二日
二日目の朝が来た。雨は止み、雲間から光が差し込んでくる。
夜明けと同時にランドとハンナの組の二人──ミナとアイラ──は麓の村へ出発した。
彼らを見送ったアレクセイは、微かな違和感を感じていた。
何かが昨日とは違う。
何かと問われれば答えようが無い。しかし何か引っ掛かるのである。
(気のせいか……)
足許を見やる。
城門から城内への外扉までの間にある前庭部分には昨夜の雨であちこちに水溜まりが出来て、それに氷の膜が張っている。
(違いと云えばそれくらい……)
目の前にちらつく黒い霧を、つい手で払う仕草をしてしまう。
その時に気が付いた。
ほんの僅か、本当に僅かだが霧が濃くなっている。
(違和感はこれか?)
「さ、中に戻ろうか」
隣にいたピート師に声を掛けられたアレクセイは、何気無い調子で彼に訊いた。
「ピート師の眼鏡は魔法具だそうですね?」
「え?あぁそうだよ魔力感知のね」
「するとその眼鏡でこの城塞にある魔力の源がお判りに?」
「いやぁ、だめだめ。砦自体が凄い魔力でね、強弱の判別が出来ないくらいだ」
「すると…この前庭などは魔力が弱いのですか?変化などは」
ピート師は辺りを見渡した。
「いや、ここも確かに強いけど、強弱が判らないほどじゃない。でも特に変化は無いね、昨日と変わりないよ……さ、中に戻ろう、寒くてかなわないよ」
外扉の代わりの防水布をはね上げて広間に戻る時、アレクセイは前庭に目を戻した。
(黒い霧は魔力と関係無い?いや、自然現象なものか……なら誤差の範囲という事か?)
ピート師は霧が濃くなっている事に気付いていないらしい。僅かな違いだ、もう少し霧が濃ければ話も違うだろう。
アレクセイはそう考え、広間に戻った。
────────
広間に戻ったピート師はハンナが魔力集中しているのに気が付いた。
彼女の魔力が強くなるのが眼鏡で判る。
見ているとハンナは土がむき出しの床に手をあて、魔力を解放する。
土の床に穴が穿たれていく。ある程度深く掘られたところで魔力を止め、次の作業を始めた。
「何をやってるんです?」
「あぁ…トイレ作っとるんよトイレ。夜大変だったっしょ」
皆白湯の飲み過ぎで難儀した。あまり外に一人で出ていくのは危険だろうという訳だ。
「魔法は不得手とか聞いてたけど?」
「生活魔法なんか魔法のうちに入らんでしょうが…狩りの時によく造るんよ」
そう言って彼女は小瓶に入った黒い粘り気のあるものを半分ほど穴に落とした。
見れば穴の中で蠢いている。
「なんだいこりゃあ?」
「黒スライム。汚物だの食べ残しだの片付けてくれる。生き物は襲わない…便利なヤツや、コイツが食べれば臭いも消えるしね」
「ははぁ…」
狩人の生活の知恵という訳だ。
次にハンナは別の小瓶を出して穴の周りに振り掛けていく。
小瓶の中味は粉末だった。弱く光っている。
「こっちはヒカリゴケを乾燥させたもの。こうすりゃ足を踏み外すなんて悲惨なメにあわんやろ?……あぁ、ちょっと手伝って」
ハンナはピート師と一緒に棚を横倒しにして穴の近くに動かした。衝立の代わりらしい。
「ほら、この棚のところにランプを置けば夜中も大丈夫」
「ははぁ、考えるもんだね」
ピート師は感心しながらも、昨夜誰も行方不明にならなかったのは運が良かったのだと背筋が寒くなった。
思えば何が起こるか判らない場所である。用を足しに迂闊にも単独行動をしていたのだ自分達は。危機管理がなっていない。
「助かりますよハンナさん」
「いやぁ…ゆうべのうちに造りゃ良かったんだけど、頭が回らなくてさ」
野外で狩りをしている時とは勝手が違うらしい。失敗したという顔でハンナは答えた。
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「さて諸君、今日から本格的に調査を始めたいんじゃが、三つの班に分けようと思う」
ミゲル師から調査団に提示されたのは次の様なものである。
