第5話 初デート
土曜日。俺は公園のベンチに座る。
ここへ来たのはダイアナに次ぐ最高の泥団子を作る為ではなく、白土と待ち合わせをしているからである。
「あっ、凌君っ!」
待つこと数分、白土が走って公園に入ってきた。
意外だな。集合時間や場所を間違えるどころか約束そのものを忘れるというポンコツオチを恐れていたよ。
駆け寄ってきた白土は俺の前で急停止し、小さな鞄から引っ張り出した大きなバスタオルで汗を拭く。
「ごめんねっ。待った?」
「……いや全然」
返答するのに時間がかかった。いきなりバスタオルを取り出したことに呆れるよりも先に、白土の私服姿を見て言葉を失った。
ギンガムチェックのブラウスと、その上に着たやや大きめのゆったりとした白のケーブル編みカーディガン。ネイビー色のロングのマキシ丈スカートは裾の揺れが美しくエアリー感がある。春の季節にピッタリな装いであると同時に、ふんわりガーリッシュな甘口コーデは白土の可憐で甘美なルックスをさらに引き立たせてまるで羽衣のように綺羅を飾り、それでいて派手ではないし決して地味でもなく、なんというか、もう、とにかく可愛い。可愛すぎる。
私服の白土はすげー良かった。プラス百点だ。バスタオルを持参したのはマイナス五十点だけど。
「えっへっへ~♪」
「随分と上機嫌だな。食べ放題に来たデブみたい」
「わたしはデブじゃないよ!」
「いやそういう意味ではなくて」
「わたしは結構痩せているよっ。でもお胸は結構大き」
「ストップ。おやめなさい」
何を言おうとしている。ビックリしすぎて早くも俺の中のジョイマン池谷が「何だこいつ~!?」と叫んでいるぞ。
焦る俺を余所に、白土は純真スマイルでこちらを見てきた。
「えへへっ。は、初デートだね」
照れながらも嬉しくて仕方ないと言わんばかりに顔を綻ばせる。
何を浮かれているのか知らないが、誤解しているぞ。
「デートの練習な」
今から行うのはあくまで練習。男と付き合ったことがない白土にデートというものを体験させる為だ。
気楽にいこうぜ。俺がそう付け足すと、白土は両手をグーにしてより一層エネルギッシュになった。
「練習でもわたしは頑張る!」
「気張らなくていいから」
「そうなの? そっか、気張るのはおトイレだけでいいよねっ」
「よーし白土、早くも本日二回目の減点だ。女の子が下ネタを言うんじゃありません」
気張ると聞いて即座にトイレを連想させるな。レベルが男子中学生だ。学校での体貌閑雅なお前はどこいった。お淑やかモードを解除したらホント容赦がないね。
頭が痛くなる前にさっさと話を進めよう。
「まずはどこに行くご予定で?」
デートプランは白土に一任してある。練習なんざ今後いくらでも出来るし、一応は記念すべき第一回目なので白土がやりたいようにさせてみようと思ったのだ。
言っておくが、俺が考えるのが面倒だったわけではない。そこは蛍光ペンを引いて強調したい。マジでマジで。
白土は片方の拳を掲げて答える。
「任せてっ。まず最初はご飯を食べに行こっ」
「オッケー。じゃあ道案内を頼む」
「ぶーらじゃー!」
「野原家以外でそれ使う奴が存在するとは思わなかった」
女子高生の自覚ある? と言いたいが、こんなことにまでツッコミを入れていたら白土の持ち点と俺の気力はすぐゼロになる。出来る限り甘めに採点しよう。
俺は幼子が積み木をする様を見るかのように慈しんで頷き、ベンチから立ち上がって公園の出口へ向かう。
けれど白土はついて来ず、グーにしていた手を開いて自身の頬に添えた。
「……遂に凌君との初デート。練習でもすごく、すっごく嬉しい……っ」
「何してんの? 早く行こうぜ」
「う、うんちっ!」
「はい減点んん!」
公園を出た後はバスに乗って移動。バスを降り、また歩いて最初の目的地へと向かう。
その間、白土はスキップしながら笑みを絶やさない。
「えへへ♪」
「楽しそうだな」
引っ張れば餅みたいに伸びそうなとろけきった頬は桃色に染まり、初めて外野フライを捕った野球少年みたく満面に喜色を湛えていた。
ちなみに俺は電車を降りてからずっと顔をしかめている。
「今から行くお店はね、わたしのオススメなのっ」
「そうかそうか。で? その店にあるルールがこれなわけね」
俺はバスの中で渡された一枚の紙をもう一度読み返す。
手書きによる箇条書き。書かれているのは以下の通り。
『会話をしてはいけない』
『写真撮影をしてはいけない』
『携帯電話を使用してはいけない』
『ラーメンを食べる前に辛子高菜を食べてはいけない』
『最初にスープを飲む。先に麺を食べてはいけない』
『これらを破った場合、即退場となる』
……。
「そこのラーメン屋はルールが厳しいんだよっ」
「そうかそうか。とりあえず白土、お前は字が綺麗だな」
「お母さんに書いてもらったのっ」
そうかそうか。ならもう褒める点ねーよ。もれなく怒涛の罵倒に移らせていただく。
デートだよな? 初デートでなぜラーメン屋? しかもなぜこんなに厳しいルールの店なんだ。デートで会話禁止ってありえない。キーパーが投げたボールが相手のゴールネットを揺らすくらいありえねーからな。少林サッカーか。
このポンコツ女子に一任したのが間違いだった。せめて飯屋は俺が決めておけば良かったと後悔する。
「凌君と来るのが夢だったの……うへへぇ」
男がやったら即フラれてSNSで晒される愚行だぞと叫びたくなったが、頬をふにゃふにゃにさせた白土に免じて口を閉ざそう。可愛いは正義だ。
しゃーない。こいつのオススメとやらで初デートのランチだ。ただし無言で。
「白土はラーメンが好きなのか?」
「うんっ。とんこつラーメンが好きっ」
「へえ。今から行く店もとんこつ?」
「そうだよっ。あ、見えてきた。あれだよー!」
「……ほほぉ?」
俺は思わず唸った。
一般的なラーメン屋には暖簾がある。いかにもラーメン屋だぜっ、という面構えをしている。
だが白土が指差す先には暖簾もなければラーメン屋の雰囲気もない。仮設住宅みたいな四角の古びた建物だった。
おかしいな? ラーメンを食べに来たんだよね? 俺ら不動産屋に用事あったっけ?
