ねえ、アイリスのことどう思う?
「ねえ、テオ。アイリスのこと、どう思う?」
ユリウスは頬杖をついて俺から目線をそらしたまま呟いた。
「意思が強くて、健気で、美しいと思う」
俺の言葉に、ユリウスは弾かれたようにこちらを見て目を見開いた。
「お前はわかりやすいなあ、ユリウス」
思わずくつくつと笑うと、ユリウスの眉間にシワが寄る。
最近のユリウスは、アイリスのことばかり考えていると言っていい。
気が付けば目がアイリスを追っているし、この間の社交パーティーでもアイリスに声をかけた男を歯軋りをしながら睨み付けていた。
歯軋りは正直こわいから、やめてほしい。
気が付いていないのはアイリス本人ぐらいのもので、エリーゼもきっと気が付いているだろう。
エリーゼとユリウスの間で、すでになにかがあったと思うのは考えすぎではないはずだ。
エリーゼは、あまり顔を見せなくなったし、どこか気まずそうに言葉を交わす二人を何度か見ている。
「ユリウスは、アイリスをどう思う?」
反対に訊ねると、ユリウスは一度ばつが悪そうに口を引き結んだ。
「テオなら……、テオならアイリスを幸せにしてくれるって、思う」
たどたどしく紡がれた言葉は、自分に言い聞かせているようで。
目は口ほどにものをいうとは、このことか。
まばたきの回数も多く、表情もこわばっている。
「ユリウス、俺はさ」
アイリスの顔を思い浮かべた。
幼い頃の泣き顔を思い浮かべた。
ユリウスを見つめる熱を持ったまなざしを思い浮かべた。
「俺は、家が決めた相手と結婚する」
ひゅっと息を飲む音がする。
「テオ……」
「俺がアイリスをどう思っていようと、関係がないんだよ」
ユリウスは眉を下げて、どこか痛めたように顔を歪めた。
「それ、は……っ」
なにかを言おうとして口ごもるユリウスに笑うと、なぜかユリウスはもっと痛いような顔をする。
「なんて顔、してんだよ」
ユリウスに言ってから、ふと考える。
俺は今どんな顔をしてるんだろうな。
「こっちのセリフだよ、テオ」
ああ、ままならないな。
「ねえ、テオ。アイリスさんのこと、どう思う?」
エリーゼが、まっすぐに俺を見て聞いてくる。
どこかで聞いたような言葉に、しばらく思案しているとエリーゼはスッと目をそらした。
「……アイリスさんとテオ、お似合いだと思うよ」
エリーゼらしくない、揺れた声だった。
しばらく沈黙していると、エリーゼは観念したようにゆっくりとため息をつく。
「気付いてるかもしれないけど私、ユリウスに振られたよ」
「……そうか」
俺の淡白な相づちに、どこか吹っ切れたような顔をしてエリーゼは笑った。
「ようやく、女遊びとかされても別にいいかなって決心がついたと思ったら、これだもんなあ」
エリーゼがユリウスの女癖を気にしていたのは知っている。
事実、ユリウスは愛想がいい分、勘違いが勘違いを呼ぶのも無理はないことなのかもしれない。
「ユリウスは、女遊びどころか女嫌いだけどな」
え、と小さな声がする。
はとが豆鉄砲を食らったような顔、と言えばいいだろうか。
大きく目を見開いたエリーゼの唇がわなわなと震えた。
「でも噂……」
「だから、噂だろ」
しばらく呆然とまばたきを繰り返していたエリーゼの目からぽたりと涙が落ちて、やがてゆっくりと脱力する。
「そっか。なんにもわかってなかったんだね、私」
きっとアイリスさんと違って、と濡れた声で呟いた。
「エリーゼは、ユリウスのどこが好きだった?」
エリーゼとアイリスが見ていたユリウスはきっとそれぞれ違う。
そして、どちらが正しいとかどちらが間違っているとか、そういう話ではないのだろう。
「ああいう、誰にでも優しそうに見えて本当は大切な相手にしか優しくない人、好きなの、私」
エリーゼが今まで見たことのないような艶やかな笑みを浮かべる。
少し変わった性癖だった。
「ねえ、その顔、ひいてない?テオ」
じろりと睨まれて苦笑した。
「ひいてねえよ。俺になびかねえはずだと思ってただけだ。俺は誰にでも優しいからな」
「テオのそういうとこひく」
おい、真顔はやめろ。
「でもテオ、もたもた誰にでも優しくしてたらアイリスさんとユリウスくっついちゃうよ」
エリーゼは真顔のまま、そう言った。
「私はユリウスのこと応援してるけど、テオのことも大事な友達だから、後悔はしてほしくない」
「ユリウスを応援してるのか」
意外な言葉にエリーゼを見ると、エリーゼはどこか困ったように笑う。
「もう振られちゃったし、私ユリウスのこともテオのことも友達として結構好きだったからね。二人とも家柄だって悪くないのに、素が出せるって感じで」
エリーゼの瞳に、覚悟のようなものが見えた気がして息を詰めた。
「もう、会わないつもりか」
俺たちに、と言わなくても、きっとエリーゼの目はすべてを理解していた。
無邪気な表情の裏でたまに見せる理知的な瞳こそが、彼女の言うところの "素" だったのかもしれない。
「テオって勘が良すぎてたまに嫌になる」
僅かに口を尖らせてから、ゆっくりと深く呼吸をする。
「早く、忘れたい。応援はしてるよ、ユリウスのこと。どうせなら幸せになればいいって思ってる。でも、別に幸せにならなくてもいいし、どっちにしたってそんなユリウスを見ていたくない」
私以外の手で幸せになるユリウスも、不幸せになるユリウスも、とエリーゼは小さく小さく呟いた。
「アイリス」
見知った後ろ姿に声をかけると、アイリスは美しい所作で振り返った。
俺の顔を見て、ふわりと微笑む。
「テオ様、こんにちは」
「奇遇だな」
そうですね、と笑ったアイリスはしばらくなにかを思案するように目線を動かしたあとゆったりと首を傾げた。
「最近ユリウスとエリーゼの様子はどうですか?」
唐突に問われて思わず苦笑すると、アイリスが恥ずかしそうに頬を赤らめて身動ぐ。
「最近、ユリウスに聞いても要領を得ないのでつい……失礼いたしました」
「いや、唐突だったから驚いただけだ。気にしたのなら悪かった」
アイリスは、ふるふると首を振って花のように微笑んだ。
「テオ様は……お優しいですね」
思わぬことを言われて、言葉が詰まる。
「……昔と違ってか?」
無理矢理笑って見せると、キョトンと目を丸めたアイリスはしばらくして思わず、といったように小さく笑う。
「やっぱり、昔と変わらず意地悪かもしれません」
どこからか沸き上がる、このあたたかいものはなんなんだろうな。
「お前は、変わったな」
「……極悪非道な女になりました?」
アイリスは、仕返し、というようにいたずらっ子のような表情で笑っている。
「泣き虫じゃなくなった」
昔よりも、よく笑うようになった。
アイリスは、再びきょとんと目を丸くしてから、なにかを懐かしむように目を細める。
「テオ様は……やっぱり昔から、お優しかったですよ」
さっきのように笑おうとして、失敗した。
どうして、だろうな。
かつての、泣き虫で可憐な少女と、気高く美しい目の前のアイリスがぴったりと重なって、息ができなくなりそうだった。