第十九話 悲劇の侯爵令嬢
「もしかすると、それはシンシア様の事についてかもしれませんね……」
リズが暗く深刻な表情で口にしたシンシア様という人物。
最近、世間を賑わせている『悲劇の侯爵令嬢』と同じ名前だ。
「……それって、まさか第一王子の元婚約者のレオール侯爵令嬢様の事?」
リズは静かに頷いた。
「……それが一体、お義父様や、ヴィルドレット様……ひいてはエドワード家と何の関係があるっていうの?」
婚約破棄された挙句、斬首刑になった『悲劇の侯爵令嬢』……シンシア侯爵令嬢様。
全く関係のない私が聞いても憤りを覚えたのに、そんな方とエドワード家が何か関係があるとすれば、それはただ事では無い気がする。
「レオール侯爵家は亡くなられた奥様の実家でございます。そして、シンシア様は旦那様の姪にあたり、ヴィルドレット様の従姉妹にあたります」
……やはり、ただ事では無かった。
「それで、お義父様とヴィルドレット様は?」
私は続きを促した。
「我々使用人には旦那様や、お坊ちゃまがこの事をどう受け止めているかは正直存じ上げておりません。しかし、旦那様は娘のように、お坊ちゃまは妹のようにシンシア様の事を可愛がっておられましたので、シンシア様を失った事を知った際は悲しみに暮れたでしょうし、処刑へと追いやった聖女と第一王子に対して言い知れぬ憎しみをお持ちだという事は容易に想像できます」
まさか、あのシンシア様とそんな関係だっただなんて……。
お義父様やヴィルドレット様の様子から何も窺い知れる事は無かった。たぶん、私の前では務めて気丈に振る舞っていったのだろう。
「私がここへ来る前のお義父様とヴィルドレット様はどんな様子だった?」
「かなり殺気立っておられました。普段2人とも穏やかでいらっしゃる為、それの原因がシンシア様の事だという事は明白でした」
朝食の時に垣間見た憎悪に満ちたお義父様とヴィルドレット様の顔を思い出す。
『ヴィルドレット。 この後すぐ、私の部屋へ来るように』
『はい』
結婚式が終わって一段落ついた今、あの2人は王家相手に一体何を企んでいるの?
◎
「正気ですか!?父上」
「あぁ、本気も本気だ。お前とハンナとの結婚が成った今、私にとっての憂い事は無くなった。もしも私の身に何かあってもお前とハンナならエドワード家をこれまで通り、いや、これまで以上に盛り立てていってくれるだろうからな」
「死ぬ覚悟なのですか?」
「あぁ。フェリクス王子と聖女アリス。あの者達を生かしておくわけにはいかない。シンシアの無念は私が晴らす。そうせねば、いずれこの命が尽きた時、その時にあの世でシンシアに顔向けできない」
父は執務机の椅子に腰掛けながら低い声でそう言った。
「そこまで父上が覚悟を決めておられるのならば、私も覚悟を決め、父上に尽くしましょう」
「馬鹿者!!」
父上の怒声が響いた。
「お前はエドワード家唯一の跡取りだ。お前の双肩にはこれからのエドワード領とハンナの幸せがかかっておるのだ」
父上は一息挟み、険しい顔から一転、表情を穏やかにして続けた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ。私を誰だと思っている。確かに死ぬ覚悟ではいるが、だからといって死ぬつもりは無い。お前たちの子の顔を見るまでは何が何でも生き抜いてやるつもりだ」
そうは言っても父がやろうとしている事は普通に考えて自殺行為だ。
王政転覆を狙った所謂クーデターを起こすつもりらしい。
シンシアの一件から王国へ対する国民感情は悪化して反発する者が増えていると聞く。
今の状況下ならば王国軍の総司令を務める父の一声で軍は反旗を翻すかもしれない。 もちろん、その全軍を掌握するのは無理だろう。良くて、3割といったところか……。
それに、相手取るのは王家、この国を取り仕切る最高権力。無論、一筋縄ではいかない。 そして、何より……
「父上。やはり、私もお供致します。そうしなければ私は立場上、父上を今すぐ糾弾せねばなりません。」
俺は近衛騎士団。しかも団長だ。
父は俺を共犯者に巻き込まない限り、俺と敵対する事になる。
父は俺の言葉に驚いた様な表情をみせたが、すぐに「ふっ」と笑みを浮かべた。
「確かにお前の言う通りだな。正直、いくら軍を掌握出来たとしても、聖女率いる王立魔術団相手じゃ少々分が悪いと思っていたところだ。今、何より欲しいのは武力だ。剣聖の称号を持つお前が力になってくれるのならば、これほど心強い事はない。」
父は俺に深々と頭を下げ、こうして俺達親子は王家を相手取った戦を心に決めたのだった。
「王政転覆への最大の壁はやはり、王立魔術団だろうな」
「そうですね。特に聖女アリスの持つ魔力は最大の脅威になるでしょう。逆に、聖女さえ何とかなれば……」
ここで俺は一つとても大事な事を確認すべく父上へ投げ掛けた。
「ところで、父上はどれ程度の規模の反乱軍を想定しておいでですか?」
「……もちろん……王国軍の寝返りは見込んでいる……」
明らかに父上の歯切れが悪くなった。俺は詰め寄る様に更に聞く。
「何割程ですか?」
「……3割といったところか」
「やはり、兵力が足りませんね」
俺は頭を抱えた。
仮に王国軍の3割が反乱軍に寝返ったとして、残り7割の王国軍、更には近衛騎士団、更には王立魔術団を相手取って勝てるわけがない。
もちろん、俺の声で近衛騎士団からも多少の増軍は出来るだろうが大きな期待は出来ない。
「あくまで今は、という事だ。だから、まずは時間を掛けて状況を整える。何せ、あの大聖女イリアスの再来と呼ばれる程の魔術師を相手にするのだ。抜かり無くやるつもだ」
父には何か策があるのだろう。本当ならそこのところを深く聞くべきなのだろうが、突然出てきた『大聖女イリアス』の単語に俺の関心は釘付けになった。
「大聖女イリアスの再来とはどういう事ですか?」
すると父は「何だ知らないのか?」と目を丸くして続けた。
「最近、聖女アリスの事をそう呼ぶ者が増えているらしい。そして本人もまた、自分は大聖女イリアスの生まれ変わりだと口にしているという事だ」
大聖女イリアスは魔女を殺した仇だ。
「……それは本当ですか?」
「あくまで自称だがな」
――それでもいい。
仮にホラ吹きだったとしても、シンシアの仇には違いない。どう転ぼうが、俺の中での大義名分は揺るがない。
まさか魔女の仇討ちをこの手で成せる時が訪れようとは夢にも思わなかった。この好機、絶対に逃す手は無い。
思わず笑みが溢れる。その笑みの意味が分からない父は顔を強張らせる。
そして俺は心の中で呟く。
聖女アリスを殺すと――
しかしそんな時、何故か頭に浮かんだのは魔女ではなく、ハンナの悪戯な笑顔だった。




