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第二話 初夜は明日でしょ?

 ――聖歴417年 エドワード家邸宅にて




 私は今、凄く動揺している。 


「……え、いや、ちょっと待って……結婚式は明日よね?」


 確かにエドワード家で過ごす夜は今日が初めてだけど、結婚式は明日なんだから――


「当然、結婚初夜も明日でしょ?違うの?」


 私ことハンナ・スカーレットは明日、王国屈指の名家、エドワード公爵家の嫡子にあたるヴィルドレット・エドワード様と結婚する。

 20歳を目前にしての結婚は一般的には遅い方だけど、ずっと憧れていた結婚が現実になる事に私は心弾ませていた。


 しかも、お相手はあのヴィルドレット様。 夢みたい……


 しかし、エドワード公爵家における現時点での私の立場はあくまでも正客。


 それ故、今夜に限っては客人用の寝室に通されている訳だけど、「あとで、君の部屋へ行ってもよいだろうか?」だなんてヴィルドレット様が言って来たものだから、さぁ大変。


 落ち着かない私は一人、部屋の中を意味なく巡回する。


「どうしよう……」


 明日だと思ってたところにいきなりそんな事を言われても心の準備というものが出来ていない……まぁ仮に、予定通り明日だったとしても、それはそれで明日の夜にまた、あたふたするんだろうけど。


 ……そんな事より!

 乙女としての私を捧げる瞬間が刻一刻と迫っている()()『私』は大丈夫な状態なの!?


 私は慌てて頭の中で()()『私』を巡らせる。


 まずは心の準備――前述した通り出来ていない。ばつ!次! 

 お風呂――たった今入ったばかりだから大丈夫。まる!次! 

 下着――「!!」


 私は咄嗟に自分が着てるローブの裾を捲り上げ、自分の股の所を覗き込む。


「やっぱり白だ……」


 ――通称『白』。

 やたらと分厚い純白生地にリボンがあしらわれた下着(これ)は、私の年齢不相応な幼い容姿を更に助長させてしまうが、その反面、肌触りが素晴らしく(暖かくてお腹が冷えないの)『白』『黒』『桃』の中で一番多くの時間を私と共に過ごす、いわば相棒のような存在。

 そんな『白』はもはやもう、身体(わたし)の一部と言ってしまっていい。 ※『白』は高稼働につき3枚体制だ。


 でも、今の私に必要なのは『(これ)』じゃない! 

 そう。 遂に来たのよ! この時が――『黒』の出番が!


 ――通称『黒』。

 オトナな印象を与える黒色の下着(それ)は薄手のレース生地でちょっぴりキ・ケ・ンなデザイン。

 しかし、『黒』は私の幼さをカバー出来る反面お腹が冷えてしまう事が難点。

 故に『黒』は試しに一度だけ、一瞬だけ身につけて以来箪笥に仕舞いっ放しだった。


 いつか訪れるかもしれないその時の為の『黒』だったというのに……その時を明日の夜に照準を合わせていた私の股間にはもちろん『黒』はいない。 いるのはいつもの『(あいぼう)』。


 ――ダメ! ただでさえ幼い顔立ちの私は、これ以上幼く見られる訳にはいかない!


 かといって『黒』は今手元にいない。私の身の回りの荷物は全てエドワード家の侍女に預けてある。

 

「早く下着を替えなきゃ!」

 

 侍女を呼ぼうと私が扉に向かおうとしたその時、コンコンと扉をノックする音がした。


「入ってもよいだろうか」


 扉越しにヴィルドレット様の声が聞こえると、私はその瞬間『黒』の事を諦め、いつもの『白』に全てを託す事にした。


 この期に及んで夫となる人の前で装う事もないだろう。ありのままの私を曝け出してこそ、夫婦の契りを交わすというもの。(まだ夫婦じゃなけど……)

