第1話 恋人役
放課後という名のオープニング。学生はここからが本番。
俺は鞄を持ち、教室を出た。
春の匂いがたっぷりと染み込んだ四月の上旬。
ラノベ主人公の適齢期である高校二年生に進級した初日はウイイレ最新作を買った直後みたくワクワクさんだったが、その翌日には「あ、ウイイレは神ゲーでも人生はクソゲーだわ」と気づいてワクワクさんをゴミ箱にゴラッソした。
俺も含め全国の高二男子に残念なお知らせを告げよう。
二年生になったからといって高校生活は急変しない。主人公よろしく素敵でウフフな出来事は起きないのだ。
寧ろ二年生になった途端にイベント発生とかマジ勘弁だよな。強制イベントかよ。人生の強制イベントは予防接種と義務教育のみでいいと思います。
つーわけで。さっさと帰って去年と代わり映えのない&味気のない日々を過ごそう。
だってそうだろ? いきなり何かが起きるわけ……。
「二年一組、刄金凌。至急、生徒指導室に来なさい」
廊下に轟く俺のフルネーム。まさかの呼び出し。
しかも校内放送ではなく、俺を呼ぶ声は背後から聞こえた。
「繰り返す。刄金凌、生徒指導室に来なさい」
「……せんせー、本人へダイレクトに告げているのだから繰り返す必要はないっすよ」
後ろに立っていたのは白衣を着た三十路の女性教師。担任の三十路の木賊先生だ。
捕食する際の蛇みたく舌を這わせて微笑む三十路の姿に臆する暇もなく、俺の体はロープで縛り上げられた。
「え、何この急展開。嫌な予感がするのですが」
「死にはしないわ。でも覚悟しなさい」
「教師と生徒がするコール&レスポンスではないですね」
ああ、ゴミ箱に捨てたワクワクさんがバクバクさんになって帰ってきた。心臓がバクバクだ。そんで体が縛縛だ。すげー嫌な予感がする。
訳も分からず俺は生徒指導室に連行された。
「君を連れてきた理由を話すわね」
「話す前に離してください」
「あぁ、そうね」
そう言って先生はロープを解いてくれた。おかえり体の自由。
俺はソファーに腰かけて首を傾げる。
「俺、何かやっちゃいました?」
「逆に聞くけど身に覚えはある?」
逆にとは? 合コンで「何歳なの?」と尋ねて「逆にいくつに見えるー?」と返された時くらいイラッときた。合コンやったことねーけどなーあー。
「ありませんよ。なぜなら俺は中の上なので」
「それ自分で言う?」
「俺のモットーは中の上です。平均よりは上。平凡よりはマシ。ちょいと順風満帆な人生を送りたいのです」
運動や勉強、将来の仕事も暮らしも全てが中の上。欲張りはしない。人生レビュー☆3.5を目指している。
故に俺はそこそこ真面目な生徒だと自負しており、生徒指導室に連れてこられた理由に心当たりはない。
「素行は悪くないはずです。強いて挙げるなら、公園で小学生とガチで泥遊びした件についてでしょうか」
「君のしょうもないプライベートを言及する気はないわ」
「しょうもないはあんまりだ。俺とあいつらは最高級の泥団子を作ったんすよ。ほらこれ見てください、宝石みたいに輝いて宇宙を彷彿とさせ」
俺が語り終える前に先生はカブレラを彷彿とさせるフルスイングで泥団子を弾き飛ばす。
弾丸ライナーで壁に叩きつけられて床へ落ちる泥団子。しかし二段階右折の衝突を経ても球体には傷一つ入らなかった。うふふっ。
「うわドヤ顔がウザイ。人選を間違えたかしら」
「人選?」
「でもあの子の指名だし……いいでしょう、本題に入るわ」
先生は白衣にシワがつくのも気にせず向かいのソファーに深々と座って目つきを鋭くさせる。それが事態の深刻さを物語っていた。俺も真剣に聞こう。
「ある生徒の指導係になってほしいの」
「まず初めによく渇いた土を用意します」
「泥団子の指導じゃないわよ」
真摯に受け答えしたつもりが、先生の目つきをさらに鋭くさせてしまった。おお怖い。
「じゃあ何ですか。俺、泥団子以外の世界は極めていませんよ」
「君は今、付き合っている人はいる?」
「……」
俺は新たに鞄から取り出した泥団子を撫でる&愛でる。
「名前はダイアナです。ギリシャ語で輝くという意味を込」
「いないのね」
せ、せめて最後まで言わせろ。……ああそうだよ彼女いないよ。子供と泥遊びする時点でお察しでしょうに!
