80 モフモフ
「は、はわ、は、はわあぁあ~!」
らしからぬ声を漏らしている筋肉。
筋肉ことアリサだった。
自分の膝に乗っている小さな狼の獣人をそっと撫で、狼の獣人も気持ちよさそうに丸まっているのだ。
――もっふもふのミトの毛の誘惑に耐えきれず、
「な、撫でていい?」
と、アリサがとうとう思いのたけを口にしてみれば、なんとその返答は
「お断りです。」
明確な意思の感じられるNOの言葉。アリサの落胆の表情は思いの外にだだ漏れになり、それを見て慌てたマコトがミトに理由を聞いてみる。すると狼の一族にとって、毛並を褒められ撫でてみたいと言われる事自体は褒められているのと同義ではあるけれど、それを触らせて良いかどうかは親愛度が大きく関わることであり、おいそれと触れさせて良いことでもないという。
ただし、力を持つ者が自身の力を示し屈服に至った場合には、相手に逆らうことは出来ない。だがそれは当人にとっては恥である。
それを聞いたアリサが自分の欲求の為に『じゃあ屈服させる』という選択肢をミトに対して取るわけもなく、しゅんと落ち込むだけだった。
もちろんマコトも同様にしゅんとなったが、もうモフモフを堪能してしまったのだからどうしようもない。
マコトは謝罪しつつもモフモフを撫でる感触を他の人と共有したいという思いから、何か方法は無いかをミトに尋ねてみれば、そもそもの話としてミト達狼の一族から見て、人は『毛無し』の不細工に見えるらしく、そんな不細工に気持ちよく触られる者などいはしないと言う。ただ戦いのできる年に至っていない子供であれば、まだ戦うという意思が芽生えておらず、尚且つ愛情表現であれば素直に受け取る子供も多いかもしれないと。
それを聞いてモフモフの魅力に取り付かれはじめている二人がそわそわしないはずもない。
なにせ『モフモフ』の上に『子供』なのだ。可愛い要素が揃っている。
ミトはマコトの様子から小さくため息を履きつつも家の者に声をかけ、子供の狼の獣人を一人連れてこさせた。
「ふぁあああーー!」
「うわぁあああーー!」
撫でた。
撫でまくった。
成長途中で拙いカタコトの人語を喋る狼といった風貌だから、可愛くないはずもない。
しかも子供だからか好奇心も強く、何にでも興味をもち楽しそう。わははい! と一緒に外に出てキャッキャと庭で遊んでは撫で、力比べをしては軽く転がしては撫で、それを喜ぶ可愛い狼の獣人。
やがて撫でられ疲れの溜まった狼の獣人の子供は、オスらしくアリサの膝の上に乗っての冒頭である。
「も、もう、動ける気がしない……」
「い、いいなぁ! いいなぁ! ソレぇ! いいなぁ!」
マコトの心の叫びだった。
あまりの羨ましさに語彙すら少なくなっている。
そんな二人を尻目に、ミトとフリーシアはお互いに視線をマコト達から外すことなく一歩引いたところで話し合っている。
「ということは、貴方は人間には興味はないのですね?」
「当然です。私達の美的感覚からすれば人はどう見ても魅力に欠けるのですから。」
「まぁ、マコト様も貴方に対してそう言った目で見ている可能性が無いのは、あの子供の対応で十分理解できましたし……ほんと良かった。」
「えぇわかってます。ただ人間との間に子供が生まれる事はありますよ?」
「え゛っ?」
驚きの余り視線がミトへと移るフリーシア。
「戦場の高ぶりを沈める為に人間の奴隷に相手をさせたオスもいるらしいですし、相手をした人間が孕んだという話も聞きます。」
「人間の奴隷がいるんですか?」
「そりゃあ居ますよ。私達は互いに戦争している間柄ですよ? 特に貴方たちは女達が主力の部隊もあるでしょう? 捕まえれば利用はします。もちろん逆に私達の同胞も捕まっていますしお互い様です。」
「ち、ちなみにどんな子供が生まれるんですか?」
「毛があったりなかったり……醜い奇形と聞きます。南の方でそう言った者達の集まった集落もあるとか聞いた覚えもありますね。」
ふとフリーシアは疑問に思う。
ミトから見れば自分達もまた醜く、話をすべきではない相手であるはずなのに、なぜこうも丁寧に、しかも教えなくて良い事まで教えてくれるのだろうかと。
表情は読み難いけれど、穏やかな雰囲気を保っているミトを見て素直に問うてみる事にした。
