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Angelica Seed  作者: 涼里
2/6

【2】

 きみ、きみ、だいじょうぶ


 遠くから呼ぶ声がして、私の意識は急におもてに戻りました。

 私は倒れていたようで、掌には草木の感触があり、うすく開いた目に高い空と、少し低い位置にある茂った木の枝が見えます。

 優しく肩を揺らされました。

「きみ、だいじょうぶ」

 肩に触れる手は武骨で、毛深い。薄眼に映るその姿も、大きくそして茶色の毛で覆われていました。熊。熊が私を覗き込んでいたのです。


 ゆっくりと身を起こしました。ああ、お洋服を汚してしまったな。おかあさまに失望されてしまうでしょうか。

 熊はそっと私が起きる処を見守ってくれていました。そんなに恐ろしい熊ではないようです。


 見回すと、そこは私が先ほどまでいた通りの一角ではないようでした。映写で惑わされているのでしょうか。しかし草の感触も樹々揺れる緑の匂いも、まるで通りのものとは思えないくらい萌え立って私と熊とを包んでいました。


「ここはどこですか」

「さがしものをしているんだ」


 私と熊とが同じに口を開きました。

 私は引いて黙り、熊はもういちど云いました。

「さがしものをしているんだ」

 風がざああ、と吹きました。足元の花が揺れました。私はなんだかとても大事な秘密を聞いてしまったかのような気持ちでどきどきとなる心臓に、冷や汗を流します。熊は私の言葉を待っているようでした。

「えっと……何をお探しですか?」

 私はまだまだ収まらない心臓を持て余しながらそっと熊に問いました。


 熊は無言で木の棒を差し出しました。丁度抱えられる大きさで、真ん中あたりに枝が二つ、下の部分は二股になっています。てっぺんには木の葉。

 熊はそれをさも大事そうに抱きしめました。人形、なのかもしれません。この場合、熊形と呼ぶほうがいいのか……。

「お人形、……です、よね?」

 確かめるように問うと、大きな赤い口がかっと開きました。人形、で良いようです。


「持ってるはずなのに、持っていないんだ」

 熊は棒の木の葉の部分を撫でました。何を探しているのかは皆目見当もつきません。

「一緒に探しましょうか?」

 私の言葉に、熊は首を傾げてしばし此方を見つめました。私はどうかしていました。今此処が、刺繍やレース、詩集や絵物語のお店が並ぶ通りではないということだけで、なんだか、いいえ、震えてしまうくらい高まってしまっていたのです。心臓のどきどきもその所為かもしれません。

熊はそんな私を胡乱な目で見ていました。

「きみ、信用できるの?」

 今さら不躾に私のお洋服をじろじろと見ます。信用できるかなどと問われても、困りました。

 私は思い出して袋からひとつ、玉羊羹を取り出すと熊に差し出しました。

「どうですか、」


 熊は苦い顔で首を横に振りました。

「それはきみが持ってないと。帰れないよ」

 帰る。どうしてそれを忘れていたのでしょう。玉羊羹はすっかりぬるくなっていて、口に入れても清涼感は味わえないでしょう。おねえさまに、冷たい玉羊羹を召し上がってもらいたかったのに。でも、ここから家までの道程がわかりません。どうやって帰れば良いのでしょう。

 私の落胆が顔に出ていたのでしょうか。熊が困ったように云いました。

「きみはおかしな格好をしているね」

 どきっとします。お茶会でおともだちがこっそりと私を指さして云うことばでした。おかしな格好。そう、袖の膨らんだお洋服など似合わないのは、私が一番よく知っているのに。

「その髪に着けているきらきらした花は何だい?」

 熊が指さしたのは、おかあさまが私の誕生日にくださったルビィでできた花の髪飾りです。今日の淡紅色のお洋服に合うから着けなさい、とおかあさまに云われたので飾りました。

「それをくれたらきみを信用するよ。きみみたいな人はたまに此処にくるんだ。帰り道を知ってる人を知っているよ」

 まるで詐欺のようですが、帰り道を知っているという言葉は魅力的でした。でも……。


 また強く風が吹き、私の短い髪さえ揺れます。眼が泳ぎ、見回すと、太陽は高くて気候は良く、穏やかな暖かさと光が満ちる場所でした。

 おかあさまが、私の誕生日にくださった髪飾り。私の心に錘で固定されているこの気持ち、おかあさまはきっと哀しまれるだろう、おかあさまはきっとお厭なことだろう、おかあさまはきっと。

 みぞおちから何かが溢れそうになります。強く吐き気を催します。その時。

 大きく雑な作りからは思いもよらぬ優雅さで、熊が私の髪から花飾りを取りました。

「これははずしていいんだよ」

 どうしたことでしょう。太い熊の声が、おねえさまの甘い声に聞こえました。

 こみ上げるものは途端に収まり、私は熊を呆然と見上げます。

 熊は愛しそうに木の棒を撫でると、木の葉の先に私のものであった髪飾りを着けました。

 ふふふ、と自然私は微笑って居ました。

「いいよ、あげる」

 もともとそんなもの、着けたくなかったんですから。



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