「それが何か?」
半ばキレ気味に問いかけると、先生は悪びれた様子なくコーヒーを啜り、とある女子生徒の名を言った。
「白土優里佳。知っているわよね」
「そりゃ当然」
全校生徒がその名と顔をバッチリと記憶している。
一度見たら忘れられない。親の顔よりも生涯覚えておきたい。それほど程の美貌の持ち主なのだから。
二年一組、白土優里佳。昨年のミスコンで二位にトリプルスコアの差をつけて優勝した学校一の美少女だ。
息を呑む美しさ、の騒ぎではない。先日、クラスメイトの北津田君が白土に会釈された嬉しさのあまり呼吸困難に陥って気絶した。まあそれは北津田君がヤバイんだが、それだけ白土が綺麗で可愛いってことでもある。
容姿端麗。羞月閉花。美しき女性の意を持つ言葉全てを使って褒め称えるに相応しい人物。世にブスが多いのは神様がそいつらの美を奪って白土一人に注ぎ込んだからだと友達が語っていた。ドンマイブス。略してドブス。
白土優里佳は神が作りし最高傑作。中の上の俺では近寄ることも烏滸がますぃー上の上のトップ。まさに高嶺の花。
「君は同じ中学出身よね」
「話したことはほとんどないですよ」
「そうなの?」
つーかなぜいきなり白土のことを……ん? ある生徒の指導係になってほしいと言っていたよな。話の流れから察するに……はあ?
「なーんで俺が白土を指導しなくちゃいけないんすか」
白土は学業も優秀だったはず。俺が教えられることなんて……あ、やっぱ泥団子の作り方でしょ。いいですか、大切なのは根気と天気です。湿気のない天気が良い日に、って聞いてます?
「実際に見てもらった方が早いわ」
先生はため息と共にコーヒーの湯気を飛ばす。どゆことー。
「失礼します」
扉が開く。中に入ってきたのは、今しがた話題にした学校一の美少女。
艶を帯びた黒い髪、透き通るような白い肌。整った小さな顔、大きな瞳。ちょっと可愛い程度の女なら一瞬にしてモブキャラへ降格させてしまう美しさ。
高嶺の花、白土優里佳が俺の前に現れた。
「あ、刄金君……」
白土に名前を呼ばれた。北津田君なら卒倒して救急車を呼ばれているだろう。俺は割と平気です。
「はぁい刄金ことクラスの底辺でぇす」
話すのは中学以来かもしれない。
どーも高嶺の花さん。相変わらずお淑やかですね。
「刄金君だ…………えひひ」
「……はい?」
え、何だ今の。えひひ? 俺の聞き間違いかな?
それに、見間違いか? 白土が俺を見て頬を緩ませている。
「……あっ、な、なんでもないですよ」
数秒が経過。白土は我に返ったように慌てふためくと、唇を結び微かな笑いを浮かべる。
「こんにちは刄金君。今日もあたかいね」
「あたかい? 暖かい、か? 『た』が足りないぞ」
「そ、そうでしたね。今日もあたたたたたかいね」
「いや今度は多い」
北斗神拳? まあ「あたたた」言う姿も抜群に可愛い。俺が北津田君だったらお前はもう死んでいる状態になって葬儀屋を呼ばれているよ。
「い、言い間違えました。ええと、本日もお日柄よく春の日差しが厚かましくございまして……?」
お日柄よくの使い方を間違っている。言葉のチョイスも変だ。
白かった頬が赤らみ、口をパクパクとさせ、小さな子供のように狼狽えて今にも泣きそう。
どういうことだ? 白土らしくない。何かがおかしい。
「ええと……あうあう……」
「優里佳、お淑やかモードを解除していいわ」
手助けするように先生が口を開く。声は暗然としており、表情は辟易としていた。
「ホント? いいの?」
「ええ。そこに煎餅があるから食べてなさい」
「わーいっ!」
すると白土が弾け……へ? わ、わーい? Why!?
