優秀な仕分け人の育て方 (1)
人が傷つくのは、人から言われた言葉によって傷つくわけじゃなく、自分の心の中の仕分け人が心を傷つけるべきだと判断したときに、針の番人が心を傷つけている、という話を書いてきました。だからこそ、仕分け人は重要な小人で、仕分けの仕事は重要な仕事なんだと。
では、その仕分け人がキッチリ的確な仕事をこなせるようになるには、どうすればいいんだろう? ということを今回と次回で書いていきます。
今回は自己責任について書いていますが、その中で「いじめも自己責任」という記述が出てきますが、これは本当にその通りだと考えています。
ミヤたちが考える、わわわ会流の『自己責任』も、今回、読んで欲しいところです。
自分が人によくないことをしたせいで、相手からキツいことを言われてしまったような場合でさえも「自分に悪いとこはなかった」と思おうとするのは、かえってよくないことだとミヤくんは言う。
「自分に問題あるときは、ちゃーんと『自分に問題アリ』にして、針の番人に針で心臓を突っついてもらった方が、心は楽! なんだよ。心臓を、針の番人に針で突っつかれるのは痛くてつらいけど、自分に問題があるときに針の番人に針で突っつかれない方が、実はずっとずっとしんどいの」
逆みたいだけどさ? とミヤくんは肩をすくめる。
ホント、逆みたいだけど。
自分に問題があったかどうかなんて関係なく、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしておく方が、心が楽な状態でいられそうだけど、実際はそうじゃなくて。
自分に問題あるときはちゃんと『自分に問題アリ』ってする方が、心が楽になる。そういうものかもしれない。
「うん、そうかも……」
僕はうなずく。
自分で自分を傷つけなければ傷つかずにすむと言っても、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にすればそれで心おだやかに暮らしていけるというものではなく。心ってちゃんとしてるし、ちゃんと知ってる。
ちゃんと『自分に問題アリ』にすることで。そうすることで、自分に問題がないときに、自分に問題がないことを『自分に問題ナシ』にすることができて、心を傷つけずに守ることができる。
ちゃんと分け分けする方が、きっといい。
「と、言うことはさ? 悪いことは悪い、悪くないことは悪くない、って判断することがすっごい大事で。それってつまり、仕分け人がちゃんと考えて、自分に問題があるかないか、しっかり判断する力をつけることが大事、ってコト!」
ミヤくんが力強く言う。
そう、そう、そう! そうなんだ!
僕の中に強く響く。
本当に仕分け人の仕事って大事なんだ――。
自分に問題があるか、自分に問題がないか、しっかり見極めることが大事なんだ。そして、その見極め作業をやっているのが心の中の仕分け人――。
……けど、仕分け人って、どうやって自分に問題あるかないか、見極めることができるようになるんだろう?
「ミヤくん、仕分け人って、どうしたら自分に問題あるかないか、しっかり判断できるようになるの?」
僕は率直に聞いてみた。
「ん? ああ……それはさ、前に『自己責任』の話をしたときに言ったヤツとおんなじやない?」
ミヤくんが言う。
ミヤくんと僕は、『わわわ会』っていう秘密組織に所属している。
ミヤくんたちわわわ会のメンバーたちとはじめて会ったとき (そのときは、リーダーの天平くんだけいなかったんだけど)、僕はみんなから、自己責任を持つことが大事だよって話を聞いたんだ。
〈小さなことの積み重ねでいいんだよ。立派なことをした人間として名前を残したいわけじゃない。そんなもの残らなくていい。誰にも知られなくていい。無力でも微力でも、できること少しずつでいい。その少しずつが、この世界を変える何より大きな力になるって、ぼくたちは信じているんだ。それがわわわ会なんだよ〉
副リーダーのユーリくんがそう言っていたのを思い出す。
〈その、できること少しずつを積み重ねるときに大切なのが、自己責任――自分の行動には自分で責任を負う、ということなんだよ。何かしようとするたびにいちいち先生とか保護者とか、大人に責任を持ってもらわなきゃいけないとしたら、なんにもできなくなってしまうよね。それより、ぼくたちが自分で自分の行動に責任を負えるようになれれば、大人も安心できて、ぼくたち子供は、自分のやりたいことをやれるんだよ〉
わわわ会流の『自己責任』は、自分がやったことで失敗したら自分で責任をとらなきゃいけないっていう意味じゃなくて、自分にできないことは、『やらない』という決断を『自分で』することなんだ。
例えば、熱があるのに遊びに行っちゃうと、無理をして遊びに行ったせいで体調を悪化させてしまうかもしれないから、そんなことにならないように、熱があるときはじっとしておく、とか。失敗したらしたで自分がどうにかすればいいんでしょ、っていうのじゃなくて。自分にできることかどうか考えて行動するってことが、自己責任、ってことなんだって。
そのためには、自分でできることかどうか、しっかり見極めることが大切――ってことなんだけど。
「自分でできることかどうか見極めるためには、本を読んだり、人の体験談を聞いたりして、いろんな経験を疑似体験するといいよ、って話だったやん?」
