第十一話 しまった!!(ヴィルドレット視点)
大広間に響くハンナの笑い声。まさに、天真爛漫という言葉がぴったりの女性だ。
無邪気で、明るく、愛らしい、彼女は太陽のようにこの場を明るく照らしている。
こんなにもくだけた雰囲気の夕食はいつぶりだろうか。心なしか料理も一際美味しく感じる。
一人で食べる食事が如何に味気ないものなのかを思い知らされる。
「それで!?それで!? そこで、お義父様はお義母様に何て言ってあげたんですか!?」
母との馴れ初めの時の事を上機嫌で話す父。それに対してハンナは目を輝かせながら話の続きを煽る。
「まぁ、待て。ハンナ嬢。 そう、急かすな」
「はやく、はやく」と、身を乗り出すハンナに対して父は笑顔で「まぁまぁ」と、手の平を向けて宥めながら酒の入ったグラスに口を付けた。
しかしハンナは焦らされた事が不服だったようで膨れ顔だ。
「もうッ!! もったいぶらないで下さいよ!!」
「あっはっはっは! ハンナ嬢は誠、こういった恋情物話が好きなのだな」
「はい!大好きです! 人の恋愛話を聞いていると何だか私まで幸せな気分になりますし、それにドキドキもします」
ハンナは頬を薄紅色に染めながらグラスに口を付ける。少し酔っている様子だ。
童顔の上に艶やかな表情が貼り付き、俺は無意識にハンナのその横顔を見つめていた。
大丈夫。父の話に聞き入っているハンナは俺の視線に気付いていない――と思っていたら、
「――ッ!?」
ハンナが急にこちら側を振り向いて、俺は思わず仰け反った。
「お義父様と、お義母様。 素敵ですね! 私達もそんな素敵な夫婦になれますかね?」
こちらを振り向いたハンナの表情はキラキラしているが、対する俺は苦い笑みで言葉を詰まらせる。
「…………」
心臓が止まるかと思った……。額にも冷や汗が滲む。
「あぁ〜。その顔は思ってませんね?」
笑顔の表情のままハンナは更に続けた。
「まぁ、今はそう思えなくて当然ですよ。どれだけ時間が掛かろうと、ゆっくり目指しましょ? お義父様とお義母様みたいな素敵な夫婦を」
ハンナのその明るい表情に、何というか、俺の中での何かが溶けていくような……嬉しいような、心が弾み、そんなキラキラとした感覚に陥った。
それが何なのかは分からない。でも一つだけ。 今のではっきりと分かった事がある。 それは……
やはり、彼女は俺のような過去の恋を引きずるしかできない奴と一緒にいてはいけないという事だ。
「うんうん、それで?それで?」
「そこで、私はエリーに初めてキスをしたわけだな」
無邪気にはしゃぐハンナを見ながら俺は決心する。
「ひゃっ!! お義父様ったら大胆!!」
この女性が幸せになる邪魔をしてはいけないと。
「男は大胆過ぎるくらいが丁度いいんだ。 な? ハンナ嬢もそう思うだろ?」
「確かに、確かに」
「全く、ヴィルドレットにも私のような大胆さを見習って欲しいものだ」
父とハンナとの間で会話が弾む中、俺は唐突に口を挟んだ。
「――ハンナ嬢!」
「へ?」
思い掛けないタイミング且つ、珍しく力の籠った俺の声にハンナは呆けた顔でこちらを振り向いた。
「2人きりで君と話がしたい。後で、君の部屋へ伺ってもよいだろうか?」
「…………え?」
瞬間、ハンナの顔全体が真っ赤に染まっていく。
「え、いや、その、そんないきなり……って……えぇ!?いや、だって、私まだ心の準備が……」
さっきまでのキラキラした笑顔は何処へやら。ハンナは焦点が定まらない目をグルグル回しながら、ひとしきりあたふたした後、ハッと我に返ったような表情になって勢い良くその場で立ち上がった。
「ご馳走様でした。 私……、お風呂に行って来ます」
ハンナのその顔は何かに覚悟を決め込んだような、そんなような表情をしていた。
……しまった!言い方が悪かった!
