司祭の力
聖教会に着いた二人は応接室に通された。
そこで待っていたのは、この国のすべての神官の頂点に立つ司祭ノキアであった。
「初めまして。私はノキア・ノーム。君の叔父さんとは昔からの友人よ」
くすんだ茶色の髪を肩で切りそろえ、珍しい赤い神官服を纏った女性は、そう言って右手を差し出した。
「セシル・ランサーです。よろしくお願いいたします」
セシルが応えた手を、ノキアは微笑みながら握り返す。
「…あっ」
その瞬間、痺れるような感覚が全身を駆け巡り、セシルは反射的に手を引いてしまった。
「申し訳ありません」
とっさの行動とはいえ、失礼な態度をとってしまったことを、セシルは素直に詫びる。
しかし、ノキアに気分を害した様子はない。唇の端を上げてこちらを見ている姿は、むしろ楽しんでいるかのようだった。
「あらまぁ、これがわかるのね」
「しびれたように感じました」
「実は君の体に魔法をかけて調べさせてもらったんだよ」
「僕の体をですか」
司祭は自分を疑っているのだろうか。初対面だから、敵の間者だと思われているとか。
「そんな顔をしないでほしいな。悪いことはしていないよ」
「では、何を…」
ノキアはわざとらしく片眉を上げて、セシルを見つめた。
その強い目力に、背中が泡立つ。
「君が恋をしているか」
どくん、と心臓が跳ねた。
恋なんて、そんなはずは…。でも、もしかしたら…。
「…そ、そんなことがわかるのですか?」
「もちろん。私を誰だと思って…」
「おい、俺の甥をからかうのはよしてくれ」
セシルが問いかけようとした瞬間、応接室に叔父の声が響いた。そこでようやくセシルは騙されたことを悟る。
ノキアはつまらなそうに叔父を睨んだ。
「だって面白いじゃない。エレンの甥にしては純情そうだし、何より君の若い頃より数倍格好いい」
「悪かったな、不細工で」
「シェリーは無骨な男が好きだと言っていたよ」
亡くなった叔母の名前を出されて、言い返す気が失せたらしい。叔父は長いため息をついた。
「…くだらない前置きはそれくらいにして、そろそろ説明してやれよ」
「はいはい」
叔父と同世代にしてはずいぶん若々しい印象の司祭は、セシルに向かって小さく舌を出した。
「こう見えても私は司祭だからね。君が誰かに変な魔法をかけられていたり、操られていたりしていないか検査させてもらったのよ」
「はぁ」
「それと、ついでに健康かどうかも見せてもらった」
「えっ?」
「右腕の筋を傷めているようだったから、それも治しておいたよ」
「ええっ?」
半信半疑でセシルは右腕を回してみる。すると、二日前に捻った右腕の痛みが跡形もなく消えていた。
「…すごい」
騎士団の治癒師に軽い傷を治してもらうときですら、もっと時間がかかっていたのに…。
「これが本物の司祭の力だ」
自分のことのように話す叔父に、セシルは頷き返す。
「エレンのことだから、がさつで司祭らしくないとか、魔法で騎士団の小屋を吹き飛ばしたことがあるとか、余計なことを吹き込んでいるだろうしね。実際に力を見せるのが一番手っ取り早いと思ったのさ」
「お前、そんなことしてたのか」
「知らなかったの?」
「やっぱり、お前だったのか」
「もう時効でしょ」
「そういう問題では…」
飲んでいた茶が気管に入ったのか、叔父は激しく咳き込みだした。セシルが背中を擦ると咳はおさまり、叔父は再度長椅子に腰掛ける。
「わざとじゃなかったし、気付かない方が悪いのよ」
ノキアは優雅な笑みを浮かべ、当たり前のように言い放った。一見、どこにでもいる普通の女性にしか見えないのだが、やはり只者ではない。
「そういえば、今日は金髪のお姫様は来ていないの?」
「ヒスイは今日の打ち合わせには必要ないから置いてきた」
「じゃあ、近いうちに兄妹揃って顔を見せるように言っておいて」
セシルは、ヒスイの兄である宰相には会ったことがない。一度だけ遠くから見かけたことがある程度だ。噂では妹と同じかそれ以上の美形だという。
「二人とも忙しいから、揃って来るのは難しいと思う」
「じゃあ、別々でもいいわ。特に兄貴の方は最近診ていないから、早めに来るようにってね」
「わかった。伝えておくよ」
…宰相閣下はどこか患っているのだろうか。
「では、当日の流れから…」
ふとした疑問を口にする前に、叔父と司祭は警備の話を始めてしまった。
セシルは話の内容を記録するので精一杯で、先程の疑問はいつの間にか意識の外に追いやられていた。