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完全な敗北

「はい、そこまで」


 広場中に響き渡るランサーの声で、セシルとヒスイはほぼ同時に手を止めた。


「これ以上やったら、ふたりとも今日の仕事ができなくなるぞ」


 呆れたような叔父の声に、セシルは剣を持つ手を下ろす。


 一気に汗が吹き出した。


 長い時間、緊張した状態が続いていたからだろう。手のひらが強ばって剣を離すことができない。

 上がった息を整えながら、セシルはヒスイの様子を見て絶句する。


 彼女は涼しい顔で髪を整えていた。もちろん、少しも呼吸は乱れていない。

 どうして、あれだけ動いていたのに…。


 ヒスイはセシルの視線に気が付くと、手合わせ前と変わらない美しい笑みを浮かべた。


「すごいわ。あなた、強いのね」


 誉められているのに少しも嬉しくないのは、自分の負けを自覚しているからだ。

 互角に打ち合えたのはほんの数回で、格段に速さを上げた槍を避けることは不可能だった。彼女の槍を、セシルは打ち返すだけで精一杯だったのだ。


 こんなにも敵わないと思った相手は初めてだった。

 自分の戦い方が腕力で押し込む部類でないことはわかっている。だから立ち合いの中で相手を分析し、癖を見抜いて隙を狙う技術を磨いていった。その結果、士官学校では教官も含めて自分に敵うものはいなかったし、それなりに自信もあった。


 しかし、ヒスイは今までに手合わせした誰よりも速く、少しの隙も無いように思われた。


 舞うように槍を繰り出す姿は、さながら宙を舞う蝶のように美しかった。だから敵わなかったことに不思議と悔しさは感じず、素直にすごいと思えた。それに、昨日握った彼女の手からは、美しい舞の裏で彼女が修練を積み重ねてきたことが伺えたのだ。

 それにひきかえ、傲っていた自分が情けない。士官学校で首席だったことなんて、ここでは何の役にも立たないのだ。


 …いつか彼女に勝てるくらいに強くなりたい。


 この瞬間から、それがセシルの目標となった。


「どうだ、ヒスイは強かっただろう」


 叔父はこちらの負けを見抜いているに違いない。


「はい。今の僕では勝ち目はありません」

「それでも大したものだよ。こいつに打ち負かされなかったのはお前で三人目だ。なぁ、ヒスイ」


 叔父の呼びかけに、座って訓練用の槍の手入れをしていたヒスイは、軽く頷いた。


「ええ。だから、騎士団の中なら私の次に強いわ」

「残りのお二人は、騎士団の方ではないのですか?」

「うん。陛下と私の兄だからね」


 陛下…、つまりアレク殿下と、宰相閣下のことか…。前線に立つ印象のない二人がヒスイより強いなんて、想像もつかない。


「…お二人とも、お強いのですね」


 セシルが感嘆の声を上げると、ヒスイは不満そうに頬を膨らませた。


「でもね、陛下は手合わせなのに光魔法を使うし、兄はとにかく卑怯なの。武器だけの手合わせなら絶対に負けないのに」

「おい、ヒスイ。向かってくる相手がいつも武器しか使わないと思ったら大間違いだぞ」

「はーい、わかってまーす」


 たしなめるランサーの言葉を受け流し、ヒスイはこちらに向かって優美な笑みを浮かべた。


「君は十分強かったよ。でも、強い相手と手合わせする機会が少なかったみたいね」

「…精進します」


 昨日より、口調が柔らかい。

 彼女に認められたような気がして、セシルは胸を撫で下ろす。


 そのとき、ランサーのわざとらしい咳払いが聞こえた。


「さて、今日は城外にある施設を案内する予定だったな」


 セシルは叔父の言葉に軽く頷く。


 昨日は城内の設備を案内してもらった。今日は騎士団の管轄にある城周りの施設を見学することになっている。城の外周には警備用の小屋などが配置されているのだ。


「じゃあ、今日は私が案内するわ」

「でも、お前、昨日は…」

「気が変わったの。歩く距離も長いし、おじさまは休んでいてくださいな」


 ヒスイは美しい所作で片手を胸にあて、セシルを一瞥する。

 確かに、膝の悪い叔父には長距離の移動は負担が大きいだろう。


「ヒスイ様、お願いします」

「まかせて。子どもの頃から騎士団の建物で遊んでいたから、結構詳しいのよ」

「勝手に俺について来てただけだろう」

「そうかもね」


 ヒスイはいたずらっぽく笑う。

 親子のようなやり取りに、なぜか胸が苦しくなった。


 …どうやら、叔父が昔からヒスイの世話をしていたことは、隠す必要のない事実のようだ。

 となると、どうしても目の前の女性があの日の少女ではないかと考えてしまう。


 この国では珍しい東方の名前に、金色の髪と青い瞳。

 容姿の特徴は同じだ。


 しかし、記憶の中の少女はこんなに活発ではなかった。あの子は一言も喋らずにセシルの後をついてきたのだ。まるで、自らの意思など存在しないといった様子で。

 そんな少女が、たかだか九年で、騎士団最強の槍使いになるなんて到底思えない。


 本当は別人で、よく似た容姿の少女と入れ替わったとか。

 あれはすべて演技だったとか。


 考え出したらきりがない。

 ただ、その答えがすぐに手に入るものではないことは明らかだ。


「そろそろ行くよ」


 ぼんやりとしていたセシルの意識は、ヒスイの声で現実に戻る。


「では、叔父上、行ってまいります」


 先程のヒスイと同じように片手を胸にあて、騎士の礼をすると、叔父は照れ臭そうに頭を掻いた。


「まったく、どいつもこいつも年寄り扱いしやがって」


 そう言う叔父の顔には、セシルが記憶している姿より明らかに皺が増えていた。きっと多くの苦労を重ねてきたのだろう。


 叔父が負った後遺症が残るほどの膝の傷。

 壊滅状態になったという騎士団。

 そして、自分が騎士になるきっかけとなった事件。


 この城で起きたことの真相を、自分はまだ知らない。

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