81 目覚め
自分以外の誰かが自分の中に入ってくるような感覚。
これまでの自分が本当の自分では無かったような感覚。
木刀で殴られたような衝撃と共にそんな不思議な感覚を覚えていた。
獣のようなフリーシアに服を裂かれたせいで、彼は怯えていた。だけれど怯えながらも、その目にはどこか期待の炎が宿っていたのは見過ごしていない。
その証拠に私が現れた事で見られたくなかった所を見られたような気まずそうな表情を見せている。
本当に襲われるのが嫌だったら助けを請うような目を見せたはず。
私はその表情を見たことで何かに縛り付けられたような気持ちになる。
あぁ。私を見てころころと彼の表情が変わる。
彼はこんなにも表情が豊かだったんだ。
後ろめたさで慌てているのは可愛いし、邪魔されなかったらどうなっていたかを考えたのか少し『何で来たの』と口惜しそうな雰囲気まである。
あぁ、あぁ、どうしよう。
自分が抑えられない。抑える事ができない。
いや、もう気持ちを抑える必要はないのかもしれない。
私は彼を
いじめたい――
--*--*--
「友好関係ねぇ……」
「俺達のこれまでの関係を考えれば無理筋って事は分かってる。だがお前は、それとは別の視点も持ってるだろ?
友好関係を築けりゃあお前にもあの男が好きな食料が手に入るようになるんだし、お前個人として得はあるだろ?」
「駆逐して奪っても同義では?」
「またくだらねぇこと言いやがって……だから脅しになってねぇんだよ。戦いを嫌ってるあの男がそれを許すのか?」
ベンは確信したように鼻を鳴らし言い切る。そして続ける。
「まぁもしもそうなった時の話ってんなら答えてやる。俺達は人間に奪われるくらいなら焦土にして渡さんくらいの覚悟はある。川も井戸にも毒を放って何年も使えないようにする覚悟もな。どれだけ奥に攻め込もうが仕切ってるのは俺達狼の一族が多い。人間に明け渡す位ならって最後の最後には同じ結果になるぞ? 米の一粒たりとも渡したりはしねぇ。」
普通に喋ってはいるけれど、その話しぶりから本気である事は伝わってくる。
一息ついて口調を転調しベンが続ける。
「別に友好関係っつったって狎れ合うつもりもない。
ただ5年くらいはお互い戦わずに静かにしていてくれればいい。今回のような侵攻の情報があれば、こっちから先触れを出したって良いさ。」
その言葉にコンが驚いたようにベンを見た。
それも当然だろう、今ベンが言った言葉は国を裏切ると言っているのと同義。
「先触れが無くても私達は今回来たわけだが?」
「おう。今回はお前あたりが察したんだろう? なんせ今回の件はお前らの国の仕込みなんだからな。」
「……どういうことだ?」
「なんだ検討がついてるのかと思ったが違ったのか?
まぁいい説明してやる。今回の出兵の原因を辿れば、お前らの国に捕まって逃げてきた狐の獣人が小さく騒いでいたのが発端だからだよ。そいつが『アルスターが戦いの準備をしている』って噂を流して回ったのさ。
だが実際にお前達の国を見てみりゃあ戦いの準備の気配もないんだからな。偽情報を振りまわってるってことだろ。大方お前らの国で家族でも人質に取られてたんだろうな。」
テオの眉間に皺が寄る。家族を大事にしている彼女にとっては種族が違っても当然の反応。
マイラも心当たりは無かったが、捕えた獣人を隷属させて使っているのを見たことはあり、騎士団でソフィアのような存在を知っているからこそ完全に無いとは言いきれない事も理解していた。だが、今は肯定していい場ではない。
「ただの想像だろう?」
「あぁそうだな。」
「そもそも友好関係を結んでどうするつもりだ?」
「そりゃあ決まってるだろ。オスなら天下とるっつー夢を持つもんだ。」
「は?」
「まぁウチの国の話になるが、俺の家は戦闘にはちょっとは名の知れた家だ。だからこそこの領を任されているとも言える。
だがな。俺達の上に立っているモンからしたら寝首をかかれるかもしれない不穏分子でもあるわけだ。
その証拠にじわじわとウチの家の力は削がれ、台頭するように息のかかっている連中がのし上がってきてる。」
「つまり……なにか? 反乱を起こすつもりなのか?」
「反乱って言葉は好きじゃあねぇな。上の座を奪い取るだけの話だ。だが完全に力を削がれればそれは出来ないだろう。
しかしお前と密約を結べばどうなると思う? 俺はコイツを育て環境を作る事に集中できる。」
そう言ってコンの肩を叩くベン。
「お、オレですか!? 親父殿!?」
「おう。俺はもう年を取り過ぎた。だがお前はこれから。これからだ。
もう2~3年もすりゃあ子供もできてるだろう、オスとしても脂がのる。お前が天下を取るんだよ。」
「お、オレが……」
「ってワケだ。お前らにしてもこのハイラントの国の天下取ったヤツと悪くない仲になっていれば損はしねぇだろう?」
マイラは少し悩み、そして少し笑う。
「フリーシアに負けているくせに、この国では勝てると?」
