84 一髪
目の前に広がる光景に一瞬言葉を失う、これまでも彼が土の魔法で家屋を作り出したりする様子は何度も見ていた。
その魔法自体も異常ではあるけれど慣れというのは怖い物で、もうそういう物だと認識してしまっていると、それが普通になってしまう。
だけれども流石に一瞬で10mほどの小高い丘を作り出してしまう程の魔法となれば認識が追いつかない。
ちらりと横に目を向ければミトがぽかんと口をあけ小高い丘を見ていた。その気持ちはよくわかる。
ただその状況でも私の頭から離れない事が2つあった。
1つはアリサの安否。
今回の事態を引き起こした元凶の一人ではあるけれど、それでも可愛い私の妹。守るべき存在。
そしてもう1つは少しだけ見えた彼の素顔。
アリサを守る一心で封じ込めていた女心が、その封印を解こうと未だ心の内で暴れているのが分かる。かろうじてアリサを心配する感情で封印に重しを課しているけれど動揺は抑えきれない。
彼の素顔を少し見ただけでも、この様。
アリサの様子やフリーシアの事も自然と理解できる。
二人は彼の素顔を見てしまい衝動を抑えきれなくなったのだろう。
アリサを心配に思う気持ちから彼に対する感情を抑え小高い丘に飲まれたアリサに意識を戻す。
彼の事だから身の安全には気を使っているはずだ。だけれどもやはり心配になってしまう。
「おおおおっ!」
珍しく吠えるように声を上げながら彼は手を振り上げる。
するとフリーシアの作り出した竜巻が全て掻き消えていき、場は落ち着きを取り戻した。
すぐにマコトくんの下に駆けつけると、慌てながらマコトくんが声をかけてきた。
「か、隔離しました!」
「わかったわ! ありがとう! 私はアリサに話をしに行く! マコトくんはフリーシアを落ち着かせて!」
「は、はい! じゃ、じゃあテオはあそこから入ってください!」
小山の中腹に、にゅっと人1人が入れそうな穴が開いた。マコトくんが空けたのだろう。
すぐに穴に近づくと傾斜面になっている。滑っていくとアリサの所に着くはず。
「アリサ!? 今から私がそっちに行くから!」
アリサが錯乱して戦闘中の気持ちのままでいたとしたら私の気配を読んでいない可能性も高く、もし不用意にそこに飛び込んでいけば反射的に攻撃される可能性は高い。だからこそ事前に声掛けをすることで、そのリスクをぐっと減らす。
ハンターが協力して狩りをしている際にも同士討ちの誤射となる事故は少なくないからこその癖と知恵だ。
一声かけてすぐに傾斜に飛び込むと、鏡面に仕上がっているのかよく滑りくねくねとカーブを曲がりながら落ちるように加速しながら進んでゆく。手や足を使い減速に気を使っていると急に抵抗が無くなり広場に出ていた。
真っ暗な室内で目が利かず、すぐに火魔法で明かりを灯す。
「んぅ!」
アリサの声が聞こえ、その方向に目を向けると光に目が眩んだのか手を目の前にかざし顔を背けているアリサがいた。
「アリサ! 怪我はないっ!?」
すぐに目をアリサの全身に走らせる。
着ている服の破損は少しあれど、その身体に異常はなさそうに見えた。
だけれどもアリサの目。
目だけは、これまでに一度も見たことの無いような感情の露わにしている目。
初めて見る表情に深く知っているはずのアリサの事が、まるで他人のように思えてしまう。
マコトくんと過ごした事により強くなったアリサの力は脅威。恐ろしい程の力。でもその事は怖くはない。なぜならアリサだから。
そのアリサがアリサとして見れなかった。その事が何よりも怖かった。
「アリサ……すこし頭を冷やしなさい。」
すぐに自分の心を隠す為に火の魔法で明かりを灯しながらも新たに氷の魔法を発動する。
密室になっている室内の温度は変わり易く、すぐに吐く息が白くなり、冷気が肌を刺しはじめた。
アリサから放たれている白い息の吐きだす頻度が早くなり、呼吸が浅くなっている事が見て取れる。
そしてふるっと顔を小さく震わせたかと思うと突然口を開いた。
「あああああああああっ!」
まるで獣のような咆哮だった――
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人間とは、常にどこかに、なにかに属していたいと考える生き物である。
