一日
翌日はどんよりと曇った朝だった。
調査団は銘々が自分の私物を背負い、護衛に前後を護られながら山道を進む。城塞まではそれなりに距離があった。
調査団員は体力にばらつきがあった。歩き始めてすぐに顎を出す者までいる。
研究対象の違いによりフィールドワークをこなす者とデスクワークばかりの者とで差が生じている様だった。
「あー、めんどくせぇな、おいフロスト、おぶってやれ」
「い、いや大丈夫……自分で…歩くから」
「いやいや先生、遅くなるからよ。ほれ、背中に乗りな」
一行はブエナ山の断崖側には人を襲う様な大型生物は滅多に来ない、と土地の者から聞いていた。
ピート師が特製の眼鏡で見た様に、城塞からは大量の魔力が漏れている。
小動物には魔力を感知するものが多く、大量の魔力が漂う場所を危険とみて離れる傾向にある。
当然、小動物を狙う肉食生物の類いも魔力の多い場所にはかかわらない。
へばっていた調査団員──マーク師──は、初め人の背中に乗るのをためらっていたが、他にも背負われている者の姿を見て観念したらしい。
「じゃ…じゃあちょっとだけ……すぐ歩きますから」
「そうそう、素直が一番だぜ」
一行は何度かの休憩をはさんで午後遅く城塞の前に到達した。
「さて諸君……なんじゃ、皆くたびれておるのう」
「……爺さん元気だな」
ランドは膝を付いた。
ただ山道を登るだけならそこまで疲れはしなかっただろうが、代わる代わる調査団員を背負ってきた為、余計に消耗が激しい。
反対にミゲル師は誰にも世話にならず自分の足で歩き続けた。老いてなお強健と謂う他無い。
「儂の専門は地勢じゃからな」
「なんだよ地勢って?」
「平たく云えばその土地の形を調べる学門じゃ」
「はあ?んなもん何の役に立つんだ」
「お主、傭兵だったんじゃろ。陣地を決めるのに良さげな場所だの考えた事くらいあろう?」
「……あ~、じゃあ爺さんが調査すんのは」
「この城塞がまだ役に立つか地勢を調べるんじゃよ、軍事的にな」
しかし困ったの。とミゲル師は空を仰いだ。
雨雲が立ち込めていた。
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「さて諸君、呼吸は調ったかの?儂らはまず今夜の寝床を決めんといかん」
ミゲル師は指で上を示した。
「ご覧の様に、じき雨が降る。雨季にはまだ早かろうがかなり降りそうじゃ。そこで儂らは城門の前にある荷物と一緒にテントで寝るか、それとも城塞に荷物を運び入れて城内で夜を明かすか、じゃが?」
「爺さんどっちがいい?俺達は従うぜ」
ランドが護衛を代表して言った。彼らにしてみれば雇い主の意向を優先するのが当然である。
「……この荷物を今から?」
マーク師が気絶しそうな顔で呟いた。
「しかし、濡れ鼠で夜を明かすと明日が大変じゃないですか?ピート師はどう思います?」
調査団で唯一の女性、ミア師がピート師に訊いた。彼は一度ここまで来ている。
「……難しいね、体力が落ちている時に濡れ鼠も問題だけど、この城塞の中にベースキャンプをはたして作っていいものかどうか?」
城塞の内部は危険の度合いが未知数だ。
過去、多くの冒険者が足を踏み入れ、帰って来なかった場所である。
「なぁ、先生方、早く決めてくれ。運ぶんなら早い方がいいんだからさ」
ブラスが軽い調子で促した。
彼の組はダンジョン探索を本業にしている。未知の場所に踏み込むのは毎度の事だ。
「ミゲル老、濡れて困るものもあるのでは?」
アレクセイの言葉にミゲル師は中に入る事に決めた。
「よし、まずランド、お主の組は皆が荷物を運ぶのを護衛せい。他の者は速やかに城内に荷物を運ぶ。よいな?」