コンはグっと怒りを飲みこむ顔になり、ベンはニヤリと笑った。
ベンが口を開こうとしたその時、木造の家屋が大きくガタガタと音を立て始める。
「なにごとだっ!?」
ベンがそう大きく声を上げ立ち上がる。
マイラとテオは万が一に備えて構えをとった。
慌てながらやってきた狼の獣人が扉を開くと同時に強い風が入り込んでくる。
ガタガタと扉が揺れ、その音を静める為に手で抑えながらやってきた狼の獣人が口を開いた。
「お、お客人が! お客人同士で争いを!」
「えぇっ?」
声を上げたのはマイラだった。
ベンとコンは『何してくれてんだよ』という感情の籠った視線をマイラにぶつける。
「ちょ、ちょっと様子を見てくる!」
「私も!」
マイラとテオは慌てて扉を抑えている獣人の後に続くのだった。
--*--*--
「アリサぁっ! この腐れ筋肉がぁっ!」
フリーシアの声。
突風と共に木造の扉と共にアリサが外へと吹き飛んだ。
「アッハハハハ! フリーシア! 同じことをしただけじゃない?」
アリサは扉を背にして飛ばされながらも腕を交差させ楽しそうに笑い声をあげている。
その様子から突風でダメージを負った様子もない。
くるりと数度体を捻り、しっかりと地面に着地する。
ゆらり、ゆらりと揺れながら家屋の中からフリーシアが現れる。
「……同じこと? 同じ事? 私はマコト様にキスなんてしていないっ! 舌も絡めていないっ! 何が同じ!?
それになにより許せないのは、マコト様のお顔を何度も叩いた事だ! 何度も! 何度も何度何度もあぁああっ! 万死に値するぅぅっ!」
フリーシアがアッパーカットのように拳を振り上げる。
するとその拳の線上にいたアリサの姿が二つに割れる。だが二つに割れたアリサの姿はその後にやってきた風で掻き消える。残像だ。
「はぁ!? どう見てもやりたいようにやっていたじゃない! 動けないようにして! 抱き着いて! 服を引き裂いてねぇっ!」
10mは横に離れているだろう所からのアリサの声。
「うるさぁいっ!」
振り上げていた拳を下ろすと同時に二つに割れるアリサの姿。またも残像だ。
「アッハハハ! 分かりやすすぎるのよ! 狼を転がしたから調子に乗ったの? この色ボケ小娘が。ほらほら私はここよ。当ててみなさいな。当てられるもんならね!」
まるでからかうように挑発するアリサ。
その挑発を受け、またも首がグリンと動くフリーシア。
「……この……筋肉如きが……私がマコト様から学んだ魔法まで虚仮にしやがりますか……もう許しません………許しませんよぉおおっ!」
両手の拳を強く握りそう絶叫する。
そしてすぐに握りしめた拳は、まるでとても重い何かを持ち上げているような仕草に変わる。
ソレを見たアリサの表情が歪み、身体にグっと力が入る。
その瞬間、離れていたはずのフリーシアの直前にアリサとアリサの拳が現れ、大きな音を立てた。
だがその音は鈍い音。まるで金属に当たったかのような音だった。
「はんっ! なんですか今のは? パンチなんですか?」
一転してフリーシアの挑発するような声。
「そんなパンチ私に届きませんよ? 何がしたかったんですか?」
鈍い音が数度鳴り響く。そんな中でも半笑いの表情のフリーシアは言葉を続ける。
「あぁ? 謝罪しにきたんですか? どうぞどうぞ何度でも。許しませんけどねぇ!」
重い何かを持ち上げようとしていたフリーシアの動作は、持ち上げきり何かから解放されたような動きに変わった。
その瞬間にアリサは後方へと距離を取る。
「さぁ~……避けれるものなら避けて見なさいな筋肉ぅっ!」
コンやアルマを転がした地面からの突風が、まるでアリサを囲い込むように8つ出現し徐々に近づいてくる。もちろんその突風の通り道にある物は破壊しながら。
「アハハハっ! いいじゃない!」
アリサが身体に巡らせていた魔力を変質させる。
「果たしてこの程度で私に傷が付くかしらねぇ!」
そう叫び笑った。
フリーシアも笑った。
「「 アッハハハハ! 」」
「ちょーーっ!!」
「なにやってるのっ!?」
マイラとテオが駆け付ける。
広い庭だったはずなのに、まるで強盗が何十人も来て荒らしまわったような風景に変わっていた。
「何がどうしてこうなった!?」
流石のマイラも平静ではいられない。
これまでのベンとの話で考えるところが多く、可能な限りのメリットを取ろうとしていたというのに、どう考えてもこの状況はマズイ。
今そんな事を考える時ではないけれど、現実逃避なのか『あれ? もしかしてこれでベンとの話自体が消えたりするのかな?』などと頭が勝手に動いてしまう。
だがテオは違った。
この騒動の原因であろう人間はマコトしかいない。そう察してすぐにその姿を探す。
気配を探ればミトと一緒にいるのは間違いない。
そしてテオは場を納める事が出来るのはマコトだけだろうと判断し、マコトとミトがいる場所へと向かうのだった。