 ならば、『白』を身につけた私こそがありのままの私――むしろ好都合だ。


 大丈夫。ヴィルドレット様なら『白』ごと私を愛してくれるはずだ。 たぶん……


 不安要素を無理矢理潰し、「大丈夫」と心の中で何度も自分に言い聞かす。

 目を瞑り、一呼吸挟むと多少なりの胸の高鳴りは治った。


 ゆっくり目を開けた私は「よし」と小さく呟き、そして扉を開く――


「はい……」


 


 ◎




 寝台の端に腰掛ける私と対面する形でヴィルドレット様は側にあった椅子に腰を落とした。


 私は目の前にあるヴィルドレット様の顔貌を直視する勇気が持てず、その後ろの向こうでゆらゆら揺れ動く蝋燭の火の灯りに目線を逃がしたまま――


 ドクン、ドクン、ドクン……


 心臓の鼓動が大きく響き、身体は小刻みに震える。


 なんだか恐い……


「ハンナ嬢、まずは我がエドワード家へ嫁いで来てくれた事を感謝する。ありがとう」


「ひ、いえ……と、とんでもありません! ふ、不束者ですが、どうか末永くよろしくお願いします!」


 ヴィルドレット様の第一声にビクっとなって、肩に力が入る。


 未だ蝋燭の火を一点に見つめる私の視界の片隅には、半身を乗り出してこちらを見つめるヴィルドレット様の姿がぼんやりと映る。


 これ以上逃げてはいけないと、私は自らを叱咤し、恐る恐る焦点をヴィルドレット様の顔の方へとすべらせていく。

 

 暗がりの中、オレンジ色の灯に照らし出されたヴィルドレット様の容貌はとても美しく魅惑的で、私を見据えるグリーンの瞳は後ろの蝋燭の火と並んで妖美に輝いていた。


「ハンナ嬢……」


 ヴィルドレット様は目を細めて私の名前を呼んだ。


 何かとは言わないが、私は覚悟を決め、息を呑み、真剣な表情で返事をする。


「――はい」


 私の全てを捧げるつもりで……恐いながらも一世一代の決意と誠心誠意を込めた眼差しをヴィルドレット様へと向ける。


 しかし、何故かヴィルドレット様は逃げるように私から視線を外し、一度目を伏せ、すぐに視線を元に戻したその表情は心なしか険しく見えた。


 え? もしかして、今の私の視線、重すぎた? 


 いつの間にか眉間に力が入っている事に気付いた私はハッと目を見開く。


 たぶん、ヴィルドレット様は私の眼差しからギラギラした何かを感じ取ったのだろう。

 まるで肉食獣に睨まれたウサギのように、震えて怯えて、視線を逸らしたに違いない。


 一体私はどんな貌で睨んでいたのだろうと思うと、恥ずかしくて顔が熱くなる。しかし、悶えてる場合ではない。

 私は慌てて弁明に走る。


「……あ、いや……こ、これは違うんです――」


「明日の結婚式を前に君に言っておかなければならない事がある」


 しかし、ヴィルドレット様の低い声音がそれを遮った。


 明らかに室内に流れる空気が変わり、その不穏な空気に私は再び息を呑む。


 一呼吸挟み、佇まいを正し、改めてヴィルドレット様を見る。 今度は眉間に力を抜いて。


「……はい。何なりとお申し付け下さい」


「この先、私が君を愛する事は無い。それでも、君は私の妻となってくれるか?」


「……はい?」


 言っている意味が分からなかった。


 え? 何? どういう事? 

 愛する事はしないけど、妻にはなってくれ――って事?


 結婚=愛し合う事。そう思っていた私は困惑した。


 そして、たった今まで私の心を支配していたあの乙女心は霧散した。




 前世……『魔女』として生きた私は人々から疎まれ、孤独だった。

 そんな私は『結婚』に強い憧れを持ち、それは今も変わらない。


 前世を孤独に生き、孤独に死んだ私にとって、愛する人と死ぬまで一緒にいられる事は無上の喜びだ。


 だから結婚(それ)が叶おうとしてる今、今度の人生こそ私は幸せになれると、そう信じていた……


 誰かを愛し、誰かに愛され、支え合い、励まし合いながら、苦しくとも険しい人生を共に歩んで行く誓いこそが結婚なんじゃないの?


