99話
「さて、とりあえずはお疲れ様。」
「えぇ。そちらもね。」
ベンの屋敷の一室、軽装のマイラが腰掛けながら口を開き、先に座っていたテオが労いの言葉をかけた。
マイラはすぐにキョロキョロと当たりを見回すがテオ以外の姿は見当たらない。
「みんなは?」
「マコトくんはベンさんに連れられて行って一緒に特訓方法を考えているわ。アリサもフリーシアもそれについて行ってる。」
「そう……まぁ、テオの様子から伺うに、そっちの方は予定通りにうまく事が進んだとみて良さそうだね。」
「えぇ。内心どうなることかと思ってたけど、マコトくんって本当に何でもできるわね。
ハイラントの首脳陣も実際にこっちを見に来ることになったし、その時に狐の子も連れてくる事になっってる。予定通りに進んでるから、彼女が来てベンさんの領地を国と認めれば、その時から正式に国として成り立つ事になるわね。そっちは?」
見なれた微笑を浮かべたテオの返しに対して、溜め息を漏らして見せるマイラ。
「まぁ、とりあえずやるべきことはやったってところかな? 念の為の食糧の確保もお願いしてあるし動いてくれそう。
でもやっぱり敵対心の根が相当に強いのはコンとミトに対する目で改めて思った。獣人側からしてもそうだろうけどさ、融和策はどうしても必要。
まずは人と獣人の間に生まれた子供達を取り込む事から始める事になる。」
「あ~……実際に見たことないんだけど……マコトくんに見てもらった方がいいわよね?」
「私もどういう感じか気になってる。まぁそれはまた皆揃った時にお願いする事にしよう。
ベン殿に対する融和策の根回しはミトがやってくれる。」
「仲良くなったのね。」
「まぁね。
それよりもそろそろ私がカーディアを空けている事がおかしいと思われるくらいには時間が過ぎているから、何かしら動かなくちゃいけない。それについてどう動くかで皆の意見を聞きたい。」
微笑んだままテオはマイラをじっと見つめる。
「なにかな?」
「いーえ。マイラのその言い回しは裏があるんだろうなと思って。」
「そうかな?」
「どうせ、提案したい事があるんでしょう? 面倒だから話しなさいよ。もう私達は一蓮托生みたいなもの。違う?」
肩をすくめ、わざとらしく困った顔を作るマイラ。
「まぁ、それもその通りだね。
もう私達はアルスターという国から離れてしまっている。これまでの柵の外に居るんだから、無駄に気を使う必要もないか。」
「えぇ。正直なところアルスターに居た時は、どこかであなたを心から認めきれない部分はあった。でももう、そう思う必要もない。だからこそ私達が話す時には裏を作る必要はないと思う。」
「わかったよ。」
「じゃあ行きましょうか。」
--*--*--
「なるほどなるほどこれは興味深い興味深過ぎ。盲点盲点いや盲点。つまるところ獣人と分類される人達は根源は一緒だけれども根本となる部分で違っているという事なんでしょうな。ぬむむむ。うふふ。ヒトの方は魔力によって外側に対して干渉を起こす事でそれが『魔法』と言われる発露になると仮定しているけれど、それに対して内燃機関のように魔力を利用して魔素を取り込み内側で消費して爆発的なエネルギーいや膂力と言った方が良いんでしょうな。その力を産みだしつつも、またそのエネルギーに耐える為の外装の強化として爪や毛皮、肌が発達している。いや進化したのか?もしかするとその毛や肌も既に独自に魔素を取り込んでいるというような状況にあるのかもしれませんなぁ。むほぉお!面白い。そう言えば鳥の人も飛んでたけど普通に考えてあんな質量が飛ぶって言ったらおかしくね?鳥人間だもんな。そんなコンテストでも人が長時間自力で飛ぶ時にどれだけの力や工夫がいるかなんて知られてるもんな。あの人ら好き勝手に飛べるくせに腕が翼になった程度でほぼ人の恰好してるんだもんな。胸筋的にもおかしい。やっぱり何かしらの魔力を使ってるっぽいよな。