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「リリー」
頬をくすぐられる感触がむず痒く、手で払いのける。頬をこすりながら寝返りを打つと顔が柔らかい毛に埋まった。もふもふだ。
「リリー」
穏やかな低い声が私の名を呼んでいる。ああ、夢じゃなかったのか。意識がはっきりしていくにつれじわじわと恐怖が這い上がってくる。大きい男達と大きい馬、聞いたことのない言葉。ヘンテコな場所に私を知っている人はいない。体が震え、呼吸が浅くなる。
「リリー、ーーー」
呼び声とともに抱きかかえられ、大きな暖かい腕に包み込まれる。
大丈夫とでも言っているのか、優しい声と背を撫でる手に落ち着きを取り戻した。
レオの私に対する態度はまるで小さい子をあやすかのようだ。普段だったら反発心も湧くが、いまはその優しさに救われる。伝わらないだろうけど、小さな声でありがとうと呟く。
目を合わせると、とても嬉しそうに微笑まれた。顔面偏差値の高い人種の微笑みは心臓に悪いので自重していただきたい。
赤くなった顔を見られたくなくて、離してとレオの腕を叩きながら抜け出そうともがく。全力で引き剥がしにかかっているのに、レオの腕はピクリとも動かない。それどころか、笑いを我慢できずに腹筋が震えているのが服越しに伝わる。
悔しさにギリギリしていると頭のてっぺんに口付けが降ってきた。小さなリップ音と柔らかな感触。
ぎゃぁぁー!何してんのこの筋肉男!!
体が硬直し、顔が燃えるように熱い。多分、顔だけじゃなく全身真っ赤になっているはずだ。
身動き出来ずにいるとさらに一つ、二つと口付けが降ってくる。髪の毛を指ですかれ、耳にかけられたと思ったら丸見えになった耳にまで唇が触れていく。頬に唇が触れたところでもう限界と、涙目で睨みつけレオの口を両手で押さえつける。
この変態めっ!
レオという名のキス魔とジタバタ格闘していると、後ろからひょいっと抱き上げられ、レオの腕から解放された。私を抱えた人が発したのか頭の上からどこか呆れたような声が聞こえた。
ありがとう!見知らぬ救世主!誰だか存ぜぬが助かった!犬の仔を持ち上げるみたいに両脇に手を入れたまま抱えているのには目をつぶろう!
持ち上げられたまま移動され、毛皮とクッションのようなものが敷き詰められた一画にゆっくりと降ろされた。クッションも一つ一つが大きいのであっという間に埋もれてしまう。
レオから救出してくれた人が正面に膝をついて、埋もれた私を引き出す。また埋もれてしまわないようにぽいぽいとクッションの数を減らして調整してくれた。そして何故か頭を撫でられた。ペットかな、私。
ジェスチャーゲームアゲインで判明した彼の名はマティアスさん。私の短い舌に配慮して「マティ」と呼ばせていただく。レオと並ぶと身長は同じくらいだが、マティの方が細身だ。長い銀髪を後ろでまとめている。涼やかな顔が麗しい。とても美人さん。いや、男だけども。
マティは短く単語を区切りながらゆっくりと話してくれる。そしてありがたいことにジェスチャーゲームも上手。
マティのジェスチャーで私が起こされたのは食事の時間だったからだと分かった。
渡された大きなトレイにはシチューが並々と入っている器と手のひらサイズの丸いパンが2つ、見たことのない果物が乗せられている。
全てこちらの人のサイズで作られているのでスプーンでさえかなり大きい。何より重すぎる。シチューの器は持ち上げるのも無理だった。
筋トレだと気合を入れてスプーンを持ち上げるも、すぐに腕が疲れてしまい上手く食べることができない。仕方がないからパンを食べようと手に取るも、硬すぎて千切れない。行儀は悪いが手で千切るのは諦めてそのまま噛みつく。顎が外れそう。
お腹が空いているのにまともにご飯を食べることができないので、私はまたもや涙目である。
必死になってご飯と格闘していると、持っていたスプーンを取り上げられてしまった。
えぇー!? 返して私のスプーン!まだ食べるのに!