調査団員は3・3・4に分かれる。この組分けは毎日話し合う。
四人の班はベースキャンプであるこの広間に残る。残り二班が調査を行う。
護衛のうち、女性陣で広間の警護を担当する。シスター達は調査班が怪我などをした場合の回復役として一人づつ、班に編成する。
調査班にはブラスの組を分けて編成し、斥候を務めてもらう。
「ランドの組は七人じゃからな、三人づつ調査班に組み入れて護衛、残り一人はベースで待機かの?」
「あ、ミゲル師いいですか?」
ピート師が手を挙げた。
「皆さんこれからは単独で動かないようにして下さい、最低でも二人以上で行動するようにお願いします」
ピート師は先程のハンナとの会話から単独行動の危険性を説いた。
もっとも護衛団を構成する冒険者達にとってはごく当たり前の話である。単独で動かなければならない場合も存在すると理解していた。
どちらかと云えば調査団、研究者達の方が問題だろう。専門分野以外はかなり抜けている面があるからだった。
今も大半の者が首を傾げているくらいだ、ピート師は解散する時もう一度念を押した。
いまいち反応が鈍かった。
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「さて、儂らはこの広間を整理するかの。もう少し過ごし易くせんといかん」
班を分け、それぞれがベースキャンプから移動した。
ミゲル師を中心に居残り組は本来なら調査した成果を考察し、文章にまとめるのが主任務と謂えるのだが調査初日という事もあり雑用に追われた。
まずはテント用の防水布と支柱を利用し大型の天幕になる様細工した。
広間は吹き抜けで天井が高い。また床面積も広く焚き火の熱が拡散してしまい、昨夜はまるで暖をとれなかった。
天幕をこさえて焚き火を囲ってしまえば熱効率はましになるだろう、と考えた訳である。
「……と云っても視界が遮られない様に二面は開けておかないと」
防水布で四隅を囲ってしまうと視界が利かなくなり、危険を察知し難い。熱は逃げてしまうものの安全面を考えれば仕方が無い。
ハンナが造った簡易トイレと、広間奥の階段と扉が見える様に二面が開けられた。
続けて広間に散乱する様々な残骸の整理にかかった。
元々据え付けられていたであろう棚の類いを片付け、天井から下がる錆び付いたシャンデリア(と云っても邸宅にある様な華美なものではなく武骨な鉄製)を降ろし、以前この広間に来たとおぼしき冒険者達の落とし物などを整理する。
その様な作業をあれこれと行ううちにランド達が戻った。馬車に三台あれこれと積み込んで。
「薪は外に置いていいな?寝藁をもらって来た。冷えずに済むだろ…菜や油なんかもな、防寒着は無理だったぜ」
麓がそれなりの街であれば他にも仕入れたかった様だが、あいにくとさして大きな村でもない。
それでも買えるだけ買ってきた様だ。
「よう爺さん、こいつは経費としてリードの旦那に帰ったら請求するぜ?皆で使う分なんだからな」
「楽天的じゃのぅ」
傭兵あがりのランドにしてみれば、呪われた城塞などとフカシもいいところである。
何か起こるかと考えていたが昨夜は何も無かった。おかしな霧と妙に寒いだけである。戦場での血まみれ泥まみれに比べたら何ほどでも無い。
そうこうしているうちに広間はベースキャンプと呼ぶに充分な姿となった。感じとしては大きな洞窟に天幕を張ったかの様な見た目である。
「ま、昨日に比べりゃだいぶマシだ」
「異界の中に人の居場所が出来た感じじゃの」
「大袈裟だぜ爺さんよ、ただの廃墟じゃねぇかこんな砦」
「そうであればえぇんじゃがの…」
「皆~、遅くなったけどお昼にしぃや」
ハンナ達が声を描けてきた。シチューの良い匂いが漂ってくる。
「…腹ごしらえといこうや、飯を食えばちっとは気が楽になるもんだぜ」
ランドはミゲル師を連れて天幕に向かった。
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