「なぜ私にそこまで教えてくれるのですか?」
「私はあのお方の預りとなった身……私はこう見えてもお父様に愛されている自信はありましたから、あの方はお父様が預けても良いと判断するほどのお方という事に間違いはないはず。
つまり、貴方たちも我が家にとって今後を見据えて重要な相手であるという事だと私は捉えています。
さっきも言いましたが私達の間には長年の戦いという深い溝があるからこそ、まずはそれを埋める努力をしようと思っているのです。」
素直すぎる。
ミトの言葉を聞いてフリーシアはすぐにそう思った。
だけれども同時に、その素直さに対して好感も覚えた。
この獣人の国には敬愛するマコトの好む食材が山ほどある。マコト自身が要望を言う事はなくても、あの喜びようを見ていれば誰でもわかる。間違いなく好きな味なのだ。
ミトの立場であればマコトの好む食材を集める事も可能だろうし、その食材の調理法をミトから学ぶこともできる。
となればミトと友好関係を築いておくことのメリットとデメリットを天秤にかけても、明らかにメリットの方が大きい。
そもそも紛争地帯から遠い街に暮らしていたフリーシアにとって、獣人の噂程度しか聞いた事もなく、予備知識もあまりないからこそマイラのように反発心も小さい。
考えようによっては人の多い国にいるよりも、こちらに居る方がメリットが大きいかもしれない。
なにせこの国には自分のライバルとなるであろう人間の女が少ないのだから。
ただ、フリーシアは考える。
獣人と人間の間に子供ができるという事は、ミトもあのマコトの顔を見てしまったら人間の女同様に惚れてしまう可能性もあるのではないだろうかと?
「ちなみにミトさんは――」
「ミトでいいですよ? 私もフリーシアとお呼びしても?」
こちらを向いた表情は読めないけれど、なんとなく微笑んでいるように思えた。
「もちろんです。」
微笑返しながら答える。
「それで?」
「ミトさんはマコト様を見ても、かっこいいとは思ったりしないのですよね?」
「……えぇ。」
発せられた言葉に『とてもじゃないけれどカッコイイとは思えない』という飲み込まれた言葉を感じ、腹を決め立ち上がる。
ずんずんとアリサの膝にのった狼の獣人の子供を触っていいものかどうかと、わたわたしているマコトの下へと向かい、その空中でわきわきと動いていた手を掴み口を開く。
「マコト様。少し確認をお願いしたい事があります。」
「え、あ、はい。」
この冬を共に過ごした事で、マコトの性格は把握している。
マコトはこちらが強引に進めれば言い訳程度の反対しかしない。それどころか口では嫌々と言いながらも嬉しそうにしている事も多い。
無理矢理、身体の関係を迫ると一定の線を越えた時点ではっきりと断りを入れてくるのだが、とりあえずの話として、そういった色が絡まなければ、すでに日常生活においてマイラやテオの邪魔さえ入らなければ、ある程度の操作ができる自信もあったのだ。
子供の狼獣人に夢中になっているアリサは無視し、ミトにも声をかけて一緒に移動し、誰も近づかない事を確認して元いた部屋に入る。
そしてミトとマコトを向い合せに座らせ、自分も座る。
「な、な、な、何?」
「フリーシア? 一体何を?」
マコトとミトが戸惑った視線を向けてくる中、一つ咳払いをする。
「マコト様。どうやらミト達には人間の顔の出来は関係ないようです。ですのでお顔のソレを外す実験をしてみませんか?」
フリーシアは、マコトの顔を覆っているマンモレクの繭を指して、そう言うのだった。
--*--*--
別室。
マイラとテオ。ベンとコンが机を挟んで話し合っている。
「まさか、自分の娘を押し付けてくるとは思わなかったよ。」
「なぁに、強い者こそ正義。その信念があれば種族の差など関係はあるまいて。」
「口実は良い。そちらの狙いは?」
「なに、狙い? 狙いなぁ……まぁ、それよりもオスのフリをしているお前は、コンと戦った時にこういったそうだな。『うちの領地に攻めてくる』とな。」
「……」
「って事はお前は俺達が向かうはずだった領地を治める者の関係者ってことだよな。
だが、その割にはアイツに連れて行かれた領地は静かそのもの。おかしくないか?