お?という事は種族さってもしかして取り込んだ魔素をどう使うかの違いで発展させたのかな?お?いや、確かに自然な気がするしな。でもそうなると魔素ってなんなんだろう?ますます分からん。元素的な感覚で見てたけど接種により変わる可能性もあるのか?いや人体に影響を与えるって事は何となく地竜を食べたアリサ達の変化でわかったような気がしていたけれど、おや?ちょっと待てよ?そう言えばでも変化の質は違う気がする。お?あれ?という事はヒトの中でも進化の系統が分かれているって事?DNA的な差?んん?でもそうなるとDNA的にかなり違いそうなベンさんやコンが地竜の肉を食べたらもっと変わっちゃうって可能性もある?え?嘘、なにそれ人体実験っぽい怖い。でも人と獣人で子供できるって事は一緒って言っていいレベルの近い関係にあるはずだから、期待以上のいい方の変化が起きるかもしれないし手っ取り早い気もしないでもない、いや、でもヒトよりも魔素の取り込みに対して適応している可能性もあるから、人でさえ変化が見て取れるレベルの物を食べちゃったらドーピングを通り越して毒的な反応になる可能性もあるよな。やだコワイ。という事は安全策としてはフリーシアみたいに地竜の鱗から魔力を流用するような方法を模索するのが一番の安全策って事だよな?でもあれだよな。車とかでも一気に加速性能とか上がっちゃったら死ねるよな。紙装甲でアウトバーン全速力みたいなもんだよなやべぇ。紙装甲の強化ってやっぱり毛の強化とかになるのかなぁ?あ。そうしたら、あのアドとか言う人超絶マズくね?うわぁどうしようでもまぁ仕方ないよね」
「お? やってるやってる。」
「あら久しぶりに楽しそうなマコトくんね。」
ブツブツブツブツと声を漏らし続けるマコトを発見したマイラとテオは戸惑うことなく近づいてくる。
「素敵ですマコトしゃまぁ!」
「うんうん。」
マコトの傍ではフリーシアとアリサがマコトに触れるか触れないかのギリギリの位置で邪魔をしないように気を使っていた。
マコトの視線の先には、さも面倒くさそうに肘をついた手を枕にして寝転がっているベンの姿があった。
ベンはうんざりしたような顔をしながらテオ達に顔を向ける。
「なぁ、コイツどうにかしたのか?
強くなる特訓を考えろって言ったらずっとこの調子なんだが……流石にキモチワルイにも程がある。」
「あぁ気にしないで。マコトくんは今頑張って考えてるのよ。」
「うん。まだ納得していない状態だから放置しておいた方がいい。
しばらくすると何かしらの結論が出て意見を求めてくるようになるから、それまでは好きにさせておくのが一番だ。」
「はぁ……まぁ、これで強くなれるかもしれないってんなら、我慢もするけどよ。」
「起こったことは仕方ないか、うん。知らない。あの狼の人なんかめっちゃ怖かったし。忘れろ忘れろ忘れた。それよりも今は、なんだっけ?獣人の人の身体について考えてたんだっけな?多分そうだった。あ。そうだったそうだった。毛だ。毛とかにも秘密あるかもしれないんだよな?食べてるのは米とか多かったしそんなに差は……米?米って水耕栽培だよな。水。水が豊富に必要だし手間もかかる。水源に魔素が溶け込んでるとかの可能性もあるのかな?お?そういえばなんかベンさん達都会の狼さん達よりも随分強かったもんな。あれ?でもそう考えると互角っぽい狼さんもいたしあんま関係ないのかな?でも体を作るのって食事が左右するもんな。う~ん?あ。でも身体の強化みたいな長期スパンの物はおいおい考えて調べた方がいいんだった。今はインスタントに強くなる方法を考えるんだった。やっぱり鱗を使う方法だよな。流用して身体の中で爆発的な力を得るとした場合外側が爆発に耐える必要があるから、外側を強くするコーティングな感じの魔力の使い方も必要になるかも。ってそれアリサの魔法的な感じで行けるんじゃね?でもそもそも魔法を使ってないから、使えるかどうかすら分からないから、別の方法を考える必要があるかもしれないし――」