冷静になって自分が言った言葉を振り返り、それが大誤解を招く大失言だった事に気付いた時にはもう既に手遅れだった。
「お、お待ち下さい! ハンナ様!!」
そそくさと部屋を出て行くハンナの後を慌てて追う数人の侍女達。
そして、向かい側では、父とルイスが力強い握手を交わしている。
……はぁ。 厄介な事になってしまった。
俺は肩を落とした。
◎
侍女から、ハンナが入浴を済ませたと報告を受けた俺は、重い足取りでハンナの待つ客室へと向かった。
部屋の前まで来た俺は、こめかみの辺りを押さえながら目を瞑り考え込む。
全く、どうしたものか……。俺とした事が、もっと他の言い方があっただろうに。
いくら後悔しようが、扉の向こうでハンナは俺の事を待っている。
俺は、ハンナへ婚約の破棄を申し出るつもりだった。
彼女は俺に結婚の意思が無いと分かっていながら、それでも必死にこのエドワード家に馴染もうとしている。俺の心に優しく寄り添って「慌てないでゆっくりでいい」と、そんなハンナからのメッセージが俺の心に突き刺さる。
はっきり言って、魔女と似た雰囲気を持つハンナは俺にとってむしろ理想的な結婚相手だ。
ハンナの事を魔女と見立てて愛する事は、俺が今世で幸せになる上で、至高の妥協策と言えるだろう。
……でも、だからこそ……ハンナと魔女を重ねて見てしまうからこそ、ハンナには本当の意味で幸せになって欲しい。
しかしながらそう願う一方では、「この扉の向こうで待つ彼女の、女としての尊厳を傷付けたくない」そんな大義名分の下に俺の男としての欲情が湧き出てきているのも事実。
俺はそんな邪心を振り払うべく軽く頭を振り、唾をゴクリと飲み込んで、意を決して扉をノックした。
◎
部屋の中に入ると、ハンナは緊張した様子でベッドの端に腰掛けていた。頬を紅潮させながら俯き、着ているローブを強く握り締め、小刻みに震えている。俺はハンナの目の前にある椅子に腰掛けた。
「…………」
「…………」
何とも言い難い沈黙が落ち、しばらくしてハンナはやっと顔を上げ、恐る恐る俺の方を見ようとしたが、すぐに逸らしてどこか俺の後方の方へと視線を逃した。
「……まずは、礼を言わせて欲しい。 ハンナ嬢、この度は当家への嫁入り誠に感謝する。」
「ひっ……いえ! ふ、不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
ここでようやくハンナは視線を俺の方へやって、しばらく俺達は互いに見つめ合った。
頬と同じように耳も赤い。潤んだブラウンの瞳で見つめられて、不覚にも鼓動が高鳴る。まさか、ハンナにこの心音が届いているのでは?と思う程にドクン、ドクンとかなり大きく響いている。
……暴れる男心をぐっと堪え、俺は本来ハンナへ伝えるべき事を口にした。
「明日の結婚式を前に君に言っておかなければならない事がある」
「はい。何なりと」
佇まいを正し、真剣な眼差しをこちらへ向けるハンナへ、俺は身を切る思いでゆっくりと口を開いた。
「この先、私が君を愛する事は無い。それでも君は私の妻となってくれるか?」
ハンナと決別するつもりで言ったその言葉には、しかし、俺の本音が乗っていた。 そんな事を口走った自分を殴りたい。
ともあれ、俺に結婚の意思が無い事を分かっていたであろうハンナにとって、本来この展開はそれほどに意外なものではなかったはずだった。
しかし、今、暗がりの密室で2人きりのこの状況下ではもはや予想外だったのだろう。ハンナの顔には「何故?」と言った表情が張り付いている。
不覚だった。
俺のあの、誤解を招く大失言が無ければ、こんな状況下にさえしなければ彼女をここまで傷付けずに済んだはずだった。