属していたいと思う先は『血縁』であったり、『国』や『民族』であったり、より細分化された物に別れたりと多種多様な所属先がある。
人である以上『血縁』という所属先は切っても切れない縁であり、その代表が『家族』という所属先となる。
だが家族とは血縁だけで成り立つものではなく、共に過ごした時間。共有した思いなど個々の関係の深さがその成り立ちに大きく影響する。
テオとアリサに血縁はない。
アリサにとってテオはある意味においては父の敵ととってもおかしくない存在でもある。
だがテオの真摯な贖罪と庇護により、多くの時間や苦難を共にし、血縁は無くとも姉妹として、家族として成り立つには十分過ぎる関係を築いていた。
その証拠に生死の関わる森でのハンターとしての生活においても、互いに背中を預けることができる存在と思い合い、裏切ることなど天地がひっくり返っても起きるはずがないと信じ合っている程だ。
強力な所属先となった存在がある事は心の支えとなり、人生において大きな意味と価値がある。
だが強大な所属先があるという事は諸刃の剣となる場合もある。
それは、その所属先から外れる恐怖が生まれる事が大きな理由だ。
例えば、大きな権力者に属するコミュニティに依存している立場などであった場合、そのコミュニティから疎外される事はとても恐ろしい事と考えるようになる。だからこそ疎外されないように振る舞わざるをえない。
そのコミュニティ内で、そうあるべき自己像を想定し、その自己像から外れないように振る舞うのだ。
それが人間である以上避けられない宿命である。
子どもと大人の差は、その自己像をどこまで想定し、その自己像の姿を実現すべく振る舞うことができるかの差でもある。
フリーシアはまだ『子供』と呼ばれて良い年齢であり、大人びた雰囲気を持ってはいても事実としてもまだ幼い面や振る舞いがある。
コミュニティにおいても『子供』という存在はそういうものと認識されているからこそ、その振る舞いをしたとしても誰も不思議に思ったりはしない。
だがアリサはもう『大人』と認識されている。
アリサ自身も自分のあるべき自己像を無意識の中で認識し、そうあるべきと考えていた。
――『大人』と『子供』という存在の大きな差は、自身があるべきと定めた自己像と、実際の自分の行動により他者が得るであろう自己像の差を認識できるか否かである。
フリーシアは、まだ『子供』
アリサは『大人』であろうと努力し『大人』となった。
だからこそテオとの関係の中で自分があるべき姿を無意識に理解し、想定し、そうあろうと動いていた。
だが、マコトの顔を見て以降のアリサの振る舞いは、そのあるべき姿からは大きく逸脱している姿。
冷静なアリサがそうなった事からも、いかにマコトの顔面の威力が凄まじいものである事がわかる。
だが、マコトが自身の顔を鏡で見た時、あの意思の弱いマコトでさえもパンツを脱ぐのを我慢できたという事実がある。
ノーガードの状態で食らったとしたら致命傷になりかねないけれど、きちんとガードさえすれば辛うじて致命傷で済むレベルの顔面なのだ。
……
さて、突如状況が一変し状況を把握する為に冷静にならざるを得ず、さらにテオが目の前に現れた事で、大人であるアリサが自身があるべきと定めた自己像と実際の姿の乖離を認識するだけの頭が働かないはずが無かった。
では……人間が、その乖離を認識するとどうなるか。
「あああああああああっ!」
アリサは顔を両手で覆い、そしてその場で崩れ落ちた。
「だ、大丈夫!? アリサ!」
テオが崩れ落ちたアリサに駆け寄る。
だがアリサは顔を両手で覆ったまま顔を横に震わせる。
その姿にテオは、どこか子供の頃のアリサの姿を思い出し、アリサと思えなかったことで感じた恐怖が霧散してゆく。
すぐに氷の魔法を止めてアリサの身体に怪我などの異常がないか触って確認する。
特に異常は見当たらなかった。
だがアリサは顔を覆った両手を外そうとしない。
「どうしたのアリサ? どこか痛む?」
優しく背中に触れながら、姉でありながらも、まるで母のように問い掛けるテオ。
その声にアリサは声を震わせながら発する
「……は、は――」
「は?」
「恥ずかしい……」




