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短編大作選

トイレ統括マネージャー 御手洗たもつ

この学校にトイレは二つ。それも男女兼用の個室トイレが二つだけ。教員は十数名。生徒は全学年合わせて五十名ほど。授業終わりに我慢していた生徒達が殺到したらトイレは大変なことになる。そこで私がこの小学校に派遣された。


校庭の端の方にポツリと置かれたボロボロの箱が二つ。正式にトイレと呼んでいいのかも分からない簡易なもの。この二つの箱を三つに増やすという案も挙がってはいた。しかしそれは学校の置かれている立場上、不可能なものだった。


私は最近トイレに関連するある機械を発明した。それは尿意を数値化して予測出来るようにする機械である。予測方法は至って簡単。専用シールを下腹部にペタッと貼るだけだ。


情報は全てこのスマホの中に集まる。全てこのスマホで情報管理を行っている。この情報を先生の耳に私がイヤホンで伝え、それが先生から生徒達へと伝わってゆく。私は尿意を数値化する機械によってトイレを取り仕切るスペシャリストなのだ。



 * * * * * * * * *



“トイレ統括マネージャー 御手洗たもつ”





御手洗たもつ。彼はトイレ業界に現れた新しい風である。


今まで不可能と言われてきた尿意の予測をほぼ正確にやってのけた。


そして彼が開発した機械がこの『NYO-0001』である。


この画期的な機械がトイレ問題に悩む小学校に平和をもたらした。


彼がスペシャリストと呼ばれる由縁は機械の開発だけではない。


スペシャリストと呼ばれる最大の要因は捌きにある。


尿意を予測する機械によって効率よく生徒たちをトイレという楽園に導いている。


我々は今回、彼がトイレ統括マネージャーとして勤務する小学校を訪れた。




彼はトイレの前でずっとスマートフォンを見つめていた。


この仕事に気が抜ける時間などほぼ訪れない。


早速、彼は先生方の耳へと伝わるマイクで指示を出す。


「△△さんをトイレに行かせてください」


「はい。はい。はい、お願いします」


この学校にはトイレが二つしかない。


しかもそれは男女兼用の個室トイレ。


授業終わりはトイレを求めて生徒が殺到する。


それを防ぐため、授業中から常に生徒と向き合い、トイレの利用を潤滑にするのが彼の仕事である。


休み時間に入っても、授業が終わっても、彼の仕事は続いていく。


スマートフォンに随時入ってくる情報を確認していた彼が、一瞬だけ首を傾げた。


“どうかされたんですか?”


「尿意のメーターはそんなに高くない二人を含めた、三人が同時にトイレに行きたがっているらしくて」


「せっかちな生徒を先に行かせて、のんびりな性格の生徒には少し待ってもらいましょうかね」


「じゃあ、△△さんと○○くんをトイレに行かせてください。××くんには少しだけ待つように言ってもらってもいいですか?」


「あっはい、分かりました。お願いします」


機械に完璧はない。


人間にだって完璧はない。


完璧にどうやって近づけるのか。


それが彼が追い求めている最大のテーマなのかもしれない。


彼は取材中、こんなことを言っていた。


「トイレは当たり前に存在するもの。だからこそトイレにスムーズに入れないだけで気持ちも滞ってしまうんです」


「トイレは絶対に避けては通れない道なんです。だから常に全力でトイレと向き合っていきます」




順調に進んでいると思われていたが、彼は突然、頭を抱え出した。


“何かトラブルですか?”


「尿意の数値が高い生徒が何人かいるんですけど、20分経ってもトイレから出て来ない生徒が一人いるんです」


我々にも張り詰めた緊張感が伝わってくる。


しかし彼の目には、一瞬の曇りも、一瞬の迷いも現れてはいなかった。


「すみません。××くんに外の花壇で出来るか聞いてもらってもいいですか?」


「あっはい、あっそうです。はい、分かりました。ではお願いします」


彼にとって、それは苦渋の決断だった。


トイレで不安を放出して気持ちをリセットして欲しい。


トイレで柔らかな落ち着きを全生徒に与えてあげたい。


それを少しでも果たせなかった悔しさからか、彼は浮かない表情を見せていた。


男子生徒に花壇で用を足すように導く、素晴らしい対応力。


その対応力が自分自身を苦しめているようにも見えた。


視野が広い彼だからこそ抱える葛藤や苦悩が、背中から滲み出ていた。




「あの。今はトイレが二つとも空いてますので入りますか?」


「入っておいた方がいいですよ。この先また混雑が予想されていますので」


「入りたくなったらいつでも言ってくださいね。隙間を作りますので」


密着中の我々取材陣にも優しくトイレを勧めてくれた彼。


その優しい心に改めて我々から感謝の気持ちを送りたい。




急に彼は校舎へと早歩きで進んでいった。


我々取材陣もそれを追って校舎に足を踏み入れる。


彼の行動範囲や思考力、そして気遣いはトイレ付近に留まらない。


“これから何をするんですか?”


