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初日の夜

 夜遅くになって、セシルはようやく宿舎の自室に戻ることができた。

 皮張りの長椅子に深く腰かけ、天井を仰ぎ見る。


 今日は挨拶回りのため、叔父に連れられて城中を歩き回った。たいした距離ではなかったが、初対面の人達と会話をし続けたので気疲れしたようだ。


「お疲れさま」


 労いの声と同時に差し出された器には、冷えた茶が入っていた。


「ありがとうございます」


 セシルはありがたく受け取り、一気に飲み干す。


「騎士様っていうのは、やっぱり大変なんだな」

「いろんな人にお会いしましたが、全員を覚えられた自信はありません」


 同室のジョセフはセシルより八歳上で、城を守る兵士だ。商人の息子だが、偶然授かった魔力を生かすために兵士になったという。神官にも劣らない治癒魔法の使い手で、数年前には騎士にならないかと誘われたことがあるらしい。


「それに、騎士なんてただの肩書だと思っています」


 以前は、騎士といえば貴族階級の子弟が経歴に箔をつけるために選ぶ職のひとつだった。もちろん、叔父のランサーのように実力を伴った騎士も存在したし、国を守るという崇高な使命感を持った騎士も多かった。しかし、どちらかといえば騎士は名誉職で、実際に動くのは兵士であった。


 その系図が変化したきっかけは、七年前、前国王が急死したことだった。若すぎる国王の即位に際して、聖王国の内政は大いに混乱し、その権力争いに騎士団も巻き込まれるような形で内部分裂を繰り返した。

 混乱が落ち着くまでには数年の歳月を必要とした。最後は大きな代償を払いながらも、新国王派が戦いに勝利したのだが、あとに残ったのは、ほぼ壊滅状態の騎士団だった。


 新国王から騎士団を再編成するよう命じられた騎士団長エレン・ランサーは、実力のない名ばかりの騎士、権力を盾に騎士の権威を落とす者をすべて除籍処分とした。

 当然、反発もあったが、新しい宰相の巧妙な根回しのおかげで、表面上は大きな揉め事はなかったことになっている。


 そして、騎士になるための条件から家柄が排除され、セシルのように士官学校を卒業して入団試験を受けるか、兵士として実績を残して推薦されれば、誰でも騎士になれるようになった。逆に、貴族であっても条件を満たさなければ騎士になれないということだ。


 しかし、ジョセフのように騎士の誘いを断る兵士も多い。いまだに貴族の役職だという印象が根強くあるためか、貴族以外では兵士としての出世を望む者の方が多いらしい。


「二年ぶりの騎士見習いだ。無下には扱われないだろ」

「皆が試験を受けなかっただけですよ」


 空の器を眺めて、セシルは呟いた。


 以前のように、貴族ならば士官学校を卒業するだけで騎士になれると思っていた同級生達は、突然の入団試験に物怖じした。


 セシルの代までは士官学校には貴族の子弟しか入学できなかったので、彼らは試験に落ちたという経歴が残ることを恐れたのだ。

 だから今年の受験生は五人。合格者はセシルただ一人だった。


「しかもヒスイ嬢と一緒なんて、皆が羨ましがってるよ」


 ジョセフはからかうような口調で言うが、セシルの胸中は複雑だった。

 きっと昼間のやり取りに納得がいっていないからだろう。


「皆さんはヒスイ…様のことをご存知なのですか?」

「もちろん。彼女は小さい頃から城に住んでいて、ランサー団長が面倒を見ていたんだよ。だから、騎士団の詰所や兵士の訓練場が彼女の遊び場だった」

「なるほど…」

「前の王妃様の遠縁らしいけど、なぜ城に住んでいるのか、誰も詳しい事情を知らない。まぁ、理由なんかなくても、俺達にとっては妹のような存在だな」


 ジョセフは小さく笑った。

 ヒスイが、施設の見学も挨拶回りも自分には必要ないと言っていたのは、すでに全部知っていたからか。


「騎士になるって言い出したときは冗談だと思ったんだけど、まさか本当になるとは…」

「彼女は兵士から騎士になったのですか?」

「いや、彼女は特別だよ」

「特別…ですか」

「団長は試験は必要ないと仰った。でも誰も異を唱えなかった。なぜだかわかるか?」


 ジョセフは少し意地悪い笑みを浮かべた。


 王妃の親戚…、いや、騎士になるために家柄などは関係ないはずだ。

 叔父が面倒をみていたから甘やかして…。これも絶対に違う。


 セシルが降参だと首を振ると、ジョセフは満足そうに頷いた。


「めちゃくちゃ強いんだよ。彼女の槍に勝てる騎士や兵士はこの城には存在しない」


 なるほど。あの独特の手のひらは、槍を握ってできたものか。


「今どき、槍を使うなんて珍しいですね」


 戦争もない今の時代に、長くて扱いが難しい槍を武器に選ぶ者は希だ。それだけでも十分すごいと思うが、誰も勝てないなんて、そんなことが…。


「昔のランサー団長なら、勝てたかもしれないが」

「それは…」


 思い出したように呟くジョセフの言葉に、セシルは返答に詰まる。


「悪い悪い。仮定の話をしても意味はないな」


 ジョセフはセシルの手から器を受け取り、備え付けの流しに置いた。


「それで、すごい美人だっただろ?」

「はい。あれだけお綺麗な方でしたら、周りの男性が黙っていないでしょう」


 騎士になどならなくても、という言葉は口に出さない。


「ところがそうでもないんだよ。強すぎる美人ってだけでも男は物怖じしてしまうし、何より怖すぎる兄がいて」

「お兄様がいらっしゃるのですか?」

「お前、名前を聞いて気が付かなかったのか?」

「名前ですか…」


 呆れた様子で言われ、セシルは昼間の会話を思い出す。


 ヒスイ・エンジュ…、エンジュ…。


「…宰相閣下」

「正解」


 作り物めいた美貌を持ち、国のためなら相手が誰であろうと容赦しない政治姿勢から、冷酷な薔薇と評されることもある若き宰相。めったに表舞台に出ないので、セシルも直接姿を見たことはない。


「確かに、気軽にお声がけしてはいけない相手ですね」


 彼女は異性から声をかけられることに辟易しているのかもしれない。

 もちろんセシルに下心はなかったが、いくらあの日の少女に似ていたからといって、初対面の相手に失礼なことを言ってしまった。明日、きちんと謝る必要がありそうだ。

 でも、本当に…。


「ほら、いつまでも難しい顔してないで」


 器を洗いながらジョセフが振り向いた。


「明日から本格的な訓練が始まるんだろ。早く休んだ方がいい」


 …確かにその通りだ。


 セシルは身支度を整えて寝台に入る。

 目を閉じるとすぐに眠気が襲ってきた。


 本当にヒスイが、あの日の少女なのだろうか…。幼い頃から城に住んでいるというし、見た目の特徴は同じ。でも、あまりにも…。


 あれこれ考えているうちに、セシルはいつの間にか眠っていた。

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