魔人兄は裁縫する 続
「私がいっぱいいる……」
風呂から上がり、食堂に戻って来たイロハが目にしたのは、仄かに虹色の光を放つ液体を鍋でかき混ぜている兄と、その周囲でちょこまか動き回っている、身長20センチくらいのイロハ型石人形たちの姿だった。
石人形たちは床に広げられた外套と手術衣にハサミを入れたり、オニイトハキの糸袋を踏みつけて糸を絞り出し、そこから出た糸を縫製に使えるよう加工したりしている。またある個体は針を巧みに操り、生地を猛スピードで縫い合わせていた。
5体の石人形の同時精密操作という、熟練の石人形使いさえ舌を巻くような超絶技巧をさらりと行いつつも、クロは極限の集中力で火に掛けた鍋の中身をかき回していた。アナグラニセテヅルモヅルの粘液と液状化したトカゲの魔晶の混合液だった。鍋の周囲には無数の白い魔力の玉が浮かび、蛍火のように不規則に飛び回っている。
「『第1工程――命の海よ、その腕に魔の源を抱け』」
クロの言葉に合わせ、魔力の玉の一部がクロのイメージを乗せつつ鍋の中身に溶け込んだ。俄に液体の放つ光が強まる。
イロハはその光景に見入りながら、兄の邪魔をしないようにそっと食堂の奥へ回った。
「『第2工程――欲するは、隠れ潜む術。捉えること叶わぬ隠者の業』」
淡虹色の液体に、ヤモウトウゾクフクロウの毒液が注がれた。液体は瞬時に光を消し、蒼黒い色に染まる。そこへ更に魔力の玉を溶かし込みつつ1分程かき混ぜ、クロは次の工程に移る。
「『第3工程――求めしは、反撃の雷。触れること能わぬ雷霆の天幕』」
一度魔力の玉をドーム状に変化させて鍋を覆うような形にし、クロはその隙間から電気を帯びさせたシビレコケモドキの帯電液を投入した。鍋の中身が激しく泡立ち始め、弾けた飛沫がバチバチと魔力のドームを叩く。
液体をしばらくそのままにして、反応が収まって来た辺りで、クロは魔力のドームを玉状に戻して溶かし込んだ。鍋の中身は、無色透明のサラサラとした液体に変じていた。
「『重ねて望むは束縛の拒絶。以上を依り集め、其の在り方を定めん――』」
そうしてクロは、石人形たちとのリンクを切らさないよう細心の注意を払いながら、思考をイメージの海に沈めた。
イメージの中で、クロは冷たい色の鳥籠に囚われていた。両手足を鎖に縛られ、身動きの取れない状態で。
それはあの施設にいた頃の自分の姿。兵器として帝国にその身を捧げる運命にあった自分の姿。それはクロが、己の境遇を悟った瞬間に幻視した光景だった。
このまま何もしなければ、戦場に転がる数多の屍の仲間入りをするか、勝ったとしても軍によって処分されるかの2択。いずれにせよまともな未来など絶対にやって来ない。
それを受け入れるか?
「何度でも言おう。『そんなのはご免だ』」
直後にクロは、四肢を封じる鎖を無理矢理引きちぎった。身を苛む激痛に構わず、クロはその勢いのまま鳥籠の戸を渾身の力で蹴破り、外へ飛び出して行く――
そこでイメージの海から浮上し、クロは目の前の液体を前に最後の言葉を紡ぐ。自分と妹の身を守る物、そして己の在り方を確かめるように。
「『最終定義――“旅人よ、自由であれ”』」
浮遊していた最後の魔力塊が、鍋の中に飛び込む。液体は最後に一瞬虹色の発光を見せたあと、完全に光を消した。
「ふぅ…………」
それを確認し、クロは火を消すと一息ついた。
「出来たの?」
「ああイロハ。戻っていたのか、気付かなかった」
様子を見ていたイロハが、クロの背後から鍋を覗き込む。鍋の中身である2リットル程の透明な液体は普通の澄んだ水にしか見えない。
「これはもう冷ますだけでいいから、あとは縫製作業を終わらせるだけだな」
クロが指差す先には、手術衣と外套の生地が組み合わせられた、新たな衣服の原型があった。
男性用は黒いコートと同色のズボンに、白い上着の組み合わせ。コートに幾何学的な白いラインが入っている以外はシンプルなデザインだった。
一方の女性用は、現在石人形たちが総出で表面に黒い糸による刺繍を施しているため全体像は確認出来ないものの、白い半袖のワンピースと言った趣のようだった。近くには防寒具と思しき黒地のケープと、長短2種類のリボンがあった。
「わぁ……!」
イロハは思わず感嘆の息を漏らした。創られてこのかた手術衣以外の服を身に纏ったことがないイロハである。まだ完成ではないことはわかっているが、それでも早く袖を通したくてたまらなかった。
やがて石人形たちは作業を終え、一斉に跳びすさった。彼女たちは任務完了、とばかりに次々と身を崩して土塊に還っていく。
「それでは仕上げ!」
間髪を入れず、クロは出来上がった服をかき集めて鍋に突っ込んだ――