私からスプーンを奪う不届き者は誰だと見上げると、レオやマティよりも年上のダンディなおじさまがいた。
おじさまは側に座り込んだと思うと奪ったスプーンでシチューを掬い私の口元に運んでくる。目の前に差し出されたご飯に思わず食いつくと、今度はパンを小さく千切り、シチューの中に入れて混ぜている。
私の咀嚼が終わったのを見計らって、次を口に突っ込んでくる手際の良さ。ダンディなおじさまに幼児のようにお世話をされている。
レオとマティが何やら横で騒いでいるが、おじさまは丸っと無視して楽しそうに私の世話を続ける。食事の合間に柔らかな甘い声で私に話しかけてくるので早く言葉を覚えたい私は全部おうむ返ししていく。
「美味しいかい?」
「おいちーかぁい?」
「可愛いね」
「かわいーねぇ」
「私はルロルドだよ。ルードと呼んでごらん?」
「あてぃーしは、るぅーどぅ…うぐっ」
舌噛んだ。痛い。
「ルードだよ」
「るぅーど?」
「そう。ルード、大好き」
「そーう!るぅーど、だいちゅき」
「ああ、リリーは本当に愛らしいね。うちの子にしてしまおうかな」
「あー、りりーはおんあいーねういぃぃぃ・・・」
まだ意味は分からないが、かけられた言葉は全て拾っていく方針である。
なにやら外野が騒いでいるが無視だ、無視!
そして私は言語習得の第一歩、「これは何ですか?」を手に入れた!この魔法の言葉さえ分かれば後は自分比2倍速で知らない単語を吸収できる。
そんな感じで異世界言語講座!初級編を開催していたらそろそろお腹が苦しくなってきた。もう限界です。うっぷ、ご馳走様でした。
まだ器に残っているシチューとパンを見て申し訳なさを感じるが、これ以上はどうやったって入らない。むしろ逆流の危機に陥る。
ダンディなおじさま、もとい「ルード」さんにお腹いっぱいですとストップをかける。私的には大食い選手権に挑戦したレベルなのに、周りの男達は心配そうにもっと食べろと勧めてくる。
いや、あんた達とは食べる量が根本的に違うんだって。
何しろ私が食事介助を受けてる間、天幕にいるレオと愉快な4人の仲間達(マティとルード含む)も食事を取っていたのだが量が桁違いだった。
私に渡されたシチューの器が実は小鉢サイズだったり、パンも一人当たり5個以上あった。私に用意された食事は考慮して量を減らしてくれたらしい。
ありがとう!でももっと減らしてくれて大丈夫!
そして食べ終わるのもあっという間だった。ルードさんなんか、私に食べさせながら自分の食事もしていたのに私より食べ終わるのが早かった。
先に食べ終えた彼らが何をしていたかというと、満面の笑みで私の食事を見守っていたりする。気分は愛玩犬だ。もしくは初孫か。
粘着質な視線を無視してご馳走様をする。お腹が満たされると少し元気が出てきた。
よし!ここが異世界でも、どうにか生き抜いてやろうじゃないの。
幸いにもファーストコンタクトした異世界人第一号のレオはとても優しい。第二号、第三号以下略も皆優しい。小さい子やペットを見守るような眼差しということは断じて気にしない。
私は大丈夫。うん、何とかなる。
決意も新たに前を見据えると、何故かまた頭を撫でられた。皆人の頭をほいほい撫で過ぎじゃないかな。
「ありあとー」
円滑なコミュニケーションに必要なのは笑顔と挨拶とお礼だ。習いたてのたどたどしい口調だけど、まあ、伝わるだろう。
案の定、私のやる事なす事すべてがツボにはまるらしい彼らは、顔を輝かせて悶えてる。日本であれば通報案件かもしれない。
天幕にいるのはレオとマティとルード、あとはこの中で一番大きいゴリマッチョのエディバルトと、ちょっと強面のクリスティアンの5名プラス私で計6人。エディとクリスも私の短い舌に配慮以下略で愛称で呼ぶことになった。ありがとう!
私の食事が終わった後はすぐに異世界言語講座!初級編が再開され、皆熱心に言葉をかけてくる。
「大好き」「いい子」「かわいい」は褒め言葉で、「ダメですよ」と「めっ!いけません」が制止の言葉のようだ。試しに「れお、かわいーね、いーこね、だいちゅき」と言ってやったら両手で顔を抑えてしゃがみ込んでしまった。褒めたのに、なぜだ。
すかさず、ルードが自分にも同じように言えと催促してくる。
「るーど、かわいーね、いーこね、だいちゅき」
「大好き」と言い終える前に、ルードにがばりと抱きしめられた。ぎゅうぎゅう締められて苦しい。褒めただけなのに、なぜだ。つぶれたカエルみたいになってきたのでマティに手を伸ばし助けてもらう。マティが自分にもとねだってくるので、マティ、エディ、クリスにも平等に褒め言葉を伝える。無事、皆ヘンタイの仲間入りをした。
私、ワルクナイ。教えてもらった言葉を披露しただけだよ!