ほらほら、とミヤくんが僕の記憶に働きかける。
疑似体験っていうと、自分が実際に体験したことじゃないことを、まるで自分がまさに体験してるみたいに、想像で感じてみる、みたいなことで。そう言えば、そんな話を聞いたな、と思ったら――。
〈他人のふり見て我がふり直せ、ってのも一理あるよね〉
〈この人はいいとかちゃんとできてるとか、あの人は悪いとかダメだとか、SNSなんかで批判する人って多いみたいだけど。そうやって批判するだけだったら、その人が批判している人と変わらないんじゃないかなって思うよ〉
〈批判するんじゃなくって、自分だったらどうするかを考えないと意味ないのになー。こんなのはダメだ、で終わらないで、じゃあどうすればいいのか、それを考えないとさー〉
〈何がいいか悪いか、自分はどうすべきかを何度も何度も考える。その積み重ねだよね、きっと。自分で少しずつ経験を積んで、このときはこうしちゃったけどこうした方がよかったとか、次はこうしたいとか、自分の中に貯めていく。それと同時に、自分ならどれくらいのことができてできないかも把握していく。――自分で自分のことに責任を持つためには、そういうことをしていくことが必要だよね〉
みんなの声が頭の中にパッと浮かんで消えていく。
みんないろんな意見を持っていて、聞いてて「なるほど」って何度も思った。
「いじめも自己責任」って言ってるのを聞いたときは、「いじめられる人はその人のせいでいじめられてる。いじめられる方に問題がある」とか「いじめられる側の人間になるかどうかはその人次第」とか、そういう意味だと思って、えっ⁈ そんなのひどいよ! って思ったけど、そうじゃなくて。いじめは、いじめをする人が自分の判断でいじめているんだから、学校とか親とか周りの誰かが責任を取る話じゃなくて、いじめをしている人自身が『自分自身で』いじめをやったことをちゃんと背負わなくちゃいけない、っていう話で。それは本当にその通りだな、って思ったし。
自分なら跳び越えられる溝でも、小さい子の前で自分が溝を跳び越えたら、それを見ていた小さい子がマネして溝を跳ぼうとして溝に落っこちるかもしれないから、小さい子がいるときは溝を跳び越えたりしないようにする、とか。そういうことまで考えて行動するのが、自己責任だっていう話を聞いて、人の意見を聞くことも、すごく大事だって思った。そうやって言ってもらわなかったら、僕は、そんなことまで考えたりなんてしなかっただろう、って思うから。
自分ではなんにも考えずにみんなに考えてもらえばいいって思ったわけじゃなくて、自分ではわからないことがあっても、人の意見を聞いて考えることができるんだなって。自分一人で完璧にできるようになろうなんて気負わなくていいんだなって。そう思えたから、みんなの考えを聞かせてもらってよかったって改めて思う。
自分が気づかなかったことや知らなかったこと、思いつかなかったことも、他の人は気づいていたり、知っていたり、思いついたりしている。人が持っているものを分けてもらえたら、僕の目は、それまでの僕には見えなかったものまで見渡せるようになる。
「それと一緒で、自分に問題あるかないかを見極めるのにも、本を読んだり、人の話を聞いたりするのがいいんやない? 本って言っても、難しい本だけが参考になるワケじゃなくてさ? ライトノベルとかマンガとかだって名作いっぱいあるし。アニメとかもめっちゃ勉強になるって思う。主人公だけじゃなくて、いろんなキャラがいて、いろんな目にあっていろんな思いしてたりするやん。そういうの、自分だったらどうするやっか、このときこの人はどうすればよかったんやろ、とかとかとか?」
ドラマも映画も絵本もなんでも、いいものいっぱいある、とミヤくん。
「そうやって脳内トレーニングするっていうかさ? 疑似体験する。そーゆーコトやるのが大事なんやない? ――タカ兄は、そうやって自分がこのキャラの立場だったらどうすっか、自分がその場にいたらどうするか、っていうのを考えていくことで、本の中のキャラたちがさ、友達になるし、仲間になるし、自分になる、って。なんかそんなことも言ってた」
自分になるってなんだ? と首をかしげつつ、ミヤくんは楽しそうだ。
マンガやアニメ、読んで楽しい、観て楽しいものでいい。難しい本や堅苦しい本だけに意味があるわけじゃない。自分が楽しめるものでいいんだ。目的を果たすためなら大変な目にあわなきゃいけないとか、無理をしなくちゃいけないとか、そういうのは僕たちの流儀じゃない。
本にしろドラマにしろ映画にしろ、読んでいるとき観ているとき、そこに描かれる物語がおもしろかったな、で終わるものじゃなくて。読み終わって観終わって、想像することが楽しかったり、味わいがあったりするもので。物語の中に入って、登場人物たちと一緒に冒険したり、ケンカしたり……そういうのが、力になる。
「そうやって、オレらがいろんな見方や考え方をできるようになると、オレらの心の中の仕分け人も、いろんなことを考える力がついていくんだって。――ということで! 仕分け人を上手に育ててあげなきゃいけないんだよ、オレたち子供は、特に!」
ミヤくんが自分の胸を自分の人差し指でトントンする。トントンの奥には心があって、ミヤくんの仕分け人が住んでいる。
だとしたら――。
今しているみたいに、こうやって話を聞くことで、僕の心の中の仕分け人も育っているってことなのかな……?
