第百三話 天雷
花飾りを頭につけ、アリシアはゆっくりと祭壇を登っていった。
その背後には、淀んだ水をたたえる池が広がっている。
祭壇の上に立ち、振り返ると、ゴブリンたちに声をかけた。
「これで願い事すれば良いのね!?」
笑顔のまま問うアリシアに、ゴブリンたちは揃って叫んだ。
「ソウダ!ユウシャ、ネガイ、カナウ!ダイマオウ、タオセル!」
アリシアは目を閉じ、祈りの姿勢をとる。
(大魔王を、倒す。世界に平和をもたらすの。そして、クリスと……)
その時だった。
淀んだ池の水面が激しく揺れ、そこから突如、巨大なワニの魔物が飛び出す。
その口は、人間を丸呑みにできるほどの大きさ。
標的は──アリシア。
「カカッタ!シネ!ユウシャ!」
ゴブリンたちの狂喜が響く中──
スパンッ!!!
祭壇の右手から飛んだ一閃が、ワニの口を真正面から切り裂いた。
斬撃は魔物を真っ二つにし、別れた肉塊はそのまま池へと沈んでいった。
「ナンダ!ナニガ、オキタ!」
混乱するゴブリンたち。
ゴブリンは、本来戦闘能力が高くない。
だが、その分、他種族よりも知恵に長けていた。
人間の感情を読み取り、隙をつき、油断を誘う──それが生き残る唯一の術。
あのヨチヨチ歩きのチビゴブリンさえ、それを習得していたのだった。
「バカナ!ヌシ、ツヨイ!コンナ、スグ、シナナイ!」
「……やはり」
クリスが呟く。
「魔物はどこまでいっても魔物でしかねぇってことだな」
ムサシが刀を納めながら言い放つ。
「さてと、やりますか」
バーバラの手に炎が灯る、その時──
「……待って!」
祭壇上のアリシアが、三人の方へ手を差し伸べながら言う。
「こっちに来て。一緒に願い事しましょう」
その声音に、三人はアリシアの真意を悟り、無言で祭壇を登っていった。
ゴブリンたちは慌てふためき、叫ぶ。
「ユウシャ、ユルシテ!モウ、シナイ!オマエモ、アヤマレ!」
前に出てきたチビゴブリンが、ヨチヨチと近づき──
「ユウシャ、ゴメンナサイ、ユルシテ……」
「………アリシアちゃん。いいよ、私がやるから」
バーバラが一歩前に出る。
「ううん……私の、責任よ」
アリシアは右手をそっと天へと掲げた。
チビゴブリンは、小さな石と草で編んだ指輪を差し出しながら言った。
「コレモ、アゲル、カラ……」
アリシアの頬を、一滴の涙が伝う。
そして──
「……カム・ナーリ」
その瞬間、集落全体を飲み込む巨大な閃光が、天から落ちた。
神の怒りの如きその天雷は、魔法使いの電撃とは異なる、勇者の奥義魔法だった。
轟音とともに、祭壇の前には巨大なクレーターだけが残された。
クリス、ムサシ、バーバラ──三人はその光景に、ただ息を呑む。
「……ごめんね、みんな。嫌な思いさせたよね……」
アリシアが呟くように言った瞬間、
クリスが彼女を抱きしめ、優しく頭に手を添えた。
アリシアは、その胸に顔をうずめ、泣いた。
ムサシとバーバラは、静かに二人を見守っていた。
*
──天空都市アル・クラーナ、高台。
標高二五〇〇メートルを超える断崖に、ひとりの老人が立っていた。
彼の目が見つめる先、この山の麓へと繋がる森へ、天から閃光が落ちるのが見えた。
「……ついに、真の勇者が……ここへ来るのか……」
その目に、畏怖と期待の色が宿っていた。