「いただきますっ。美味しい!」
弾ける声。緩み弛んだ笑顔。白土は歯を剥き出し、バリボリと音を立てて煎餅を食らう。
「むしゃむしゃっ。むしゃむ、ひぎぁ!? い、痛い」
むしゃむしゃ我武者羅に食べていたかと思えば、蹲って口元を押さえた。瞳から大粒の涙が零れ落ちていく。
「お煎餅がお堅い……はゆうぅ……」
「優里佳、ゆっくり食べなさい」
「あ、お団子だっ。これも食べていい?」
「それは泥よ。完成度が高いけど泥なの」
「いただきまー」
「お願い優里佳やめて」
流涕しながらも嬉々とした表情で俺のダイアナを食らおうとする白土を、先生が必死に制する。
……俺は理解が追いつかなかった。
「見ての通りよ。優里佳はね、実はポンコツなの」
「……」
「信じられないかしら?」
自分タイムいいっすか? 俺が知っている白土は無邪気に「わーいっ」とか言わない。煎餅でも上品に食すはずだ。
そのはずが、目の前にいる白土はそれらのイメージから大きくかけ離れた豹変ぶり、もといアホっぷり。
「私は優里佳の叔母なの。この子は昔からこうなのよ」
「俺は同中でしたが、こんな醜態は見たことがありません」
「それは私や一部の関係者が隠蔽してきたからよ」
コナン君かな?
「でもさすがに泥団子を食べようとするのは一段と酷かったわ。君を見て錯乱したのね」
「俺を見て?」
「気にしなくていいわ。で、信じてもらえる?」
「全部こいつの演技だと信じたいところですよ」
だが現実は残酷だ。今俺の視界に映る、咥えた煎餅をジワジワと湿らせて咀嚼のタイミングをハムスターみたいな顔で伺っているのが白土優里佳の本当の姿。
なるほどね、先生がため息をついた訳が今なら分かる。
高嶺の花ではなくヤバめの馬鹿。
学年一の美少女は、とんでもないポンコツだった!
「……刄金君がわたしを見てる」
「何?」
「な、なんでもないよっ。……えへぇ」
白土が両頬を押さえてまた悶え始めた。
もしかして左右の奥歯どちらも損傷した? 歯もポンコツなの?
「この一年間、優里佳のポンコツを治そうとしたけど全く治らなかった」
「えへへ」
白土の頭を撫でながら先生が重苦しい口調で語る。当の本人は呑気にとろけた笑顔。
「高嶺の花と評されるこの子がポンコツだという秘密は一部の人しか知らないわ」
「はあ。じゃなぜに一般生徒の俺に言……あ、ヤバ」
もう一度思い出した。俺は指導係をしろと頼まれた。
瞬時にして脳が最適解を導く。今すぐ逃げろと。両足さん中学の運動会以来の全速力でお願いしまぁす!
「逃がさないわよ」
「ぐえっ」
扉に向かって走るも、すぐに拘束された。さよなら体の自由。
先生は巧みにロープを操り、俺の体を床に叩きつけて上に跨ってきた。すごい身のこなしですね。教職じゃなくてインフィニティ・ウォーの世界で活躍すればいいのに。
「勉強を教えたり駄目なことを注意してこの子を本当の高嶺の花にしてあげなさい」
「せんせー、馬乗りで生徒に告げる内容ではありません」
「今この時を以って君に与えられた極秘任務よ」
「極秘任務という響きは俺の中二ハートをくすぐりましたが、でもお断りさせていただきます」
「駄目よ。最初に言ったでしょ、覚悟しなさいって」
嫌な予感が的中した。話が勝手にどんどん進んでいく。誰だよ○ボタン連打している奴は。
「優里佳、あなたもお願いしなさい」
「っ、あうあう……」
「あなたが選んだことでしょ。ちゃんとしなさい」
白土がピンクに色づいた頬を萎ませ、うにゅうにゅと口ごもりながらも俺の前に立った。俺と目が合うとすぐに逸らしてまつ毛を深々と閉じる。さっきからこいつはどしたの?
その隣に先生も並び、そんで俺はロープで引っ張られて無理やり対面させられる。
「改めてお願いするわ」
「お願い? 命令の間違いでは?」
「今から君は優里佳の指導係よ」
わぁお最終的には無視だ。会話を8切りしやがった。
……どうやら強制イベントらしい。観念するしかなさそうだ。
「はあ~、分かりましたよ」
アホ美少女のアホを治せ、か。なんとまあアホな任務ですね。
仕方ない。逃げられないみたいだし、白土とは一応中学からの縁だ。いいですよ。こいつを高嶺の花に育ててやる。
俺は覚悟を決めて白土をまっすぐに見つめる。すると今度はちゃんと目を合わせてくれた。
白土は恥ずかしそうに、幸せそうに、満面の笑みを浮かべた。
「そして指導係であると同時に、君は優里佳の恋人役になりなさい」
「よ、よろしくね……凌君っ!」
…………はああぁん!?