「授業をしている教室まで行って、生徒の様子を伺うところです」


「やっぱり顔を直接見ないと生徒の気持ちや変化に気付いてあげられないと思うんですよね」


「全生徒に全力で向き合うというのは難しいかもしれませんが、出来ることは全力でやりたいんです」


熱のこもった声に意志の強さを感じた。


スマホ画面と格闘しているときのあの凛々しい顔とは対照的な優しい笑顔で、彼は生徒を見守っていた。


常に目を光らせ、常に生徒の心に寄り添っている。


彼の人に対する思い遣りのようなものが、身体中から溢れているように感じた。


すると彼の足はおもむろに動かすのを止め、ある教室の後ろのドアの前で暫く立ち止まっていた。


我々は彼にその訳を聞いてみた。


“どうかしたんですか?”


「あの女子生徒はずっと水を飲んでいますよね」


「美容のために授業中に2リットルのペットボトルの水をがぶ飲みしているのでしょう」


「生徒はひとそれぞれなんです。頻尿の子。トイレが早い子。一度も尿意反応がない子。そして美容を気にする子などなど」


「常に生徒のことを分かってあげていなければ、この仕事は勤まりません」


我々は彼に気付かされたことが幾つもある。


生徒に寄り添っても見えないものはある。


しかし寄り添ったからこそ見えるものも多く存在すると。


物事にひとつとして絶対はないように尿意予測にも絶対はない。


だからこそ彼のように寄り添ってくれる存在が必要なのだと。




「ちょっとトイレに行ってきますね」


彼もひとりの人間なので、トイレを使わなくてはならない。


しかし、そこはプロ。隙間を絶妙に縫い、無駄の無い動きで素早くトイレを済ませ出てきた。


生徒たちのため、一秒たりとも時間を無駄にしてはならない。


そんな決意が彼の行動や言葉からずっしりと伝わってくる。


休み時間、生徒たちが何やらノートを広げている場面に遭遇した。


生徒たちはトイレ休憩時の授業内容を休み時間に教え合っているのだ。


彼の努力に生徒たちも協力し、ひとつに纏まっているのが目に見えて分かった。




我々取材陣は、ずっとあることが気になっていた。


そのことを思い切って彼に聞いてみることにした。


“すみません、ちょっとお金のことについてお伺いしたいのですが”


「機械の普及のために、ほぼ無償で働いています」


「お金のことは特に気にしていません」


「生徒のことを一番に気にする。それが私の使命だと思っているので」


食事中であるにも関わらず、彼は笑顔で我々の問いかけに答えてくれた。


彼は支給されたお弁当を勢いよく頬張りながら、鋭い目力を周囲に放っていた。


「食べている時間はありませんが、食べないと頭が回らないので」


彼の言動には、何度も驚かされ、何度も感心させられた。


彼はこの学校になくてはならない存在だと、改めて感じた。


そんな彼の頭のなかには常に課題が山積みらしい。


先生や来客に対応しきれていない現状。


便意の予測はすることが出来ず、混乱することも多数あるという現状。


便意を数値化して予測出来るようにする。


そんな機械をいつか開発する。


それが次の目標だと彼は我々に断言してくれた。




取材中、彼が顔を綻ばせる場面が多く見受けられた。


彼がこの仕事を心から楽しみ、真剣に取り組んでいる姿勢がひしひしと伝わってきた。


生徒が下校しても、彼の仕事は終わりではない。


生徒のいない学校で彼は黙々とトイレ掃除をこなす。


生徒がいなくなった後も明日の準備に余念がない。


“綺麗で始まり綺麗で終わる”それが彼の掲げたテーマであり、生き様そのものでもある。


“トイレ統括マネージャー 御手洗たもつ”


彼の一日の終わりもまた美しく輝いていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 突っ込みどころは多々あるが勢いで押していく方針らしい。変にふざけたり寒いノリはないところは非常にいいと思う。 [気になる点] 取材陣来ているっぽくて、それなのに屋外は非常にまずいような気が…
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