魔人兄と知識の海
クロが開いた扉の先は縦長の広間で、その空間をほとんど、クロの身長より高い石造りの本棚が埋め尽くしていた。
「これは……驚いたな」
仕切りで5段に分かれた本棚には、それぞれにぎっしりと本が詰められている。そんな本棚の合間を、車輪ゴーレムに人型の上半身を取り付けたような石人形たちが忙しなく走り回っていた。彼らも整備ゴーレム同様に腕のパーツを換装出来るらしく、ハタキのようなパーツで本の埃を払い落としたり、人の手のようなパーツで本の束を持ち運んだりしていた。
クロはこの新たな石人形たちを“司書ゴーレム”と呼称することにした。
すると、部屋の入り口近くにあった作業台で本の修繕をしていたらしい司書ゴーレムが手を止め、1枚の石板を持ってクロの前までやって来た。赤い単眼が高速で点滅すると、胸の前で保持された石板に、エメラルド色に光る文字列が現れる。
しかし浮かび上がったものは、例の、遺跡の入り口に刻まれていた物と酷似した謎の文字だった。
(ここに来て、言語の壁が立ちはだかる、か……)
クロは頭を抱えた。石板の文字列が何らかのメッセージなのは分かるが、肝心の内容がわからない。クロも含め、魔人たちは知識の刷り込みの段階で大陸共通語こそインプットされるものの、その他の言語は不要な知識として刷り込む知識のリストから切り捨てられてしまっていた。その為クロは、逃亡の際に利用するかもしれない島国の言葉を自力で習得するしかなかった。
(大陸共通語は、まだ言語大系として確立してから200年経つかどうかといった所だっただろうか……この遺跡がもっと古い時代のものであれば、存在しないのも納得は出来る)
幸い警告されているような雰囲気はないが、それでもうかつに返答するのは躊躇われた。
すると、そんなクロの様子を察したか、石板の文字列に変化が現れた。文字列が1度形を崩したかと思うと、直後に全く別の言語で書かれた文字列へと変化したのだった。
翻訳する機能が備わっていたことはありがたかったが、残念ながらその新たな言語もクロの知識にはないものだった。
しかし、変化はそれで終わりではなかった。変化した文字列の下に、更なる別の言語が用いられた新たな文字列が3つ表示されたのである。どうやら翻訳可能な言語を列挙しているらしい。
そして、その中の1つに、当たりが存在した。
そこには『お探しの本がございましたら、お申し付け下さい』と、“島国”の言語で書かれていた。
島国の言語を習得していたことが功を奏した形になり内心で安堵しつつ、クロは島国の言語で司書ゴーレムに返答した。
「ここにある本を、島国の言語に翻訳することは可能か?」
石板の文字列が変化し、“可能”である旨が表示された。
「それなら、この遺跡についての資料を閲覧したい。ジャンルは問わない」
それを聞くと、司書ゴーレムは持っていた石板を作業台に戻し、背中についていたパーツの1つを左腕の先端に装着して腕を振り下ろした。カラーン!という高い音に反応して、部屋のあちこちから司書ゴーレムが集まってくる。彼らは単眼の点滅で何らかのやり取りをしたあと、広間のあちこちに散っていった。
作業台に、続々と本が積み上がっていく。
クロはその内の1冊を手に取り、パラパラとめくってみた。青い紐で綴じられたその本に使われている紙の質感は慣れ親しんだものとはかなり異なっており、歴史を感じることが出来た。司書ゴーレムたちの整備のおかげか、状態はすこぶる良好で、破れや虫食いもない。
やがて作業台は数十冊の本で埋め尽くされ、クロの応対をしたもの以外の司書ゴーレムたちはそれぞれの仕事に戻っていった。クロが作業台の椅子に座って本を開くと、司書ゴーレムはその隣で石板を持って待機した。
「では、頼む」
クロがそう言うと、司書ゴーレムは単眼から帯状の光を放って、開かれた本のページをなぞる。すると、島国の言語に訳された本文が、司書ゴーレムの持つ石板に表示された。
ここでは島国の言語も相応に古い時代のものであるはずだが、クロには特に違和感は感じられなかった。どうやら、時の流れによる変化の少ない言語だったらしい。
「これは……素晴らしいな」
訳文に目を走らせながら、クロはまるで貴族にでもなったかのような気分になっていた。今閲覧している本は、今まで誰の目にも触れられることのなかったもの、そして恐らくは製紙技術の黎明期の産物である。その学術的価値は計り知れず、本来身分の高い者や特殊な職の者にしか、閲覧することは許されないはずのものだった。それを、自由に読み解くことが出来る――
「にぃ様?隣の部屋は食堂みたいだったわ――」
「イロハ!!俺はしばらくここに籠るぞ!!」
「え?……あ……えぇ……?」
もう一方の部屋の確認を終えて報告に来たイロハは、いつになくハイテンションな兄の姿に困惑の表情を浮かべるのだった。




