第百四話 イヴリン
──時を遡ること、二十一年。
魔王城・玉座の間。
大魔王ジャダムとの死闘の末、勇者デイビッドは、命を賭して彼を封印した。
城を支えていた魔力は、主の意識が途切れたことで急速に弱まり、浮遊していた魔王城全体がゆっくりと沈み始めていた。
結界の中心、封印の紋の中で眠るジャダムの肉体。
その結界は二十年の封印と引き換えに、あらゆる外部攻撃を完全に遮断する力を帯びていた。
結界の前に立つのは──
若き日の剣士コジーロ、僧侶モーゼフ、魔法使いモルガン。
「……いや……いやよ、こんなの………デイビッド……デイビッド!………うぅっ……うわああああああああぁっ!!」
膝をつき、泣き叫ぶモルガン。
その肩を、コジーロが悔し涙を流しながら支える。
「………あと一歩だった……俺の剣が……足りなかった………クソおおおおおおおぉ!!」
モーゼフは沈黙のまま、唇を噛みしめ、涙が溢れる目を瞑り、そして言った。
「……このままでは、魔王城は下の海へ墜ちます。ここを離れましょう。デイビッド様に残してもらったこの命……必ず、生きて持ち帰らねばなりません」
コジーロに手を引かれ、モルガンもゆっくりと立ち上がる。
三人が玉座の間から退こうと振り返った、その瞬間──
バタンッ……
扉の前に、ひとりの少女が立っていた。
白い肌に漆黒のロングヘア。
両サイドの髪を高く束ねたツインテールが、重力を無視するようにふわりと揺れている。
瞳は深紅。
頭には、小さな角が二本──
それ以外は、まるで人間の少女のように年若く、可憐な容姿だった。
──大魔王ジャダムの娘、イヴリン。
「……父、封印されたんだね」
死んだ魚のような目で、彼女は呟いた。
一同の視線が、一気にその存在へと向けられる。
「……父?……あなた、大魔王の……娘なの?」
震える声で問うモルガンに、イヴリンは無表情のまま頷いた。
「うん。そうだよ。……どうせなら殺してくれれば良かったのに、あんな父」
その瞬間、怒りに満ちた魔法が放たれる。
ドゴォッ!!
正面から直撃した魔法で、イヴリンの細い身体が壁へと吹っ飛び、叩きつけられた。
「本当に、残念よ……せめて同じ血を引くあなたくらいは、殺して帰らないとね」
モルガンが魔力を振り絞り、詠唱に入る。
コジーロも剣を抜き、殺意をあらわにした。
しかし──
「……早く殺して。……生きてたって、何も面白くないんだから」
イヴリンは壁に寄りかかりながら、諦めきったような笑みを浮かべる。
──そして、彼女がずり落ちるように尻餅をついたその時。
白の布地に可愛らしい動物の柄が描かれた"それ"を、
モーゼフは見てしまった。
──その無垢な絵柄に、
「大魔王の娘」という肩書き以前の、
一人の少女としての“実体”を見たような気がした。
神に導かれるように、彼はイヴリンの方へと駆け出した。
「……!?」
コジーロとモルガンが止めを刺そうと迫った瞬間、
モーゼフが両手を広げ、彼女を庇うように立った。
「……え? ……なんで……?」
イヴリンが戸惑いの声を漏らす。
「……モーゼフ? ……な、何してるの……?」
呆然とするモルガン。
「……デイビッドの死を受け入れられず、混乱してるんだろうよ……」
と、コジーロが言い捨てる。
「おい、モーゼフ。どけよ。その女は大魔王の後継者だ。……仕留めるぞ」
「……」
モーゼフは動かない。
「……おい!どけって!早くしねぇと、城が落ちるってお前が言ったんだろうが!!どけよ!!」
「……すみません」
「……あ?」
「……モーゼフ?……なんで……?」
「……わかりません……でも、この子を殺してはならない……そう……神に言われている気がするのです」
モルガンが顔を歪め、詠唱を開始する。
「……混乱魔法ね。あの女の仕業よ!殺せば解けるわ!」
だが、
「僕は……正気です」
モーゼフは静かに、モルガンの目を見てそう言った。
次の瞬間、怒りに震えたコジーロがモーゼフの胸ぐらを掴み、怒号を放つ。
「てめぇ……自分が何してるかわかってんのか!?……デイビッドが賭けた命はどうなる!?……ふざけんのも大概にしやがれぇ!!」
そして、モーゼフを横に突き飛ばし、そのまま剣を振り抜いた──
ズバッ!!
斬られたのは、モーゼフの背中だった。
「ぐああああっ!!」
「なんでだよてめぇえええええ!!!」
コジーロが叫ぶ。
「なんでだよ……ここまでの旅は何だったんだよ……モーゼフ……!俺は……いや、デイビッドも、モルガンも……お前を仲間だと信じてたんだぞ!!……世界一の僧侶だって……信じてた!!それが……裏切りなんて……あんまりじゃねぇか!!」
モーゼフは、自らに回復魔法を施しながら答える。
「……僕だって……皆さん以上に大切な存在なんて……皆さんとの旅以上に尊い時間なんて……あるわけがありません……だけど……この子は……神に殺すなと言われている気がするのです……!」
モルガンは、嗚咽を堪えながら悟る。
──この女が、モーゼフの心を奪ったのだ。
激しく揺れ始める魔王城。
「……コジーロ。もう行きましょう」
「……だけどよぉ……!」
「モーゼフ。今までありがとう。……せいぜいその女と、心中なさい。もし生き残っても……もう、二度と会うことはないわ。……さようなら」
モルガンはコジーロの手を引き、崩れゆく玉座の間を走り去る。
大粒の涙を振りまきながら。
──残されたモーゼフは、黙ってその背を見送り、目に涙を浮かべた。
「……何が、したいの……?」
呆然とするイヴリンに、彼は微笑みながら答えた。
「……わからない……でも、君のこと……どうしても放っておけないんだ」
イヴリンは、その言葉に、ただただ驚きの眼差しを向けるのだった。