うろんげな目でマコトを見るベン。
だけれどまったく視線に対して反応が無く、その様子にため息を吐き、視線を遠くへと移し、そして寝始めた。
「アリサ、フリーシア。ちょっと話しがあるから来て。」
テオの呼びかけにアリサとフリーシアは少しだけ名残惜しそうにしながら離れる。
マコトはそれすら気づくことなく、ただただブツブツと独り言を続けるのだった。
少しだけマコトから離れた場所で4人が向かい合うように座る。
「とりあえず相談……というかアルスターの国に対して考えている事があって、意見を聞きたいんだ。」
マイラが口を開き全員の注目が集まる。
「でもその前に現状について少し確認するよ。
私達は何の因果かマコトの国を作る事になった。武力を考えれば私達の現状の力なら国を認めさせる事は不可能じゃあない。
現にハイラントに対しては力でゴリ押しした。」
「ゴリ押しといってもあくまでも平和的にね。」
「マコトが血を流す事は望まなかったし」
「流石マコト様。お優しいです!」
「うん。ハイラントは完全に意思決定を一番上の者が行う仕組みだったから、ゴリ押しでどうにでもなった。
だけれどアルスターはそうはいかない。」
「王様に対して同じ事をすればいいのでは?」
フリーシアが小首を傾げながら質問したが、マイラは首を振る。
「それは無意味な事。王様は確かに大きな権力を有している。だけれどもそれは絶対的な権力じゃあない。
私がいつか話したような気がするけれど、貴族や王、そして国民の関係に覚えはあるかな?」
アリサが『はて?』というように目が動く。
それを見てマイラは言葉を続ける。
「王様は貴族に強い。貴族は国民に強い。最も強いように見えるけれど国民は王様よりも強いんだよ。
国民の多くが『愚王だ』と認識する事になれば王とて無事ではいられない。
だからアルスターという国は、誰かを納得させれば良いという風には言い難い。」
テオが納得したように軽く縦に顔を動かす。
「でもね、私は一人だけ、王に対しても貴族に対しても、そして民に対しても顔の利く人を知ってるんだ。」
「ソフィア・サルバドール・クレイトン……だったかしら?」
「流石テオ。ご明察。」
「つまり、マイラはそのソフィアを味方につけたいと?」
「あれだけマコト様を遠ざけようとしていた危険人物じゃないですか!」
「まぁ落ち着いてフリーシア。
あれは今とは違うアルスターという国の中に居た時の事、そしてその後もまたアルスターという国で行動し続ける事を考えての対処だった。だけど私達は新しい国を作る事になったから、あの時とは状況が違う。」
「でも味方にする手はあるの? マイラの事だから何かしらの手は考えているんでしょうけど。」
「まぁ幾つかは。その中に成功率が高そうな思い付きもあってね……それの意見を聞きたくて。」
「む? なんだか嫌な予感がする言い方ね。」
「いやぁ、はは。まぁ、反対される事は分かってるからとりあえず言ってみるけど、この際ソフィアにマコトの素顔を見せて惚れさせたらどうかt――」
「そんなの反対に決まってます!」
「マイラってバカなの?」
「ちょっと私も正気を疑うわ。」
フリーシアがすぐさま怒り、アリサが呆れたように首を傾げ、テオが眉をしかめた。
予想通りの反応にマイラの鼻が鳴る。
「いやいや、そりゃあ反対するのも当然だと思うよ。でもよくよく考えてみて欲しいんだこれからの国にとって――」
「いや」「違う」「そういうことじゃなくて」
フリーシア、アリサ、テオが綺麗に言葉を繋げて発していた。
そのシンクロ率の高さを気にする素振りもなくフリーシアが意味不明な物を拒絶するように、がしっと自分を抱きしめるように腕を組みながら口を開く。
「この筋肉の変貌ぶりを見てもまだ理解してないんですか貴方は?