俺達の領で考えれば、コンやアルマのように領を治める者の血縁者や近い者が侵略の予兆を知ったら、すぐに領地で兵を整えるはずだ。だが、お前はそれをすることなく俺達の前に4人だけでやってきた。」
マイラは眉ひとつ動かすことなく言葉に耳を傾けている。
「仮に領や国の精鋭で特別に動いているとしても、境界の兵達が何も備えていない現状はおかしすぎる。
第一お前ら程の力量の精鋭を抱えている程に強いならとっくに戦争が始まって俺達の領地は奪われていたはずだ。
それにもっとおかしいことに、敵対するような空気はお前くらいからしか放たれていないんだよな。あまりにおかしい。
……だから俺はじっくり観察した。」
テオもベンの言葉をしっかりと聞いている。
もちろんコンもだ。
「倒れたフリをしてよくよく見ていれば、あの男を中心に事が進んでいるじゃないか。
要は、今回ここに来たのも、お前が何かしらでこちらの動きを掴み、取り急ぎあの男に頼み込んだ。
そしてあの男が殺し合いを望まなかったし、争いにも興味が無い。だからこそ、剣を振るいたいお前も大人しく我慢している。」
ここまでの話を聞いてようやくマイラが口を開く。
「で? お前の想像がどうであれ、こちらはそっちを圧倒する力を持っている事に変わりは無いんだぞ?」
マイラの言葉にベンが笑う。
「おいおい、なんて下手糞な脅しなんだ。殺気がねぇよ。殺気が。
今のでわかった。断言するね。あの男が近くに居る限り、お前は絶対に自分から剣は抜かない……いや違う。抜けないんだな。」
それでもマイラの表情が動く事は無い。
「いい加減まわりくどいな。で? 最初から聞いている事だが狙いはなんなんだ?」
「いやなに。協定でも一つ結ばねぇかと思ってな。別に協定がむずかしけりゃあ密約でもいい。」
「ほう?」
初めてマイラの眉が動いた。
--*--*--
「で、でも!」
「マコト様! これはチャンスですよ! その布を取って堂々と過ごすことができるかもしれないのです!」
フリーシアが力強く声をかける。
もちろん自分がマコトの顔を見たいからである。
「この獣人たちは人間に対して醜いという感情を持っていて、私達と美的感覚が違うのです! なればこそマコト様の素顔を衆目に晒したとて目立つ事がないかもしれません!
