第2話 夕日が目に染みるぜ
高嶺の花、白土優里佳。学校一の美少女は実はドがつく程の残念なポンコツ少女だった。
そのポンコツを治して本当の高値の花にするべく俺は白土の指導係に任命された。そしてなぜか恋人役も任されてしまった。これには驚いた。超大型巨人の正体を知った時くらい驚いた。
ロープ使いの教師曰く、
『優里佳は男の子と付き合ったことがないの。完璧な高嶺の花を目指すならデートでの所作を心得た方がいいでしょ? 君は彼氏の役と指導係の二つを兼任する、その名も彼氏教師になりなさい』
とのこと。何だよ彼氏教師って。家庭教師みたいに言うな。
そもそも俺の意思は終始ガン無視だった。今流行りの忖度はどうした。え、それもう古い? マジすか。
「これからよろしくね、凌君っ!」
「お前は元気で呑気だな。俺は未だに頭上のハテナマークが消えてないんだけど?」
言い渡された極秘任務は白土のポンコツを矯正すること、白土に恋人の経験をさせること。以上二点。最後になんかサラッと二つ目を付け足されたけど一つ目より大変じゃなかろうか。
……つーか白土はいいのかよ。俺が恋人役で。
「あのねあのねっ」
いいらしい。白土は飛び跳ねていた。
こいつのテンションはどうなっている。俺が知る白土優里佳はぴょんぴょん飛び跳ねたりしないし、爛漫に笑ったりもしない。普段とキャラが違いすぎる。
しかも名字呼びをやめて凌君って呼んでくる。ノリノリですか。
「詳しい事情は明日聞くとして、今日は帰ろう」
「うんちっ! あっ、ま、間違えた、うんっ!」
「そんな間違え方ある?」
美少女が発して良い三文字ではない。学校の男子が聞いたら幻滅する奴が八割、残り二割は興奮するぞ。
早くも鬱屈してきたが、なんとか正気を保って俺は白土と並んで学校を出る。
「あのねあのねっ、わたしやってみたいことがあるの」
「公園で泥遊びか?」
「それは週一でやってるっ」
やっているのかよ。しかも週一かよ。俺の小ボケをクロスカウンターしないでいただきたい。
「あー、寄り道か? 少しなら付き合うよ」
「ホント? やったーっ」
頬を緩ませて小ジャンプ。跳ねた際に二つ結びした髪が宙を舞う。良い香りと共にサラサラと。
改めて白土優里佳という人物を思い返してみよう。
白土は常にお淑やかだ。よく本を読んでおり、物静かで品がある。容姿が良いからといって驕慢な態度は見せないし、注目しろと言わんばかりの強烈な華やかさは微塵も感じられない控えめな性格の持ち主。
それでもある種の嫣然たるオーラと存在感を放ち、見る者を虜にするはまるで清楚な一輪の花。それもとびきりに美しい高嶺の花なのだーっ。
といったイメージは、つい十数分前の俺も含め全校生徒を偽る姿。本当の姿はテンションが高い無邪気な女の子だったとさ。
実は性格がクソ悪いとかじゃなかっただけマシとはいえ、知ってはいけない学校一の美少女の秘密を知ってしまった俺は今一度深く落胆する。グライシンガーの調子が紫色だった時くらいの落胆だ。じゃあ先発は内海しかいない。俺はどのシリーズのパワプロの話をしているの?
「凌君がわたしの彼氏……えへへぇ~」
こっちの気も知らずに笑う白土。何がそんなにハッピーなのやら。
……本当、嬉しそうに笑っている。まあ、その、すごく可愛いですね。
「着いたよっ」
来た場所は河川敷。ごく一般的なタイプの河川敷だ。
「ここで何をするんだ?」
「恋人って放課後に河川敷でいちゃいちゃするんだよっ」
「いやしないよ昨今は。それいつの時代のセーブデータ?」
「ねぇ座ろっ」
歩道から降りて河川敷に並んで座る。
すると白土が俺の腕に抱きついて顔を寄せてきた。そりゃもうガバッと勢いよく。
「白土?」
「凌君……わぁ、凌君だ。凌君、凌君凌君凌君凌君凌君~!」
な、なんか激しく俺の名を連呼してるんだが。
白土は顔をうずめ、激しめに呼吸をし始めた。
「すーはー。すーはー! げほげほっ!?」
「む、咽るなよ。俺の体臭がキツイみたいじゃん」
「臭くないよ! シュールストレミングより全然臭くないっ」
「世界最凶と比べられても困るんだけど」
もう少しまともな比較対象はなかったのかと思いながらも、俺は夕日が全てをオレンジ色に染めてインスタへの投稿を促す何気に素晴らしい景色を眺める。
「すーはー、すーはーっ」
「猛烈に匂いを嗅がれているのはともかく、確かに恋人っぽい感じはするよ」
河川敷の上では自転車がチリンチリンと走り、橋の上を電車がゴトンゴトンと通過する。沈む夕日が影を濃くしていく、良きかな二人だけの時間。
ふむ、今後はこういった調子で恋人っぽいことをしていくのね。これくらいなら問題ないだろう。
「じゃあ凌君が『夕日が目に染みるぜ』って言ってみてっ」
あ、問題が発生しました。自分タイムいいっすか?
