第二十七話 大きな決断
かつての自分とクロの幻に遭遇した後、私は人目の無い事をいい事に嗚咽を上げながら泣いていた。
何も分からない。
悲しいのか、苦しいのか、悔しいのか……何故泣いているのかさえも分からない。
ただ、己の心があらぬ方向へ傾きつつある事だけが分かって、それが恐かった。
涙が枯れ果てた頃、私は大きな決断をしてしまっている事に気が付く。
ただそれは明らかに間違った選択であって、自分でもその事は理解出来ている。本当に馬鹿げた選択だと。
しかし、それが分かっていながらも自分の中で巻き起こる衝動に抗えない。
あれほど孤独が嫌いだった私が、あれほど人間社会で生きる事を夢みてた私が――何故戻りたいのか、何故ここまでの強い衝動に駆られるのか……
「もしかしたら、疲れちゃったのかな……私」
◎
「懐かしいな……」
私がハンナとなってからここへ来るのは初めてだ。
人里から遠く離れたとある山奥――薄暗く不気味な森の中に堂々と聳え立つ白い巨塔。その最上部からは斜め下へ木漏れ日が掛かり、まるで巨塔の建つそこだけは別世界のような神聖な雰囲気が漂っている。
邪悪な何かを聖なる光が打ち消すかの如く、今ある世界の平和を象徴したような立派な造りのモニュメント。
《破滅の魔女討伐の地》
そう書かれた石碑を尻目に私は踵を返した。
「確かこの辺に……」
モニュメントからそう離れていない位置。薄暗く鬱蒼とした茂みの中に私は視線を巡らせる。
「あった!!」
見つけたのは、言われなければ誰も分からないほど草木に埋もれた建物らしきもの。
朽ち果てた一軒家だ。
「私とクロとの思い出の場所――」
魔法で新しく家を新築する事も考えたが、どうせならクロと過ごしたこの家で暮らしたい。
「クロはもういないけどね……」
これからの一生を孤独に生きる。
魔女として生きたあの頃のようにこの家で、今はもういないクロの記憶と共にのんびり暮らそうと、そう決めてこの地へ帰って来た。
幸せになりたい、その一心でこれまで私は頑張ってきた。その末に一瞬だけでも幸せになる事ができた。
でも、その一瞬の幸せは私の心を甘くトロトロに溶かし、弱くした。
そして突き付けられた残酷な事実に、幸せを知って弱くなってしまった私の心は簡単に壊れてしまった。
私にはもう、これ以上頑張れる気力は残っていない。疲れたてしまったのだ。何もかも捨てて独りになりたい。今はそう思う。
400年前、魔女として生きていた頃、私はあくまで『人』の温もりを求めていた。
猫であるクロに『人』の代わりは果たせないと思っていた。
クロの存在にどれ程救われていたのかを分かっていないまま、当時の私はクロの事をまるで『代替え品』のように、『人』が無理だからと猫に、クロに妥協した精神でいた。
愚かでしょ?傲慢でしょ?