きっとそうだよね。
ひいばあが天平くんに、心の小人さんたちの話をして。
天平くんがミヤくんに、話をして。
ミヤくんが僕に、話してくれた。
こうやって人の話を聞くことで、それまで思いもしなかった考え方を知ることになる。
自分の中にいなかった自分が生まれて、僕の中に息づいていく。
と、
「ほら、さっき、クラト、許せないことされたときに恨みを捨てないでいるのは、ウソついて仲のいいフリしてるみたい、みたいなこと言ったやん?」
ミヤくんが、ふと思いついたみたいに言う。
「あ、うん」
ミヤくんが言ってるのがなんの話かすぐにわかって、僕はうなずいた。ミヤくんが、許せないことは許さないでおいて、心の中の冷凍庫に恨みを入れて凍らかすって言ったときのことだ。
ミヤくんが言おうとしていたのは、許せないって思うほどひどいことを人から言われたときに「許せないことを許さないでおくことで、人を許せるようになる」ということで、許せないことをした相手を心の中では恨んでいるのに恨んでないふりして騙してる、っていうのとは違っていたんだよね。むしろ、許せないこと言われても、それでもその人と縁を切りたくないっていう真心がある、って言えばいいのかな? そんなカンジ。
僕はそういう意味だってわからなくて、ミヤくんをちょっと責めるような言い方しちゃったんだけど。……ミヤくんのこと、イヤな気持ちにさせちゃったかな? と、僕は少し心配になったけど、ミヤくんはどことなく楽し気で。
「オレは、恨みを持ち続けるっていうのが、相手をあざむいてる、みたいな話になるとか思ったことなかったけど。クラトに指摘されて、そういう捉え方もあるんだなってハッとさせられたっていうか。恨みを保存しておくことが、恨んでるのを隠してなんでもないようなふりしてるってコトになっちゃってるのかどうか自分の心の中を探って、改めて、自分の中にどんな思いがあるのか確認することができたからさ? ――要するに、クラトの意見を聞いたことでオレの考えも深まったってコト」
「――え?」
「だから、クラトの言うことも、人に影響与えるんやないの、って話。クラトが人の話を聞いてクラトの心の中の仕分け人を育てるだけじゃなくて、クラトの考えも、誰かの仕分け人を成長させるんだよ、きっと」
そう言ってミヤくんは、にっ! と笑った。
「そ、そうかな……?」
自分では、みんなと違って、なんにもちゃんと考えられていないって思うんだけど、ミヤくんが僕の言ったことを大事に考えてくれたんだ、って思うと、すごくうれしい。
うれしいけど照れくさくて、ちょっともごもごしてしまう。
この、照れくさくてもぞもぞしたカンジのときって、僕の心の中で、もじもじ屋の小人たちがおしくらまんじゅうでもしてるのかな?
胸の奥が、ちょっとほっこり、あたたかい。 つづく
読んでいただいてありがとうございました。
この連載の最後をどう書くかで悩んでいるうちに、時間が経っていました。ようやく最後に形がつけられたので、書き溜めた分を投稿しようと思います。
次は、仕分け人を育てるのに大切なこととして、学ぶことの意義を書いています。
学校の勉強をしたくないと思ってる子供たちに、ぜひ読んでみてほしいです。
これからもよろしくお願いします。