調査団の方から不平の声が聞こえたが、どうせやらざるを得ない。それぞれが荷物を抱え城門をくぐった。
「よし、野郎ども!気を抜くんじゃねぇぞ!」
ランドの声に部下達が応え、城門から散開する。
アレクセイは荷物を抱えながら城塞を仰ぎ見た。
見た目は特におかしなところの無い城塞である。
断崖の岩肌に密着して建てられており、恐らく城内では岩肌が壁の一部として利用されているらしいのが特徴的ではあるが、自然の要害を利用して建築の予算を浮かせたのだと思えば奇抜とも謂えない。
おかしいのは城門をくぐった直後から薄く漂う黒い霧、そして城塞の外壁に張っている霜の存在だ。
その霜のせいで城門の内側はひんやりと冷気に覆われている。
「行きましょ兄様」
後ろにいたマリアがアレクセイの袖を引っ張った。
彼女が辺りを見て眉をしかめているのを見て、アレクセイも自分が同じ顔をしていた事に気付いた。
「……なんとも…愉しげな場所だね」
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城内の玄関は扉が破壊されていた。
百年の間に幾度となく冒険者・遺跡荒しが足を踏み入れたのだから破壊されているのも当然なのだが、攻城槌に耐えるはずの重い扉が壊れている姿は年月の経過を感じさせる。
「暗いな、松明をくれ」
先頭にいたブラスが火の点いた松明を受け取ると勢いよく城内に投げ入れた。
更に二本、三本と投げていく。
石の床にあちこち落ちた松明の炎が、それでも光源は足りないもののうっすらと周囲を照らした。
扉の向こうは広くとられている。奥に階段らしき影が見えた。
「取り合えず異常は無い。いくぞ」
ブラスとその仲間が扉の残骸を乗り越えて入って行った。手には荷物ではなく薪を抱えている。
ランドの部下二~三人が周囲を警戒する中、彼らは扉の程近く、広間の中央寄りに薪を積み始めた。
松明の一本で火をかける。
焚き火のお陰でだいぶ明るくなったものの、やはり暗い。黒い霧が視界を遮っている為、見通しが利かない状態だ。
「取り合えず中に入ってくれ……あぁ、そこら辺に置くのがいいだろう」
ブラスと四人の仲間はそのまま荷物運びに参加せず、周囲の探索を始めた。
よもやとは思われたが罠の類いが無いかを調べ、広間から続く扉や通路を調べる。
「あちこちに松明やら薪が落ちてるな」
床には古い松明や薪、焚き火の燃えさしなどが転がっている。以前に城塞へ訪れた者達が残したものだ。
その古い松明をブラス達は拾い集め、閉じた扉に一本づつ立て掛けた。
こうしておく事で侵入者対策になる。扉が開けば立て掛けた松明が転げ、音を立てるという寸法だ。
そうしている間にハンナの組とシスター達が室内を掃き清めていた。
点け火用の細い枝を束ねて箒代わりに軽く掃いていく。どこもかしこも霜が降りて湿気っていて埃など立たないが、気分の問題だろう。
「荷物はこれで終わりだ…降ってきたな」
「なんとか間に合った。土砂降りになるぜこりゃ」
総勢三十名の男女が広間に集合した。それでも手狭に感じないのは、この場所が戦の際に兵達の立て籠る場所だからだろう。
「ようやく一息つけそうじゃな」
「ミゲルの旦那、ちょっといいか?」
ブラスが声を掛ける。
「この場所の安全は確認した…だが安心は出来ねぇ。そこらに古い松明が転がっててな、ありゃあここで襲われた奴がいたって事だ」
「ふむ……やはり剣呑な場所じゃのう、気が休まらんわい」
そう答えながら、ミゲル師は壊れた外扉の向こうを眺めた。
降り始めた雨が吹き込んでくる。陽が落ちる前だが周囲は暗くなっていた。
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