魔物たちは撤退する
戦斧の魔物バルファースは、鈍い痛みを感じて目を覚ました。怪訝な表情で視線を向けると、身体のあちこちに木の枝が突き刺さっているのが見えた。
特に右胸の枝は身体を貫通しており、バルファースを木の幹に縫い止めていた。どうやら風の津波に吹き飛ばされ、その先で磔になってしまったらしい。
「無事か?バルファース」
足元にやって来ていたエルフリードがバルファースに声を掛ける。その巨体は炎を纏っておらず、右手には銀色の戦斧が握られていた。バルファースはそれを見て初めて、自分が武器を握っていなかったことに気付いた。
「見ての通りだ。問題はねぇよ」
投げ渡された戦斧を身体と木の間に差し入れて枝を切断しながら、バルファースは吐き捨てた。地面に降り立つと、彼は身体を見回して刺さっている枝を抜き始める。
痛みに顔をしかめることもなく、淡々と、草むしりのような流れ作業で抜き続ける。
「奴らは?」
「例の面妖な目眩ましを置き土産に森の奥へ逃げた。方向までは判別出来ん」
バルファースは舌打ちし、右胸の枝を抜いて放り捨てた。鮮血が噴き出すがそれも一瞬。バルファースの頭から生えているねじれた角が金色の光を放つと、全ての傷が一斉に塞がってしまった。傷があったという痕跡すら残っていない。
「先ほど撤退命令が出た。“晶竜擬き”がこちらに急速接近中らしい」
「イヤなタイミングで勘付かれたな……」
晶竜擬き、とは、魔物たちの間での魔人1号の呼称だった。ゲリラ的に戦場へと現れては、晶竜由来と思われる高火力魔法を以て魔物たちを蹂躙するその存在は、彼らにとっては目の上のたんこぶ以外の何物でもなかった。
「一応近くにいたメタリカが撃退に向かったようだが」
「オーケー足止めは期待出来ないってことはよく分かった。業腹だが、ここは素直に従っておく」
バルファースは戦斧を軽く振り回して身体の調子を確かめたあと、自分が吹き飛ばされて来た方角を睨み付けた。
「それに不安要素がない訳じゃねぇしな……お前も感付いてはいるだろ?奴らが晶竜擬きの同類だってことに」
「そうだな……確かに奴らは魔晶をその身の内に宿しているようだった」
エルフリードは腕組みをして瞑目する。思い浮かべたのは、先程一帯を破壊し尽くした少女が放った魔力。
「かの少女の魔力は……どうも我が友ジルヴァンのものに酷似していたように思う」
「あの島国かぶれのフラフラ野郎か」
バルファースの脳裏に、将として迎え入れたいという魔王の要請を頑なに固辞し続けた、とある風魔の顔が浮かんだ。常に世界各地を放浪しながら辻斬り紛いのことを繰り返しているため魔王軍もなかなかその動向を掴めない、まさしく自由奔放という言葉を体現したかのような魔物だった。
「奴程の実力者まで葬られているとは到底信じられぬが……」
「それを言うならあのクソ女がやられたことの方が信じられねぇよ俺は」
「シャルロテか……彼女と矛を交えたことはなかったな」
今度はエルフリードが、とある上級悪魔の少女の姿を思い描いた。受け持つ地域の違いからほとんど会話することもなかったが、バルファースをからかっていることが多かったように思った。
「いやそれで正解だったと思うぜ。多分お前じゃ秒殺だ。実力どうこうじゃなくて相性の問題でな」
「なんと……」
聞いたエルフリードが驚きの声を漏らす。仮にも炎魔の頂点である自分が秒殺されるような光景をとても思い描くことが出来なかったからだ。
「正直俺も無対策ではかなり怪しい。だから、晶竜擬きのようにシャルロテの力をあの男が受け継いでいる可能性を考えると、先に相応の準備をしておきたいってのが本音だ」
「……であれば、撤退命令が出たのは渡りに船と言ったところか」
「そういうことだ」
バルファースはひとしきり身体を動かしたあと、エルフリードを伴って施設から離れるような方向へ歩きだした。
(首を洗って待っていやがれ……)
次に会う時は逃がしはしない、と、決意を固めながら。