夜
「……寒ぃな、全然暖まらねぇ」
夜になった。
壊れている外扉の代わりにテント用の防水布で入口を覆い、焚き火の熱を逃がさないようにしてはいるが、広間の温度は上がった気配が無い。
優に五十人は横になれる広さと二階までの吹き抜け構造が熱を留まらせないのだ。
現に焚き火から一番離れた壁には霜が降りたままである。
一行は暖を取る為自然と湯を沸かして飲む回数が増えていた。
「強い酒でもありゃいいんだが」
「ランド、馬鹿な事を言うでないぞ?」
ミゲル師がたしなめた。
さすがに眠って凍死は無いだろうが、酒に酔って護衛が務まる訳が無い。
「しかし爺さん、この寒さはまずいぜ。じきに夏だってのに氷室に放り込まれたみてぇだ」
辺りを見れば皆身を寄せ合い、毛布にくるまって震えていた。ランドもミゲル師を抱える様にしている。
実質の雇い主であり一番の年輩者であるミゲル師に風邪をひかれては困るからだった。
「うむ……こうも薪や飲み水が減らされるとは思わなんだ」
事前に予備調査が出来る場所ならこんな事にはならなかっただろう。
この城塞から生還した者の『冷気』という言葉、さすがにここまで冷え込むとは誰も思わなかったし、一番最近生還した冒険者も十年以上昔の事で、今は所在も判らず聞き取り調査も出来なかったのだ。
皆『冷気』と聞いて少しひんやりするとか、もしくは臆病風に吹かれて寒気を催した程度に考えていたのだ。
これでは真冬と変わらない。
「こんなんじゃ三日ともたねぇぞ?寒さは体力を消耗するからな。いくら爺さんが体力バカでも無理だぜ」
「うむ……バカとはなんじゃ!」
ミゲル師は一瞬顔をしかめて答えたが、すぐにニコリと笑う。
「ランドよ、明日夜が明けたら村まで戻れ。そして必要なものを仕入れてくるのじゃ。他に二人…ハンナのところから出してもらうかの」
ハンナの組は三人とも狩人生活をしていて山道に慣れている。それにこういった物資の補給には女性の細やかさが必要だ。
「諸君、明日までの辛抱じゃ、今夜は眠れる時に眠っておくがよい。護衛役には悪いが交替で不寝番を頼むぞ」
ミゲル師はそう言うとカップの白湯をすすった。
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入口を覆う防水布の隙間から、アレクセイは外の様子を窺っていた。
不寝番は三人、アレクセイの他にブラスの組のヨンとシスターエレインがそれぞれ別の扉を窺っている。
日没前に降り始めた土砂降りは、深夜になり勢いを失っていた。この分なら明け方には止むだろう。
毛布に身を包み、湯気の立つカップを口にしながらアレクセイは考えていた。
(雨の中でも黒い霧は残っている…やはりただの霧じゃない。クローディアの魔法?いや…百年も前の魔法が継続するものだろうか?)