甘く見過ぎなんですよ、この頭の回らない筋肉ですら発情期のようにこれまでと打って変わってマコト様の後を追い続けているんですよ? もうどうにかしてマコト様に手を出してもらおうとしてまったく目が離せない状況だというのに、さらにここに頭の回る人間をぶちこもうと言うんですか? あぁ、もう殺しますか? なにか良くない状況になる前に私が全てを排除してしまいましょうか?」
「まぁ、フリーシアの力はすごいけど、私を殺すにしろソフィアを殺すにしろ骨が折れると思うよ。
それにその後の事を考えてみたらどうかな? きっとフリーシアの事を怖がって、マコトは君から逃げ出すだろうね。」
「うぅ、マコトしゃまぁ……それはいやぁ……」
笑っていない目で笑えない事を言うフリーシアに色々通り越してつい吹きだしながら答えるマイラ。
マイラの返しにフリーシアは具体的に想像してしまい泣きそうな顔で口を噤む。
「マコトの素顔を見たせいでこんな風になってる私が言うのもなんだけど……安直に惚れさせたら言う事を聞くようになるだろうなんて考えるのは止めた方がいいわ。本当に抑えがきかなくなるのよ……なんて言っていいか分からないけど、自分の物にしたいって気持ちが溢れるし、彼の物になりたいって気持ちも同じくらい出てくるの。
もし見せてみなさいな。きっと想像を超えた反応が返ってくるわよ? 私だって自分がなぜああいう風に動いたかすら分からない時があるんだから……人の泣き顔を見たくて仕方ない気持ちとか訳の分からない感情が溢れたんだもの。」
「……泣き顔?」
「えぇ……あの顔……あぁダメ、ちょっと興奮してきた。」
「これは……確かに軽く考えすぎていた様な気はしてきたよ。」
恍惚とした表情を作り身体を震わせたアリサに対して、その様を目を細めながら眺めて告げるマイラ。
「この筋肉がぁ……」
「……あ?」
泣き顔というキーワードに即座に反応し、敵対心を全面に出すフリーシア。
そしてそれを必要以上とも思える冷淡さで見下しながら返すアリサ。
2人は静かに視線での殺し合いを始めるのだった。
「……マイラがそう考えるのも理解できないわけじゃあない。だけど、アレは駄目。アレだけは駄目。」
争い始めた2人を無視するほどのテオの真剣な顔に、マイラは大きなため息をつく。
その溜め息の付き方から諦めの感情が見て取れた。だけれどもテオは追い打ちを止める事無くマイラだけに聞こえるように顔を近づけて続ける。
「私はマコトくんの顔はチラっとしか見てないけれど、それでもなぜか心に焼きついてるような気がするもの。おかげでもう遊び半分にマコトくんを誘惑もできなくなった。なぜ出来なくなったかわかる?」
問い掛けるマイラに対して顔を横に動かすマイラ。
テオは、チラリとアリサを見て一度顔を伏し、顔をあげて口を開いた。
「……本気になると思うからよ。
私が踏みとどまれているのは、私がアリサに幸せになって欲しいと思ってるから。アリサを応援してるから。親としての、姉としての意地で戦ってるの。
この国だって国を思ってじゃあない。私達が幸せに暮らせる事を考えただけの事。恐ろしいだろう不穏分子を必要以上に近づけたくない。」
マイラにだけ伝わる音量でそう告げた。
「わかった。わかったよ。
私もここまで反対されれば進めるなんて出来ないさ。
何か別の方法を考えるよ。はぁ……またお父様のところに行く事になりそうだ。」
結局一番自分が外交的な役割を担う事になり苦労するだろう未来が見え、溜め息をつくマイラだった。
--*--*--
一方、トレンティーノ領の隣、食糧生産が主産業となっているミリガン領のトレンティーノ領にほど近い商家。
「あら? 小麦や保存食に使えそうな物の注文?」
「ひあ、いえ、あのすみません。はい。注文です。ございます。」
商家の権力者だろう中年の男が広げた書簡を覗き込んできた女の行動に冷や汗を流す。
「別に取って食うわけじゃあないから安心しなさいな。それで、この注文を見てどう思った?」
「あ、はい。と、とりあえずの印象としては、戦争か何かの準備でもするのかな? と思いました。思いましてございます。」
「……ふぅん。
注文の品の準備はできる?」
「あ、はい。量が量なので、少し日数はかかりますが、問題は、ないかと。思います。思いますでございます。」
「それじゃあその品を運ぶ時、私が護衛についてあげましょう。」
中年の男は女の言い出した事で、さらに多くの冷や汗を流す。
「あ、有難いことでございますです。はい。」
そう言って深々と頭を下げるのだった。




