第二十五話 本当の想い人(途中からヴィルドレット視点)
店内を逃げるようにして飛び出し、人混みの中をなにふり構わず駆け抜ける。その様は周囲の人々の注目を集め、それを避けるように私は店の裏手へ続くであろう脇道へ逃げ込んだ。
店の裏側は薄暗く閑散としていて、賑わう大通りの喧騒が遠巻きに聞こえる。
そんな通り一つ違うだけの暗がりの世界に私は安堵した。
これで、心置きなく泣ける……と、
そう思ってすぐ近くにあった店の外壁に背を預けながら地べたに座り込むと、膝を抱き締め顔を埋めた。
もしかしたら、そうなんじゃないかって事は薄々気付いていた……。
『君を本気で愛したいと思っている』
結婚初夜の時に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
あの時、本当に嬉しかった。――手に入ったと。そう思ってしまった。
ヴィルドレット様の心が、愛が――、手に入ったと……
一生愛されないかもしれないという懸念に駆られていたあの時の私の喜びはもはや例えようがないほどだった。
孤独で寂しかった前世の頃のあの思い――『幸せになりたい』という思いが報われたと思った瞬間だった。
でも、今思えばその時だったのだろうと思う。私の中で新たな懸念が芽生えたのは。
もの凄く嬉しかったから。幸せだと感じたから。ヴィルドレット様の事が好きで好きで堪らなくなった瞬間だったから。
だから、『一生愛されないかもしれない』という心配事が一つ無くなっても、また新たに心配事が芽生えてしまった。
ヴィルドレット様の心の中には誰かが存在していて、本当の想い人はその人なのかもしれない、と。
そんな事を考えるようになったのはその時からだ。
絶対に手放したくないと思うが故の過剰な憂心だと、そう自分に言い聞かせても考えれば考えるほどに合点がいった。
頑なに結婚を拒んでいた事も、私を妻として愛する事への葛藤が窺えたりした事も、本当に好きな人が別に存在するのならば納得ができる。
私以外の誰かに、私以上の親愛を寄せているなんて……そんな事……
そんな事を考えないよう幾ら抗っても、幾ら逃げても、ヴィルドレット様が私のもとからいなくなる恐怖が後から追いかけて来た。
そして、さっきのヴィルドレット様とのやり取り。
『天真爛漫で無邪気なところが君とよく似ている』
私とその人とは似ているらしい。
おそらく私をその人の代わり、代替え品のように見ているのだろうと思う。
自然と怒りが込み上げ、いっそこのままヴィルドレット様の事を嫌いになってしまいたい。……それができたならばどんなに楽だろうか。でも、
そんな事は当然、出来ない。……辛い。
人を好きになる事がこんなにも辛く苦しいものだなんて思いもしなかった。
初日の夜にヴィルドレット様から『愛さない』と告げられた時よりも、疎まれ魔女として生きた日々よりも、クロが死んだ時よりも――これまでに私が経験したどんな辛い出来事よりも今が一番辛い。
『君を愛したい……愛したい……愛したい……愛したい……』
幸せの虚像に酔いしれていただけ。
――本当、私って馬鹿みたい。
ボロボロと大粒の涙が地面へ落ちていく。
人目につかない事をいいことに私は思い切り泣いた。声を出して子供みたいに泣きじゃくった。
「一体、どんな……」
私の中で嫉妬心が芽生える。
「……私に似てるって、一体どんな女なのよ……」
ヴィルドレット様の心は間違いなくその人の下にある。
その人が羨ましい。その人になりたいと――、そう思ったその時だった。
「――悔しい?」
ふと、慣れ親しんだ懐かしい声音が鼓膜を震わせ、私は顔を上げるとそこに立っていたのは――
◎
結婚後の初めての俺の休日、俺とハンナはエドワード領の中心街を訪れていた。特に用事はない。
そう。つまるところ、俺にとっての初デートというやつだ。
結婚して妻になったとはいえ、出会ってまだ日も浅く、女慣れしていない俺は今日の日を迎えるまで己の高鳴る鼓動を抑えるのにとても苦労した。
――恐い。 ただでさえ女性との2人きりが苦手な俺にデートはあまりにハードルが高い。
オドオドしながらグダグダのデート運びをする己の姿が目に浮かび、俺のような恋愛初心者が行き当たりばったりで行くなんてまさに自殺行為だろうと、ハンナに愛想を尽かされるのが恐くて入念なデートプランまで練った。
しかし、それも俺の余計な一言のせいで全て台無しになってしまった。
――バレてしまったのだ。
『私と結婚するまで、頑なに結婚を拒み続けていた理由はその人なんですね?』
俺の中で生き続けている魔女の存在が……
『私とその人が似ているから、だから私と結婚してくれた、そうなんですね?』
叶わなかった俺の初恋を……魔女に、ハンナを重ねて見ていた事を……。
魔女への想いを断ち切り、ハンナだけを愛すると誓ったはずなのに、現に今も、魔女は俺の心中で微笑んでいる。
結局はハンナの指摘通り、叶わなかった魔女との恋をハンナとの結婚の中に見出し、酔っていただけ。
いくら心に刻んでいても、どうしてもハンナを死んだはずの魔女のように見てしまっていた。
――やはり、ダメらしい。
ハンナからの指摘は全て俺の本心を貫いていて、もはや弁解の余地など何処にも無い。
これ以上ハンナの側にいては彼女を傷つけるだけ。故に、この結婚はやはり無かった事に――
『ダメ!! 追いかけて!!』
「――ッ!?」
ハンナとの別れを決意しようとしたその時、これまで微笑んでいただけだった俺の中の魔女が突然叫んだ。
『追いかけて! そして捕まえて、抱き締めて!! 絶対に離さないでっ!!』
魔女のその叫びに俺の体は咄嗟に動いた。迷いは無かった。ハンナを追いかけねばと、その一心だった。しかし、丁度そのタイミングで、
「お待たせ致しました。御注文のオムライスとハンバーグでございます」
注文していた料理が運ばれて来た。
「大変申し訳ないのだが急用が出来てしまった。これは出来れば君達のまかないにでもしてくれ。 釣りは要らない。」
そう言って俺は代金より多めの金をテーブル上に置き、ハンナの後を追った。