アレクセイの家にはこの城塞を廃城に追い込んだクローディア・バルファスの話が伝わっていた。
もちろんそれは隣の領主家族の事であるから、正確な内容では無いだろう。いくら同根の系譜であっても隣り合った領地の主は競争意識が生まれるものだ。
クローディアは領主ドラゴ・バルファス子爵の息女として生まれた。
幼い頃から利発で魔法の素養が高く、また膨大な魔力を内に秘めていたという。
他方、肉体的には白変で、健康ではあったものの持久力の無い疲れ易い体質であったと伝わっていた。
当然の如く彼女は魔導の道を進んだ。
様々な魔法系統に適性があった様だが、どこをどう間違ったものか、彼女が専門としたのは死霊術であった。
(死者の…いや死なない兵団、食を摂らず主の命令を忠実に遂行する…国境の護りだった『砦のバルファス』にしてみれば)
価値のあるものだ。そうアレクセイは判断する。
不死者ほど相手にして面倒なものは無い。戦闘行為に予備動作が無く、生物の動きから逸脱している。恐怖も興奮も無く、痛覚による動きの制限も無い。
軍事面での運用では食糧補給の兵站にかかるはずの経費と労力が無用になり、敵勢力の戦死者を取り込めば一時的にも戦力増強がはかれる。
クローディア・バルファス子爵令嬢が、いったい何をしたせいで城塞が廃城と化したのかまでは伝わっていない。
父ドラゴとの確執があったのか、それとも何らかの謀略があったのか…
この調査団が組織されたのは、クローディアの魔法を解析し、ロザリア王国が活用する為だ。王国は城塞の復興を主目的にはしていない。
そこにアレクセイが取り入る隙がある。
魔法解析には時間が掛かる。その間、そしてその後に城塞を監督する者が必要だ。しかし危険性の高いこの城塞を現地管理したがる者はいない。
アレクセイは『バルファス』であり、嫡子では無い。王国側から謂えば失われても困らない人材。
(上手く立ち回れば…この城塞と領地は私の、私とマリアのものになる)
その為に妾腹のマリアには高い授業料を払って魔導を学ばせた。もちろん死霊術を主に。
「……兄様、交替の時間ですわ」
「あぁ……気を抜くな、何かあったらすぐに起こせ」
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「シスターエレイン、交替しますわ」
「よろしくお願いします、シスターシャンナ」
エレインが先程まで自分が横たわっていた寝床に潜り込むのを確認すると、シャンナは広間全体に結界を張った。
結界といってもごく弱い、侵入者を感知する為のもの。消費魔力は戦闘用の防御結界に比べて非常に少なく、当然ながら他者には感知されない。
(防御結界を張っていては戦闘がはじまりませんわ)
中央教会から派遣されたシャンナ、エレイン、ミーナ。
三人は教会の戦闘部門に所属している僧兵である。
しかしその戦闘部門においても厄種として扱われていた。
赤子の時、教会に貰われ教義と共に呼吸をしてきた。教義が絶対の正義であり、教義に反するものは討ち滅ぼすべき邪悪である。
不死者を生み出す呪われた城塞など彼女にしてみれば破壊対象と言っていい。
エレイン、ミーナともども今まで『邪悪』と見なした輩に天誅を加えてきたのである。
教会はそんな彼女らを持て余し、リード卿からの生還率が極端に低い要請を渡りに舟とばかりに送り出した。完全に厄介払いである。
もっとも、彼女達はそう思ってはいない。
死地へ送られるという事は活躍を期待されているという事。邪悪を討ち滅ぼせる機会を与えられたという事。
その様に解釈している。自分達が一般とズレている事を認識出来ていない。
この広間の冷気も、彼女にしてみれば邪悪からの攻撃に等しい。寒いなどと口にするのは邪悪に屈した様で宜しく無い。そう考えている。
(噂に聞いた呪いの城……その割りに攻撃の手が冷気だけですか。ちょっとさみしいですわね)
手にした関節鎚の手入れをしながらシャンナは扉に注目する。
扉には古い松明が立て掛けてあり、扉が開く──何者かが侵入する──とカランと音を立てて倒れる寸法だ。冒険者の一人、ブラスとかいう者が説明していた。
もっともそれは扉を開けて入ってくる者に対して有効な話である。
邪悪との戦闘が専門であるシャンナから云わせれば不完全なもの。霊体であれば壁をすり抜けて襲ってくるだろうからだ。
その為の感知結界であった。
彼女の関節鎚の打撃部分には聖印が刻み込まれており、霊体であろうと粉砕出来た。
聖職者が打撃武器を好むのは不死者の弱点である頭部の粉砕を目的にしている為である。肉体の有無に拘わらず不死者を相手に出来るこの武器を彼女は頼みにしている。
シャンナの感知結界には発動直後から妙な反応があった。
結界全体を撫でられている様な、そんな感じである。
(この黒い霧……これが邪魔をしている訳ですわね。無害の様ではありますけど、何の目的があるのでしょう?)
関節鎚の聖印に反応は無い。邪悪であれば聖印が輝くのだ。
黒い霧の存在理由に不安要素を感じつつも、戦いを期待する。
そうして夜明けまで襲撃があることを待ち続けた。やはり彼女は狂信者の類いである。
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