ハンナは信じられないといった様子でしばらく固まっていたが、ハッと我に返り再び光を瞳に宿すと食い下がるように言った。
「……い、今は無理でも、結婚生活をしていく上でおのずと愛は芽生えていくのではないでしょうか?」
しかし、俺はそんなハンナにトドメを刺す。
「いや、私は無い。永遠にな」
俺にとって魔女はあまりに大きな存在で、今尚俺の心の大半を占める。正直、ハンナの魅力に落ちそうになった瞬間はあった。今でも葛藤している。
おそらく俺は、本音では、たぶん、ハンナを娶りたいと思っている。本当の意味でハンナを愛する自信がないのに。
その理由は一つ……
――魔女の代替え。
結局、俺の心の中の魔女をハンナが越える事はあり得ない。 事実、ハンナは魔女に似た雰囲気を持っている。俺がハンナに惹かれつつある理由はそれだ。
もしもハンナと結婚して夫婦となって、この先死ぬまで一緒に生きていく中で、俺はハンナの顔に魔女の面影を重ね続けるだろう。
ハンナにとってそんな結婚は本望ではないはずだ。いや、ハンナに限ったこれではない。どんな人であれ、自分の事を一番に想ってくれる人と結婚したいはずだ。
だから、俺には結婚など無理なのだ。……ハンナとは決別する他ない。それが彼女の為だ。
俺の言葉に茫然自失といった様子のハンナ。ここまで冷酷無慈悲な言葉を浴びせられれば、ハンナの俺へ対する思いも冷めてくれるだろう……。
……これでいい。俺と結婚しない事が彼女の為なのだから。
そう思いながら、ハンナがあの灰色の野良猫を抱き上げた時の映像が脳裏に浮かんだ。
「結婚式は明日だ。今ならまだ間に合う。この結婚は取り止めるべきだろう」
ハンナは暗い表情で沈黙する。
伝えるべき事を伝え、目的を果たした俺は、ハンナがいつか俺以外の男と幸せな結婚生活を築き上げる事を祈りながら、しかし、頭の片隅では後ろ髪を引かれる思いもあって。
そんな複雑でグチャグチャな心境で部屋を後にしようと立ち上ろうとした、その時だった――
「……いいえ。やめません。予定通り明日私達の結婚式を執り行いましょう」
瞳に光を取り戻したハンナが俺を見据えながら言った。
「な、何故だ!?ここまで言われてまでして、何故この結婚に執着する!?」
「私は一番好きな人と結婚したいです。それが昔からの夢でした。この縁談を逃した先に、これ以上の幸せな結婚が私に訪れるのでしょうか?そもそも、私みたいな女が結婚出来るかどうかも分かりません。ならば、今目の前のこの縁談に食らいつくのみ。それに、私は私なりに覚悟を決めているのです。ヴィルドレット様の事だけを愛すると誓いを立てています。ですから、お願いです。私をヴィルドレット様の隣に置いて頂けませか?」
「……分からないな……。こう言っては何だが、君は素敵な女性だ。だからこそ、俺のような男とは一緒にならない方がいい」
「それは、私が決める事です。私は貴方と幸せになりたいのです。いつか、貴方に『愛してる』と、そう言って貰えるように努力します。それに今更、この結婚は破談に出来ません。私の父にも迷惑を掛けてしまいますし、お義父様のあの様子からしましても、とてもそうはいかないはずです」
「……た、確かに。……君は本当に良いのか?俺のような男で」
「はい! もちろんです!!」
ハンナは間髪入れずにキラキラした笑顔で言った。
「……そうか、分かった。よろしく頼む」
「はい!こちらこそ!」
強い意志を持って挑んだつもりだったが、結局ハンナの押しに負けてしまった。
本当に、これで良かったのだろうか?
魔女の顔が脳裏に浮かんだ。すると魔女はニッコリ笑みを浮かべて頷いた。