目立つ理由になっていた布を取る事ができるのでしゅよ! これは絶好の機会なのでしゅ!」
「う、うう。」
興奮のあまり語尾が危なくなるフリーシア。
ッバ、ババッと反復横跳びのようにマコトの周りを動きながら続けるフリーシア。
「それに、この国で美味しい物を食べることになったとして、それをつけていて本当に心から美味しさを味わえるのですか? 香りも遮られてしまうのでは? ほら! それにアレですよアレ! なんていうか取ったらアレですからぁ!」
「え、ええ!?」
「ほらマコト様! どうであれ! いずれ獣人の目に素顔が晒されることもあるかもしれないんですから! その対応を考える意味でもミトに見せておいた方が賢いですからぁ! 絶対かしこいですからぁ! カッコイイからぁ!」
どんどんとエスカレート&エキサイティングしているフリーシアの姿を見て、ミトはもちろんドン引きしながら不安がり、そしてその不安からつい口を開く。
「そ、そんなに醜い顔なんですか?」
「ちがーう!」
「ひっ」
ギョロンと目をひん剥きながら変な首の角度になってまでミトに向き直るフリーシア。あまりの勢いと恰好に思わずミトも声を漏らす。
「マコト様が……醜いですって? 今……何を言いやがりました、このミト?」
「え? あ、え? いや? その。」
「ちょ、ちょ待ってフリーシア。」
「聞き間違いじゃあなければ醜いだのなんだの……」
ずしーんずしーんと音が聞こえてきそうな足さばきでミトに近づいてゆくフリーシア。
「あぁ、そういえヴぁ、毛並がどうとかいってましたねぇ~……ミト、貴方が放った言葉の通り、醜い毛玉に変えてあげましょうかぁ?」
「い、いや……こ、こないで……」
ずしーんずしーんと近づいてくるフリーシアに対し、怯えるように小さくなり震えるミト。
「ま、待ってってフリーシア! モフモフに罪は無い! 無いからぁ!」
マコトの呼びかけに対しふと立ち止まり思案するフリーシア。
そして一拍の後、フリーシアの口が大きく歪み、シュババっと動きミトの肩を捕えた。
「うふぇふぇ、マコト様ぁ? このモフモフを毛玉にされたくなかったら、その目隠しを取るのです!」
「な、なんだってー!?」
「私も心苦しいですが、これも全てマコト様の為。貴方が過ごしやすくなる事を思っての行動なのです……さぁ! あと5つ数える内に取るのです!」
「う、うぅ!」
一気に緊張感が膨れ上がった。
「……5」
「ふ、フリーシア!」
「……4」
「その、あれだよ! ね!」
「……3」
「アレだから!」
「うぅ……私の毛並……」
「……2」
「あああ!」
「……1」
「分かった! 取る! 取るからぁ!」
言葉と同時に結びを目を解き始めるマコト。
その行動にフリーシアは満足そうに一つ頷き、ミトは心底ほっとしたように息を吐いた。
しゅるりしゅるりと長いマンモレクの繭が落ち、そして露わになるマコトの素顔。
ドキドキしながらマコトは目を開き、2人を見た。
ミトは首を捻り、フリーシアは両手を胸の前で組んでいる。
「なんだ……全然醜くないじゃないですか。うん。むしろ私達から見てもなかなかの美形だと思います。
なんで隠してたんですか?」
ミトがふぅと肩すかしをくらったような息を吐きながらそう告げた。
どうやら獣人の美的感覚において、この呪いの顔の効果は無いらしい。
「しゅき。」
「ん?」
フリーシアの声が聞こえた気がした。
そう思った瞬間。
フリーシアが懐に潜り込みんでいた。
「マコト様ぁあああああああああっ!」
「んがはぁっ!」
抱き着かれていた。
動かそうとするが手が動かない。よくよく見てみると魔力の鎖のような物で空間に固定されている!
「なっ!? こ、これは! まさか! 魔力で物理的に空間に固定っ!? えぇっ!?」
もちろんそうしているのはフリーシアだ。
「子作りするのぉおおっ!」
「いやぁあああっ!」
ビリッ! っと上着をひん剥かれる。
でも。
嫌だけど、嫌じゃなかった。
「うるさぁいっ! もう! せっかく寝てたのに起きちゃったでしょうがぁっ!」
そんな事をしていたせいで、筋肉が部屋に入ってくるのに気付かないのだった。




