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手合わせ

 翌朝、ヒスイが集合時間より半時ほど早く訓練場に向かうと、すでに人影があった。

 その人物が素振りをしているのはすぐにわかったが、太刀筋は見たことのないものだった。


 ヒスイは足音を立てないように注意を払い、少しずつ近づいてみる。


 …やっぱり。


 いつからそこにいたのだろう。朝日を浴びて素振りをするセシルの額には汗が光っていた。


 うまくやっていくようにと言われてもな…。


 声をかけるか否か迷ったが、訓練の邪魔をしては申し訳ないし、ランサーが来るまで何を話していいかもわからない。

 結局、ヒスイは少し離れた建物の影で、セシルの様子を観察することにした。


 兄ほどではないが背は高く、すらりと伸びた手足はあまり筋肉質には見えない。赤みがかった紅茶色の髪と目の色は彼の叔父と同じだが、どちらかといえば女性的な目鼻立ちは、見るからに武人といった風貌のランサーとはあまりにもかけはなれていた。騎士というよりも文官と言われた方がしっくりくるだろう。


 でも、ランサーが認めた男だ。

 確かに体幹はしっかりしているし、速さもある。

 後は実際に手合わせをしてみないと…。


 ヒスイはもう少し近付こうと足を踏み出した。足下の枯れ木が折れ、微かな音を立てる。


 その瞬間、セシルは剣を振る手を止め、迷うことなくヒスイの方を見た。


 …視野が広い。もしかしたら自分以上かも。


 様子を見ていたとは言えないし、どう声をかけていいかわからない。


 ヒスイが立ち尽くしている前で、セシルは剣を鞘に収め手巾で額の汗を拭った。

 そして、人好きのする笑みを浮かべ軽く頭を下げる。


「おはようございます」


 さわやかな、という言葉がぴったり当てはまる。そんな笑顔だった。


 色恋沙汰とは無縁のヒスイでも、彼が多くの女性の目を引く男性であることは容易に想像がついた。


 そもそも、ランサーの甥ということは位の高い貴族で、将来も安泰だ。貴族の令嬢達が黙って見過ごすわけはない。

 社交の場を結婚相手探しとしか見ていない連中に目をつけられたら面倒なことになりそうだ。ただでさえ、自分は外面の良い兄のせいで厄介事に巻き込まれることが多いのだから。


 あまり深入りしないように…。


 ヒスイは今来た体を装って、他所行きの笑顔を作る。


「おはよう。早いのね」

「事務手続きばかりで体が鈍ってしまいましたので、少し体を動かしておりました」

「使うのは剣だけ?」

「主に使用するのは剣ですが、弓と槍も多少は心得があります」


 そう言って彼は穏やかな笑みを浮かべた。


 士官学校では首席だったと聞いている。おそらく多少なんて言葉で片付けられる技量ではないのだろう。虫も殺さないような顔をして、大したものだ。

 ちょっと手合わせを申し込んでみようか…。


「あの、ヒスイ様」


 久しぶりに聞いた呼び名に驚いて、ヒスイは顔を上げる。


「なんで様付けで呼ぶの?」


 我ながら間の抜けた声が出てしまった。


「亡くなった王妃様のご親戚だと聞いておりましたから。…ご不快ですか?」


 セシルに余計なことを伝えたのはランサーだろうか。

 すでに意味のない権威だし、そもそも親戚ということすら…。

 でも、これを説明するのは面倒だし。


「ヒスイ様?」

「うーん。君がそう呼びたいのならいいかな」

「よかった」


 なぜだろう。いつもは不快な呼び名が、彼の口から出ると不思議と嫌な気持ちにならない。


「それで、用件は?」


 急に照れ臭くなって、ヒスイは話を逸らすことにする。


 セシルは模造刀を片付けて、ヒスイの前で背筋を伸ばすと、直立不動の姿勢になった。

 何を始めるのか訪ねようとした瞬間、セシルは腰を折って深く頭を下げた。


「昨日は失礼なことを申し上げました。申し訳ありません」

「な、何のこと?」


 訳もわからず尋ねると、セシルは意外そうに目を丸くする。


「あの…、昔、会ったことがある、とか…」

「ああ、あのことね」


 …すっかり忘れていた。


 失礼だと片付けることは簡単だが、ヒスイには彼が嘘をついているようには見えなかった。


 しかし、たとえ真実だったとしても、ランサーの態度を思い出すと、改めて確認することはためらわれた。


「気にしないで。あのように声をかけられるのは慣れているの」

「そうなのですか?」

「幼い頃に結婚の誓いをたてたとか、前世では結ばれていたとか。昔からよく言われていたもの」


 コハクが宰相としての実績を残すにつれ、ヒスイに求婚する貴族が増えていった。

 しかし、彼らの情熱的な言葉の奥には打算が隠れている。本当はヒスイの容姿以外には興味がなく、本音では権力をもつ宰相とお近づきになりたいだけ。


「僕はそんなつもりでは…」


 セシルは本当に困ったような顔になった。どちらかといえばかわいらしい顔つきの彼が困った顔をすると、小動物をいじめているようで後ろめたい気持ちになる。


「もう済んだことよ。気にしないで」

「ありがとうございます」


 ヒスイの言葉に、セシルは安堵のため息を吐いた。


 これでよかったのだろうかと、少しだけ胸の奥が痛む。だって、おそらく彼は本当に…。

 しかし、まだ信用に値する人物かわからない。

 彼が嘘をついていないという証拠もないのだ。


 ヒスイは胸のつかえを振り払うように、無理して笑顔を作る。


「それより、私と手合わせしてくれないかしら」

「よろしいのですか?」

「これから一緒に行動することも多いでしょうし、相手の力量を知ることは大切なことよ」

「…そうですね」


 セシルは首にかけていた手巾を懐にしまい、再び模造刀を取り出した。その間にヒスイは訓練用の槍を手に取る。


「私も剣にした方がいいかしら」

「いいえ。そのままで結構です」


 微笑を浮かべてセシルは答える。それが余裕からくるものかどうかも、ヒスイにはわからない。


「では、こちらからいくわよ」


 セシルが頷いたのを確認して、ヒスイは槍を突き出した。


 まずは様子をみるため、正面に。

 槍が届く寸前にセシルは左に避け、剣の先で槍を払った。

 訓練用だから刃はなまくらだが、ぶつかるとそれなりに衝撃はある。


 あの細い腕からは想像できないほど、力は強い。


 ヒスイは一歩下がると、今度は足元を払うように槍を振った。

 それを軽く飛び越えるように距離をつめ、セシルはヒスイに向かって剣を振る。

 予想通りの動きだ。槍と戦うにはいかに距離を縮めるかが重要だからだ。

 ヒスイは持っていた槍を素早く反転させ、柄の部分を突き出す。


 普通の相手はだいたいこれで仕留められるのだが。


 セシルは軽く身をねじって柄の攻撃を避けると、槍の先を狙って剣を振り下ろした。やはり一筋縄ではいかない相手のようだ。

 鈍い音がして、ヒスイは槍を持つ手に力を入れる。関節の特性から、手の力が入りにくい向きに槍を向けられたのがわかった。


「なかなかやるわね」

「ヒスイ様も」


 間合いを取り直してヒスイは言った。

 久しぶりに強い相手に出会えた。これは本気を出した方がよさそうだ。


 ヒスイは大きく息を吸って、呼吸を整える。

 そして、再度槍を突き出した。

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