第四話 魔女の記憶(ヴィルドレット視点)
「ねぇ、クロ聞いてるー?」
身体が宙に浮く――
抱き上げられた俺の目の前にはにこにこ笑みを浮かべる『魔女』の顔。
幼い顔立ちながらも女性的な美しさも併せ持った美貌はただでさえ見る者を魅了するのに、更にこちらを見つめてくる左右それぞれ異なる色合いの瞳もまた、呆れてしまう程に美しい。
――魔女が魔女である証『異色瞳』。
右の瞳は輝き放つ黄金色で、左の瞳は見つめられるとまるでその瞳に引き込まれてしまうかのような、どこか恐ささえ感じる程に美しい水色。
……はぁ。 俺はまた、前世の夢を見ているようだ。いつまで経っても魔女との思い出が今世の俺を苦しめる。
もしや、魔女が『魔女』と呼ばれる所以は『異色瞳』では無くてこれか?なんて考えていると、
「――ッ!?」
いきなり魔女は俺の頬に自らの頬を押し当て、そのまま激しく上下にスライド。
「んー! クロったらなんでこんなに可愛いの〜!?」
魔女から漂ってくるほんのり甘い香りに魅了されながら、まったく、良く出来た夢だ。と、いつもの事ながら感心する。
因みに、ここは魔女が錬金魔法で作った家の中で、俺にとって魔女との思い出が詰まった大切な場所だ。
魔女による激しい頬ずりが終了して、俺の身体は元のポジションへ。 それに伴い、真正面には再び魔女の美しい笑顔。
「――ねぇ、クロ見て!思い切って髪短くしてみたの! どうかな? 私って実は短い方が似合ってたりしない? ねぇ、どうかな?」
時折見るこの夢は、どうやら俺の前世の頃の記憶が元になっているようで、魔女が髪を短くしたこの時の事もよく覚えている。……懐かしい。
それにしても、本当によく出来た夢だ。
夢だというのに、魔女に掴まれている前脚の付け根部分が痛くなってきた……そろそろ床に下ろして欲しいのだが……
「――――」
しかし、そんな俺の願いは届く事無い。依然として俺の身体は宙に浮いたまま。
魔女は相変わらずにこにこ笑みを浮かべながら「どう?どう?」といった様子で顔を左右に振って髪型全体を俺に見せつける。
少し癖のある銀髪は顎のラインで切り揃えられているが、自分で切った事によるものだろう、後の辺りは少し粗さが見える。
うん。長いのも良かったが、これはこれで可愛いと思う。
「少しは大人っぽく見えるようになったと思うんだけど……」
いや、残念だけど、それは逆効果だったみたいだぞ?と、俺は心の中でツッコミを入れる。
魔女は自身のその幼い顔つきがコンプレックスらしいが、一体どんな顔を求めているのだろうか。
確かに幼い顔立ちではあるが気にする程では無い。ちゃんと女性としても美しいと俺は思う。
「――――」
しかし俺はその思いを魔女へ伝える事無く、依然として魔女の言葉に対して無言を貫く。と言うより、無言を貫く事しか出来ない。何故ならこの世界(夢の中)での俺は『猫』なのだから。
「――――」
そんな俺だから、魔女はそれまでの無邪気な笑顔をどこか儚さを帯びた、切なく哀しい微笑みにそれを変えてしまう……
「ねぇ、クロ……何か言ってよ。寂しいじゃない……って、言ったって無理よね……」
だから俺は『人間』になりたかった。人間になって君のその哀しい微笑みを幸せ一杯の笑顔に変えてやりたかった。
『御坊ちゃま――』
そんな俺の願いが神に届いたのか、俺は『人間』として生まれ変わる事ができた。 それなのに――
『――御坊ちゃま、お目覚めになって下さい』
あれから400年。この世界に『魔女』はもういない。
目を開け、上体を起こすとそこには使用人のルイスが睨むように俺を見ていた。
「お目覚めになられましたか、御坊ちゃま。婚約者であるハンナ・スカーレット男爵令嬢様がお見えになられました。現在、旦那様が応対しておりますが花嫁を待たせるなど言語道断と、大変お怒りで御座います。 急ぎ、応接間までお越し頂くようお願い致します」
そんなに睨むなよ……
「あぁ、分かった。すぐ行く」
やれやれ……したくもない結婚を強いられる俺の身にもなって欲しいものだ。
結婚に対して消極的な俺は重い腰を上げ、気怠そうに着替えを始める。
俺はヴィルドレット・エドワード。 25歳。
この国の筆頭公爵家の嫡男であり、剣聖であり、近衛騎士団長でもある。
そんな俺に言い寄って来る令嬢達は数多く、これまで数々の縁談を持ち掛けられては、俺はそれを尽く蹴ってきた。 理由は魔女だ。
かつて猫だった俺と魔女が共に暮らしていたのは今から400年も前の事。
今世ではもう魔女はいない。
いつまでも前世に囚われる事は今世を生きる上で最も無意味で愚かな事である事と、頭ではちゃんと理解しているつもりだ。
今は今世だけを見て今世で与えられた天命に従って地に足付けた生き方をしなければならない。 分かっている……。
だが、俺の中の魔女がそうさせてくれない……死んでくれない……魔女を求めてしまう自分に抑止が効かず、どうしても魔女以外を愛せない。
どうする事も出来ない。俺には俺の責務があるというのに……。
その責務を果たす為、持ち掛けられた縁談に対して俺なりに向き合おうとした時期もあった。だが、やはり駄目だった。
どんなに美しく魅力的な女性が相手でも魔女の面影を重ねてはどうしようもない虚無感に襲われる。 やはり駄目だ。愛せない……と。
愛の無い結婚――
百歩譲って俺はそれでも良いかもしれない。しかし相手方はどうだろう?
女性にとっての『結婚』とは幸せの象徴だ。
愛する事をしない結婚は相手を不幸にする事と同義である。そう魔女を見て学んだ俺にそのような真似は出来ない……出来ないのだが、年齢的にもいよいよ結婚から逃げ回る事も敵わなくなり、半ば強引に進められた此度の縁談。
近頃ではそもそも持ち掛けられる縁談自体が無くなってしまっていた為、俺を取り巻く人間達のこの縁談に賭ける思いはひとしおだ。
「さて、行くか」
寝間着から平服へと着替えを済ませた俺は、俺の花嫁候補が待つとされる応接間へと足を向ける。