
モーゼフは、ただ泣くことしかできなかった。
マリアンはそっと彼を抱きしめる。
「……お互い、ゆっくり気持ちを整えていきましょう。本当に、ありがとう」
モーゼフは泣きながら何度も頷き、ゆっくりと店を後にした。
カランコロンッ──
扉の音とともに、店の前に立っていたイヴリンが、出ていくモーゼフとすれ違いながら、マリアンの方へ駆け寄って行く。
(……イヴリン!?)
モーゼフが驚いている間に、扉は閉まった。
イヴリンはそのまま、マリアンを強く抱きしめた。
マリアンは驚いたように目を見開く。
「イヴリン!?どうして……?」
「……外から、話聞いてた。マリアン、悲しいと思ったから、来た」
その言葉は——嘘だった。
外までふたりの話が聞こえてきたわけではなかった。
ただ、モーゼフが一人で出てくるその瞬間を、店の外でずっと待っていた。
その時が、マリアンが夫の死を知った瞬間だと、そう考えたから。
マリアンは、イヴリンの小さな胸に顔をうずめて、泣き崩れた。
「……うっ……ううっ……うわああああああん!! デイビッド……デイビッドォ……!!」
堪えていた涙が、ついにあふれ出す。
イヴリンは無言でマリアンを抱きしめた。
その頬を、一筋の涙が静かに流れる。
彼女は今、確かに父・ジャダムへの憎悪と、自身がその娘であるという事実への深い落胆を抱えていた。
だが、流れたその涙の理由は、それではない。
それは、
──生まれて初めてできた“友”への、確かな愛。
イヴリンの"殻"は、もう、ほとんど砕けていた。




