第十二話 クロとの記憶
「ねぇ、クロ。 私って、人間じゃないないんだ。 知ってた?知らないよね」
黒くフサフサとした背中を撫でながら私は語り掛けるようにして呟いた。もちろん、クロからの反応は無い。床で背中を丸くしているだけだ。
果たしてクロに、私の言う事が伝わっているのだろうか?
そんなあり得もしないような事をわざわざ考えてしまう程に私は言葉が交わせる相手に飢えていた。
私の心は常に冷え、どうしようもない侘しさにもがき苦しみながらただただ孤独に……クロだけを頼りに生きている。
私は、私をそんな風に作った女神様の事を恨んでいる。
「私はね。女神様によって作られた存在で、この世界を壊す事が私の使命で、それ以外に存在意義なんて無いんだってさ……」
だったら……いっその事、そんな馬鹿げた使命を何の躊躇もなくやってしまえるような残酷非道な思考回路しか持たない、ただの殺戮人形のように私を作って欲しかった。
「……ただの殺戮人形で良かったのに……何であるんだろうね。私に、こんな『寂しい』なんて感情が……」
寂しいだけならまだしも……
「……どうしてこんな願望まで抱いちゃうんだろう……こんなの辛いだけだよ」
私は『人』に強い憧れを抱いている。
人は皆、互いに助け合い、支え合い、愛し合いながら人同士の交わりの中で生きている。私もそんな風に生きてみたい。人が羨ましい。
人を殺す事を使命に持つ私のような存在が、こんな事を思う事自体、烏滸がましい事だと自分でも思う。でも、私の中から湧き上がってくる本望は抑えきれず、ただただ膨張していくばかり。
嫌われながら一人寂しく過ごす日々は辛い。辛過ぎる。もう嫌!もうたくさん!孤独は嫌!嫌わられながら生きるのも嫌!
私は人として生きてみたい。愛されて、誰かと交わりながら生きてみたい。 もっと言えば結婚してみたい。
しかし、人から疎まれる存在の魔女の私には、こんな夢物語はもはや雲を掴む方がよっぽ簡単なのでは?と、そう思ってしまう程にあり得ない事だった。
「……だけど思っちゃうんだよね。馬鹿みたいに。 愛されるってどんな感じなんだろう、って。 きっと幸せな事なんだろうなぁ」
そう言いながらクロを抱き上げ、クロの顔を見る。
「…………」
こちらを見つめるクロのこのつぶらな瞳に私の心はどれほど救われている事か。もはや計り知れない。
孤独で、寂しがり屋の私にとって、唯一癒しを感じさせてくれるクロ。
だけれど、言葉を交わせない事への虚無感は埋まらない。
「……クロ。私を助けて……そして、クロが私の旦那さんになって?」
私にはクロしか居ないから、だからクロに対してこんな戯言をよく口にしてしまう。
でも、それを戯言としている一方では、本当にクロが人間だった場合の架空の人物像を私の中で形成しているような気がする。
そして、それはきっと私にとっての理想の人物像なのだろうと思う。
ふわっと、私の目に映るクロの顔がぼやけて意識が浮上していく。
――あぁ。 夢か。
夢から現実に、意識が戻って来た事を自覚しながらゆっくりと瞼を開ける。するとそこには、
「――!?」
すぐ目の前にこちらを見つめるヴィルドレット様の顔があった。
……ち、近いんですけど……
私は重いはずの瞼を一気に上げ、目を見開き、枕に沈む後頭部を更に沈み込ませる。
「な、なな、何ですか?」
ヴィルドレット様はすぐに顔を上げ、私から距離を取った。
直後のヴィルドレット様は頬を赤くし、慌てたように視線を泳がせた。
「……あっ……いや、すまない……」
私も頬に熱を感じながら、まずは朝の挨拶を口にする。
「……おはようございます。」
そして、何故私の寝起き一番のあり得ない距離感にヴィルドレット様の顔があったのかを問うような目で見つめる。
対するヴィルドレット様は逡巡しながらたどたどしく口を開いた。
「……き、今日は俺達の結婚式だからな。花嫁の君はいろいろと準備に忙しいだろうと……そろそろ起こしてやるかと、そう思ったところに、丁度君が目を覚ました。 ただ、それだけの事だ」
途切れ途切れで、非常に不自然な、如何にも迷いながら紡ぎ出されたヴィルドレット様の返答に頬が緩む。それに、
また、一人称が『俺』になってる。
素のヴィルドレット様がこんにちわしてますよ?
ふふっ、と私が吹き出したように笑うと、ヴィルドレット様は「何がそんなにおかしいんだ」と、ムキになった。その顔が可笑しくて私は更に声を上げて笑った。
「あははは!!」
「……だから、何故笑う?!!」
今のヴィルドレット様の必死な顔を見た瞬間、私の心に悪戯な火が灯った。
私は目細め、更に少し横目がちにヴィルドレット様を見やると、ニヤリと小悪魔的な笑みを浮かべて、こんな事を言ってみせた。
「それにしても……やっちゃいましたね。私達。結婚初夜も待たずに」
そう言って自分で堪え切れなくなった私がクスクスと笑っていると、突然頭を大きな手の平でガシリと鷲掴みにされて、そのままクイっとヴィルドレット様の顔の方へと向けられた。
いや、だから、顔が近いですって!!
私は咄嗟にオーバーヒートした顔を下へ向けようとしたが、
「――へ?」
私の頭はガシっと両手で固定され、
「おい! お前、気は確か? ん? そうか!まだ夢の中か!ならば俺が起こしてやろう!」
そう言ってそのまま私の頭はグワングワンと揺らされ、視界が左右交互に流れる。
「どうだ!?目が覚めたか? え? そうか、まだか。 全く、欲しがりな困った奴だな!!お前は」
頭の揺れが加速し、視界の流れがさらに速くなる。私は堪らず声を上げた。
「ぉお、起きました!起きましたから〜!」
ようやく揺れがおさまり、私は「ヘェ〜」と大きく息を吐いた。
「そうか、それは良かった。 では、改めておはよう」
「お、おはようございます……」
ふざけ過ぎた事を反省しつつ、改めて朝の挨拶を交わした。
――コンコン
すると丁度そのタイミングで、扉がノックされた。
「……大変恐縮ながら朝食の準備が整いました事をお知らせしに参りました」
扉越しに聞こえる声の主はルイスさんだ。そして、不自然な間を挟んだ後に補足の言葉が付け足された。
「……もしも、まだお取込み中だった場合は無視してくださいませ」
言葉の端々に迷いと遠慮が窺えるルイスさんの声が終わった瞬間、私の心にまたしても悪戯な火が灯ってしまった。
「はーい!ありがとうございまーす! でも今はまだお取込み中ですので、邪魔しないで下さーい! 終わったら行きますのでー」
私はわざとらしく、大きく元気な声で扉越しに言った。
「こ、これは、失礼致しましたッ!! では、ごゆっくりと――」
ルイスさんは焦った口調でそう言い残し、そそくさと立ち去って行った。
私はニシシと小悪魔的に笑いながらヴィルドレット様を見ると、苛立ちと陰湿な笑みをミックスさせたような、何ともおぞましい表情でこちらを睨みつけていた。
「なんだ? お前、まだ寝惚けてるのか?」
「ひぃぃ……」
そして両手で頭を掴まれ、
「……大丈夫だ。優しくしてやるから」
「ぁああーー!!やめてーーっ!!」
またしても、激しく振り振りされてしまった。