どうしようもない奈落のどん底へ、天国から地獄へ落とされて苦しんで、途方も無い絶望感に打ちのめされ、縋るような思いでクロの事を想い出したのだ。 本当、私って反吐が出るほど都合のいい女。
前世の私はもしもクロが人間だったなら――なんて妄想を浮かべていた頃があった。
あくまで『人』に固着していた過去の私。クロの事をそんな風にしか見ていなかった過去の私を殺してやりたい。
「何を偉そうに……過去の私も、私にくせに」
過去の自分を蔑む自分もまた愚かだと思い、独り言で小突く。
あの時、クロの幻が私を拒むように背を向けて過去の自分のもとへ行ってしまったあの時……
「――っ」
思い出して唇を噛み締める。
湧き上がる過去の自分に対する嫉妬心。それを感じて、つくづく自分は業の深い生き物なのだと思う。
膨張してゆく自己嫌悪……自然と涙が零れる。
「……嫌い」
過去の私も今の私も、全ての私が嫌い。
こんな、自分勝手で傲慢で嫉妬深い私が当たり前の幸せなど掴めるはずがない。
そして、疲れた。実る事の無い努力を重ねても虚しいだけ。
私はクロの居ないこの世界で、かつてクロと過ごした日々の思い出と共に、これからの人生を独りで生きていく。
この決心はクロに対する贖罪からくるものでは無い。
それが、今の私の求める幸せだからだ。
「さて、と――」
涙を拭いて、前を向く。気持ちを切り替え深呼吸。
これ以上自己嫌悪に浸るのはよくないと自分を叱咤。表情を引き締め、朽ち果てたかつての我が家を目の前に私は目を閉じる。
「――――」
そしてまず、この体の中にある魔力を探ってみる。
ハンナとして生まれて今日まで、私は魔法を敢えて使わずに生きてきた。
というのも『魔法』は特別な力とされている為、魔法が使えるという事で魔女の存在と結び付けられる可能性を恐れたのだ。
人間社会で生きていくならば魔法なんて特別な力はむしろ持たない方が良いというのが私の考えだった。
しかし、今やもうその憂いは無い。再び人間社会から離れて独りで生きていくのだから、むしろ『魔法』は孤独生活の中で必要不可欠な力となる。 でも、
「……う〜ん。やっぱりハンナとしてのこの体じゃ魔法は無理か」
薄々分かってはいた事。
この体で初めて魔法を試みたが、この体に宿す魔力量ではやはり『魔法』は難しいらしい。
――ならばと、今度は『魔術』を試してみる。
『魔法』と『魔術』の違い――
術者の体内にある膨大な魔力量を元に超常現象を引き起こす事を『魔法』。対して、少ない魔力量でも自然の力を利用して超常現象を引き起こす事を『魔術』。
つまり、術者の体内に膨大な魔力を有しているのか、いないのかが、『魔法』、『魔術』の分岐点になる。
前世の私は使徒として体内に膨大な魔力量を有していた為に『魔法』として使えたわけだが、人間のハンナとしてのこの体ではそうはいかないらしい。
これは余談だけれど、前世の私が殺された相手、大聖女イリアスも私と同じく『魔法』が使えた。しかし、私としてはそれが解せない。
何故なら『魔法』はそもそも使徒だった私にしか使えない力だったはず。それを何故大聖女イリアスも使えたかは未だに謎のままだ。
そして、大聖女イリアスは『魔法』を模した大衆向けの『魔術』を考案し、世に広めた。
故に、大聖女イリアスは前世の私こと、破滅の魔女の討伐以外にも『魔術』の祖としても崇められる存在だ。
「うーん。詠唱かぁ〜……」
魔女と結び付けられる事を何より恐れていた私は魔術からも身を遠ざけていた。故に魔術を発動させる為に不可欠な『詠唱を唱える』が分からない。
「とりあえずやってみるか」
足もとに落ちていた短い木の枝を拾って家に向ける。そして、付け焼き刃の詠唱を唱えてみる。
「……も、森の精霊さん達よ……え〜と、私に少しだけでいいから力を……頂戴?……こんな感じ?」
我ながら酷い詠唱だと思う。でも、詠唱に型などは無いらしいから、こんな情け無い詠唱でも大丈夫……だと、思う。 多分……。
私の酷い詠唱に自然が反応を示す。
草木が揺れ光の粒子が浮遊し、それらが私へ纏わり付く。自然がもたらす魔力だ。
そこへ私自身が持つ微量の魔力(意思)を織り交ぜ、制御下に置く。
制御下に置かれた膨大な魔力を杖に見立てた木の枝の先に集中させ押し固めるように凝縮してゆく。
「再生!!」
木の枝から光が放たれ指された家は激しい光に包まれる。すると、家は見る見る内に修復され400年前の馴染みある懐かしいかつての我が家の姿へ戻った。
「出来た!!」
初魔術成功!! 詠唱はアレだけど、それ以外は思った通り魔法の要領でいけた。
これでかつてのような孤独生活をやっていける。ただ、誰に聞かせる訳じゃないけど、もう少しマシな詠唱にしなきゃね。




