エピローグ
中学二年の体育祭。保健委員の俺は救急用テントで働いていた。保険の先生に「明智くん、これをあの子に持って行ってほしい」と氷の入ったポリ袋と真っ白なタオルを渡された。パイプ椅子に一人座る女子生徒を捉えると、彼女の方へ歩み寄った。体操服が同じ色。同学年だ。「これで冷やして」と言って託されたものを手渡した。彼女は俯いたまま震える声で「ありがとうございます」と言うと、両手で受け取ったそれを右足に持って行った。よく見るとクラスメートの日向さんだった。
クラスメートの泣き顔と震えた声が気になった。片膝をつくと「大丈夫?」と聞いた。彼女はこくこくと頷くだけだった。無理をしているのだろうか。骨折したぐらい痛いのだろうか。考え事をしていると、彼女が重い口を開いた。
「リレー、走れないことが、申し訳なくて」
最終種目のクラス対抗リレーは、学年別で行われる全員参加の競技だった。彼女は出場できないだろう。そのことが気がかりだと言うのだ。
「ああ、なんだ。びっくりした」
そういうと彼女はやっと顔を上げた。彼女の目を見て、続ける。
「骨折でもしてるんじゃないかと思った。リレーなら大丈夫。俺、二回走るから」
「えっでも…」
「んー、ほら、俺、陸上部だから。球技大会で散々だった分、体育祭で汚名返上しないと」
「そう言われても…」
「球技大会、もうほんと散々でさ。俺サッカーだったんだけど、ボールが全然違う方向に飛んでって。こう、真っ直ぐ蹴りたいのに右にいっちゃって、相手チームにパスしたり」
彼女が少し笑った。それが嬉しかった。
「一番ひどかったのが、思い切り蹴ろうとして盛大に空振り!あれ未だにネタにされんの。ひどくない?」
「わかる、サッカー難しいよね」と言う彼女の声は震えていた。きっとさっきとは違う意味で震えてしまったのだろう。
「いやマジでムズイ。みんなドンマイって笑ってくれたけど、結局負けたし、結構ガチで凹んでさ。だから体育祭で汚名返上しようって決めてたんだ」
そう言うと立ち上がってニッと笑った。
「ま、そういうわけだから、走るのは任せて」
俺を見上げてくる彼女の顔は、もう泣き顔ではなかった。
「...うん。任せた」
「おう」
俺は走って担任教師のところまで行き、代走のことを伝えた。続いてクラス全員にも伝えた。そして、タスキを掛けたアンカーにも関わらず待機場所から離れた場所でスタンバイする。「位置について」というアナウンスが流れる。
合図が鳴ると同時に四人が走り出した。
順位は目まぐるしく変わった。接戦だ。俺にバトンが渡った時には三位だった。
目の前で一位のクラスのバトンが渡る。二位のクラスがバトンパスしてる横を追い抜いた。グラウンドが盛り上がるのがわかった。
カーブを曲がりながら一位との差がジリジリと縮まる。直線に入る。ゴールが近付く。頑張れ!という声が聞こえる。ゴールテープが切られる。
二位だ。
膝に手をついて荒い息を整えていたが、すぐ救急テントの方を見た。彼女と目が合う。俺はVサインを送った。
それを見た彼女が笑った。ひまわりみたいな可愛い笑顔だった。胸が高鳴ったような気がした。