「中二病でも尻込みするセリフを所望するな」
「へ? でも彼氏って放課後の河川敷で彼女の為にカッコつけるんだよね?」
「だからそれいつの時代? 最新号のマーガレット読んで勉強しろ」
当然、拒否させてもらう。恥ずかしいだろうが。
「だ……駄目?」
白土が懇願するように目を潤ませてこちらを見てきた。な、何だよその目は。
……俺は白土の彼氏教師。こいつに恋愛経験をさせる。つまりこいつが所望することに応えなくてはならない。やるしかないのだ。
「分かったよ。一度だけだぞ」
あと単純に白土の上目遣いに勝てる気がしなかった。可愛いは正義。
やるからには本意気だ。俺は目を細めて夕日を視界のセンターに捉え、気持ちを込めてキザに言い放つ。
「夕日が目に染みるぜ☆」
「カッコイイ!」
白土は手を叩いて大喜び。涙が溜まった瞳をキラキラギラギラと輝かせて俺を見つめる。
「ねぇもう一回っ」
「一回だけと言ったよね」
「……駄目?」
「早くも必殺技を確立させんな」
涙目での上目遣いやめろって。ぐっ、やればいいんだろやれば。あと一回だけだぞ。
「夕日が目に染みるぜ」
「カッコイイ……もう一回!」
「夕日が目に染みるぜ」
「もう一回言ってっ」
「夕日が目に染みるぜ」
「もう一回!」
「夕日が目に染みるぜ」
「さらにもう一回っ」
「夕日が目に染みるぜ」
「さらにもう一回!」
「夕日が目に染みるぜ」
「もう一回っ」
「夕日が目に染みるぜ」
「もう一回!」
「夕日が目に染みるぜ」
「もう一回っ!」
「いい加減にしろよおぉ!?」
お前、おっ、お前、この馬鹿! やっている俺も大概だけどお前馬鹿だろ! 何回言わせるつもり? 無限ループに入っていたぞ!?
「凌君カッコイイ!」
「全然カッコ良くねーよ。ただの壊れたラジオだろうが」
「もう一回言ってっ」
「ああ壊れているのはお前だったな」
こいつは馬鹿だ。そんで少しでも恋人っぽいと思った俺も馬鹿だ。人類史上最も「夕日が目に染みるぜ」を言った人間になってしまったぞおい。
項垂れる俺を余所に、白土は恍惚とした表情でこちらを見る。
「やっぱり凌君はカッコイイ……」
「そう思うなら録音して家で延々と聞いてろ」
「いいの? じゃあ録音するからもう一回言ってっ」
「夕日が目に染みるぜ」
「わーいっ!」
「こんなカップルこの世に実存しないからな」
夕日を見すぎてマジで目に染みた。染み込みまくりだよ。網膜が焼き切れそうだ。
……今後こういった調子で恋人っぽいことをしていくのね。自分本日三回目のタイムいいっすか? というか永遠のタイムをください。彼氏教師とやらを始めて十数分で俺のメンタル死にかけているんだが!?
「ちゃんと録音したよ。聞いて聞いてっ」
『夕日が目に染みるぜ』
無邪気に無慈悲にトドメの一撃を放つ白土。メンタルが粉砕した俺は白旗を振って立ち上がる。
「満足しただろ……帰ろうぜ」
「うんっ! あっ、ま、間違えた、うんちっ!」
「間違ってねーよバーカ!」
少しでも高校二年生に思い馳せた自分をぶん殴りたい。期待しても高校生活は急変しないと冷静に語っていた自分を蹴り飛ばしたい。
まさかこんなことになろうとは……。
果たして俺はこのポンコツ少女を高嶺の花に育てることが出来るのだろうか。いや無理だろこれ。