「見てみて凌君っ、入口の前に吸殻入れのバケツが置かれてあるでしょ? あれが営業してますよってサインなのっ」
「9と4分の3番線並みに難解だな。いやあれホントにラーメン屋?」
あ、ヤバ、頭痛が……まだ何もしていないのに頭が痛い。気力が底尽きた。もし恋愛シュミレーションゲームでこのイベントが起きたら俺は電源を切ってディスクをシュレッダーに放り込んでいる。
「お店に入るねっ。ルールは覚えた?」
「へーい……」
だが恋愛ゲームではく現実だ。俺は意識を保ち、白土の後に続いて入店する。
数個のテーブルとL字型のカウンター席。外面は不動産屋でも内装はちゃんとしたラーメン屋だったので少し安堵する。客が全員無言で麺を啜っているのはどうかと思うけど。
「ラーメンを二つお願いします」
気づけば白土がお淑やかモードになっていた。
上品な佇まい且つ慣れた様子で注文を告げると、困惑する俺に対し小声で「座ろう」と促してきた。
俺らは空いていたテーブル席に座り、ラーメンが来るのを待つ。
「……」
「……」
ルールの一つ、会話は禁止。無言で待つ。
「……」
「……」
ルールの一つ、携帯電話の禁止。スマホで暇潰しが出来ないので無言で待つ。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
おいおい嘘だろ? 何このシュールなデートは。
練習とはいえ、これが俺と白土の初デート? こんなんでいいの? 店内にいる人誰も喋らないし!
「はいラーメンお待ち」
店員が無愛想な声と共にラーメンを置いた。何すかその威圧感。
だがラーメンは美味しそうだ。店でとんこつを食べたことがないので少し楽しみ。
「いただきます」
早々に去っていく店員にはきっと聞こえなかっただろう。
白土は静かにそっと呟き、目を閉じて両手を合わせた。
「っ……」
喋られない分、目がより動く。白土の姿を見てドキッとしてしまう。
横髪を手で押さえつつレンゲでスープを掬う。口元へ運び、音を立てずスープを飲む。それら一連の動作がとても画になっていた。美しかった。
『食べないの?』
白土が顔を上げ、アイコンタクトを送ってきた。俺は肩を揺らす。
スープを飲む前に息を呑んでしまった。慌ててレンゲを持つ。
えーと、最初は麺ではなくスープを飲まなくちゃいけないんだよな。
こうやっ、て……。
「へ?」
思わず声が漏れる。だって、スープが持ち上がった。
レンゲでひと掬いしたはずが、スープが泥のように持ち上がったのだ。
え、これ、大丈夫……?
「凌君?」
「……いただきます」
臍を固めていざスープを飲む。
口に広がるとんこつの味わい。うん、美味い。美味しいと思う。
だが濃すぎる。とんこつの味わいが濃すぎる。
箸で麺を持ち上げてみる。するとスープも一緒に持ち上がった。
さっきから何なの? もれなくスープが持ち上がるんだけど。スープめちゃくちゃ重いし濃いし。何これ? これベトベトン?
『美味しいよねっ』
アイコンタクトの後、嬉しそう&美味しそうに麺を食べる白土。
白土だけではない。他の客も満足げに顔を丼で覆ってスープを最後の一滴まで啜っている。
な、なんで? なんでここにいる人間はさも当然のようにベトベトンを啜っていられるんだ。ベトベトンだぞ? なぁんで恍惚とした表情でベトベトン食べてるの!?
『そ、そうだな』
俺は瞬きに返事を乗せて白土へ送る。
……麺を食べてみる。う、うん、美味しいかと問われたら美味いと答えるよ。麺にスープがよく絡んでいると思う。
麺にスープが絡む。つまり麺もベトベトンの味わい。麺もベトベトンじゃねーか!
「……」
「……」
その後も無言で俺と白土はラーメンを食す。
白土は上品に食べる。一方で俺は目尻を痙攣させながらベトベトン麺を口の中に押し込んだ。