【5】
「靴を脱ぎなさいよ」
ファールーンはつんと顎を上げて云いました。
私はずぶ濡れの赤い履物に今やっと気がつきました。踵を上げ、靴下を脱ぎます。
「わざわざ迎えに来たのよ、ぐずぐずしないで靴も脱ぎなさい」
爪先を、そっと砂地に付きます。まだ濡れているせいで、砂粒が指の間に纏わりました。不快感に貌を歪めると、ファールーンはふんと鼻を鳴らします。
「相変わらず愚図ね」
いつも視線で云われているとはいえ、発せられるとなかなかに鋭いことばではありました。
「そんなだからサァカスに囚われるのだわ。疾く脱いで熊に渡しなさい」
いつの間にか傍にいた熊にも驚きます。狐は木陰で休憩しているようでした。
私は脱いだ赤い靴を、つま先立ちのまま熊に渡しました。熊は受け取ると、云いました。
「踵を付けるんだ。きみの足で、立ってもいいんだ」
私はそっと、踵を付けました。足裏全体で感じる大地は、思いのほか暖かく、そして力強いものでした。
そうして熊は、木の人形の二股になった部分、足に私の赤い靴を履かせました。
途端、
粒粒の光が、涙のように熊の持つ木の人形に付着します。淡く輝き、徐々に強い光に変わっていきます。私は息を吞み、視線を外すこともできず、人形を見つめます。強すぎる光に目を閉じた一瞬、耳の奥に声が響きました。
『誰も悪くはない、少なくともきみは』 熊の声。
『まあ! まあ! まあ! 何でも持てるのに! もったいない!』 うさぎの声。
『いやいや、君は選べるんですよ、大丈夫』 狐の声。
『愚図なりに自分で歩くといいわ!』 ファールーンの声。
目を開けると、優しい夜の帳の中でした。綺羅星は不変に瞬いて彩色豊かです。
熊の持っていた人形が目の前に浮かんでいます。まだ淡く発光していて、緩やかにその姿を変えていきます。私はそれをじっと見つめていました。葉っぱが美しく波打つ栗色の髪に、ざらついた木の表面は白くつややかな肌に、別れた枝はしなやかな手足に。そう、淡紅色のドレスを身に着け、大きなリボンとルビィの髪留めを飾り、赤い靴を履いた……おねえさまの姿になるまで。
おねえさまは微笑んで、ふわりと私を抱きしめました。私は急に玉羊羹のことを思い出し、その袋を探しますがありません。ポケットに一つ入れたはず、とも思いましたが、私はすでにスカァトを脱いで半ズボンなのでした。
おねえさまは首を振り、自身の手に持つ袋を私に見せました。私が買ってきた玉羊羹。おねえさまは一つ取り、縛ってあるゴムを取り、ゆっくりとその口に運びます。
何故でしょうか、涙が出てきます。瑞々しい桃色のその唇。味わって飲み下すその喉。
おねえさまは再び私を抱きしめます。
暖かい。私は目を閉じて至福を感じながら、やはり涙は止まりませんでした。
「さて、ウミガメのキミは海に帰らなければならない」
私の至福は思うや否や、泡と消えました。
再び目を開けると、あの男のひとでした。
「申し訳なさを捨て、自分でつかむ力を取り戻し、抑圧から解放され、自分の足で立った。キミはゲェムに勝利できたのかな」
答える前に、男のひとはまたステッキを一振り。
帳がまた、私を包みます。否応なしに、暗転。