 確かにこの結婚は急遽決まった貴族同士の政略結婚。


 だけれど、私はこの結婚を心から喜んでいるし、ヴィルドレット様の事を心から愛する誓いも立てている。

 私は本気でこの結婚に臨んでいるけどヴィルドレット様はそうではないという事? 


 やっぱり今日の明日、いきなり結婚するのは気が引ける?


 ――それとも何? 本気だったけど、実際に会ってみて私はヴィルドレット様の好みのタイプでは無かったとか?


 まぁ、貴族の間では美人で大人っぽい女性がモテるって言うしね……


 それに引き換え、私は童顔で実年齢よりも幼く見られる事が多い……


「よろしければ、理由を……お聞かせ願えませんか?」


 その真意を知るべく私は問いた。


 で、それに対してヴィルドレット様からもたらされた答えが――


「……この結婚は『政略結婚』だ。故に、この結婚に『愛』は要らないはずだが?」


 私が思い描いた幸せのかたちを壊すものだった。


 やっぱりこうなるか……


 実は、私にとってこの展開は全く予想していなかった事ではなく、むしろ想定内の事。

 ただ、その『想定内』は最悪の展開である事に間違はない。


 それでも私はなんとか食い下がろうと、ローブの裾をぎゅっと握り締めながら必死に言葉を紡ぎ出す。 結婚(ゆめ)の為に――


「確かにこの結婚は政略結婚であり、今の私達の間に愛は無いのかもしれません。ですが、そんな寂しい事を仰らないで下さい。 私はこの結婚に希望を持ち、幸せな結婚生活を夢みているんです。 たとえ政略結婚であっても共に生活していく中で自然と愛は芽生えていくかと思うのですが――」


「――いや、私は無いと思う。……永遠に」


 再びヴィルドレット様の言葉が遮った。


 そ、そこまで言い切らなくても……


 この一言に私の心は砕け散り、その後に返す言葉を失った。


 思わず涙が溢れそうになった。でも、なんとか堪える。

 今、この人に涙を見せたくない。


「……結婚式は明日だ。今ならまだ間に合う。この結婚取りやめるか?」


 今の私の心情を悟った上での提案だろうが、この期に及んで私に選択権はもはや無い。


「いいえ。結構です! 予定通り明日、私達の結婚式を執り行いましょう。」


 さっきまでの弱々しい声音から一転、低いトーンではっきりとした口調で私は答えた。 少しばかりの怒りの感情を込めながら。


 さて、私達の結婚の有無について話を戻すと、私はこの結婚を無かった事にするつもりは無い。

 そもそも、『――妻になってくれるか?』と言われている時点で、下級貴族の私の口からこの結婚を無くす事は出来ない。


 それに、形はどうあれ前世の頃から夢焦がれた結婚が現実のものとなるのだ。 夫婦となれるのだ。

 こんな形でも『嬉しい』の感情がある事に自分でも驚く。


 それほどまでに私は結婚に憧れていたのだろう。 苦楽を共にし、男と女、常に隣りに寄り添い、綺麗な出来事も汚い出来事も出会ってからの一生を共に歩む――そんな結婚の形に。


 とはいえ、永遠に愛されない結婚かぁ……という落胆の念も同時にあるのも事実で。

 おそらくは愛そうともしてくれないのだろう。


 正直腹立たしい気持ちもあるが、私はヴィルドレット様に対して腹を立てれる程きれいな女でもない。


 いずれにせよ今更、無くす事の出来ないこの結婚。幸せになれるか、なれないかは私次第だろう。


 いつか……


 ――『愛してる』と。


 心からそう言われる女になりたい。そうなれるように努力しよう。いや、そうならなければならないのだ。

 誰の為でもない、私自身の為に――

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