77 酒
「いや、流石に駄目でござる!」
「マコトしゃまぁ! マコト様の好きな味を知りたいのですぅ!」
「なんでいマコト。いいじゃねぇか酒の一口や二口くらいよう。」
薄く白と茶色の濁った液体。薄めた籾殻米酒を欲するフリーシアから竹のコップを遠ざけるとコンが諌めるような言葉を放った。
その言葉を受け顔を大きく横に振りながら口を開く。
「お酒は大人になってからの方が良いからダメでござる!」
「フリーシアはこの春で14です! もう大人ですマコト様ぁ!」
「いやいやいや……えっ?
……14歳になったの? え? ……いつの間に誕生日過ぎてたの?」
『女性の誕生日を忘れる男はモテない』という格言が頭を過り、つい聞き返す。
そう言えばフリーシアだけじゃなく、テオやアリサの誕生日も知らない。今更ながら大失態だ。
「誕生日? いえ春が来れば年齢が増えるのが普通かと。」
「え?」
フリーシアの回答に疑問が浮かんだけれど、そういえばここは異世界。常識が違うのだった。
そんな事を思って納得しているとコンが口を開く。
「はぁ? おめぇ14なのか? 14の割にはガキくせぇな。」
「……あ?」
「……」
イラっとしたようなフリーシアの視線。ソレをそっと無言でそっぽ向くことで流したコン。
一連の様子からどちらが強者であるかが決まっているようにも見え、そしてコンがフリーシアの魔法で回された事がトラウマとなっている事も理解できた。
「ほら、俺ぁこの春で15になったからな。俺と比べると、ホラ、な。」
「えぇっ!? 15歳なの!?」
逸らされても視線を外さなかったフリーシアに対して誤魔化すように言葉を続けたコンが聞き捨てならない言葉を放ったせいで、つい割って入ってしまう。
救いの手が入ったように反応するコン。
「おうよ。ようやく大人よ。酒も堂々と飲めるってもんだ! まぁ元々飲んでたけどな! がはは!」
竹の水筒からガフガフと籾殻米酒を流し込むコン。
15歳で大人と認めていいのかどうか? 飲酒をしても良いのかどうかという気持ちもあったが、それ以上に驚きが隠せず言葉を続ける。
「……ってことは15歳で……お嫁さんをもらったって事?」
「あぁ? あたりめぇだろう? 嫁の一人や二人もらわねぇでちゃんとした大人とは言えねぇだろうが。」
「グフッ!」
辛辣な言葉に心がダメージを負った。
「14に結婚してるやつも多いんだぞ? 俺なんて遅い方だ。まぁウチの場合は家柄とかもうるせぇからな……俺のダチや他の獣人だと、もう子育てに励んでるヤツも多い。」
「グフッ!」
やめ……やめ……て。リア獣オーラを……放たないで……
「はッ、マコト様っ! ああああ相手をお探しならわたた私が!」
「お? なんだ? おめぇら番いってワケじゃなかったのか? 俺ぁてっきり――」
コンの言葉にフリーシアが眉尻を下げながら勢いよく向き直る。
「思っていたよりもずっと良い方だったんですねコンさん。見直しました。出会い頭に魔法を使ってしまい申し訳ございませんでした。」
「お? おぅ? え? なんだ? やっぱりお前らそういう仲じゃないって事なのか?
マコト、オメェこんな慕われてて手出してねぇの? なんで?」
「グフッ!」
「オホン。これからです。これから。間もなく。もうすぐ。できるだけ早く。はい。」
コンが場の様子から何となく関係を察したようで『あ~』と言わんばかりに頬をボリボリと掻く。
そしてそのまま、はぁと一息吐きだし口を開いた。
「……なぁマコト……おめぇ、あんま女に恥かかすような事しちゃあダメじゃあねぇか?」
「グフッ!」
「あまりマコト様に失礼な事を言わないでください。」
チラっとフリーシアを見れば放った言葉とは裏腹に、まるで『強い味方が現れた!』と言わんばかりの嬉しそうな表情をしている。
そのフリーシアの表情を見たコンも、自分を回す程の魔法使いが自分を頼っているらしい事を理解したのか少し得意そうな表情に変わり、説教好きの上司のような雰囲気を醸し出しながら胡坐の足を組み直しながら口を開く。
「あれだろ? 聞いた話だとヒトってのは年がら年中発情しているらしいじゃねぇか。はえぇとこ嫁にしろよマコト。」
思わず鼻が鳴った。
慌てて言葉を返す。
「ちょ、その言い方は大いに誤解があるような気がするぅっ!」
--*--*--
あぁ、頭が痛い。
どうしたものか悩んでいる内に、彼らは酒まで飲み始めている。
しかもどうやらマコト殿の好みの味というじゃないか。もうどうしよう。マコト殿が食べ物に弱いのは私達の共通認識になるほど分かっている。
マコト殿とフリーシア、コンの会話に聞き耳を立てながらも、テオと一緒にベンが今後の方針を確認するよう言ってよこした狐の獣人とアルマの2人との会話を進める。
ちなみにベンはといえば、フリーシアに回されてから休みなくマコト殿に酔わされたせいで今は本格的な休憩に入っている。
任された狐の獣人が、これまでの話をまとめ言葉を放つ。
「……というわけで、とりあえずはベン様の領地に向かい、それからアド様への説明に同行という形で宜しいでしょうか?」
「えぇ……成り行きとはいえ仕方ないわね。」
「出来ればこっちもトレンティーノ領に報告だけしておきたかったが……まだ実害も出ていないし戦闘も起きなかった。
逆に説明する事で混乱を起こしてしまう可能性もあるからな……アド殿とやらの書面なりなんなりの証拠をもって帰った方が都合がいい……不本意だけど同行しよう。」
狐の獣人が表情を変える事も動く事も無く言葉を続ける。
「では、ヒトの皆さんについてはベン様のお客様という形で迎えさせて頂きます。が、くれぐれも我々から離れる事が無いようお願いします。
皆様の力量は拝見しておりますが、それを知らぬ者の中にはちょっかいをかけてくる者も出てくるでしょうからね……わざわざいらぬ諍いを設けることもありますまいて。」
「わかっている。こちらとて無駄に疲れたくもない。」
話の雰囲気からして裏で謀る事が好きそうな声。
人と違い顔を読む事は慣れていないが、雰囲気というのは端々に現れるものだ。
好ましいとは言えない狐の獣人の声質にイラだちが増す。
そんな中聞こえてくるコンの大きな声。
「14に結婚してるやつも多いんだぞ? 俺なんて遅い方だ。他の獣人だと子育てに励んでるヤツも多い。」
ンッ!
耳に痛い言葉が聞こえてきた。
ふと隣に目を向けると、珍しくテオが目を閉じている。
「……テオ。」
「……ええ。」
「きこえ――」
「言わないで。」
「はい。」
察してあまりある。
彼女はもう25になる。
アリサの保護者であろうとする心意気は立派だと思うが、やはりどこかで女としての幸せを求める気持ちも潜んでいるのだろう。それが痛いほど分かった。
かくいう私だって年齢は言わないが、アリサより上、テオより下という、一般的には丁度良い……ちょっと過ぎた頃に差し掛かったとされる年頃になってしまっているから同様に胸に刺さらないでもない。
「あれだろ? 聞いた話だとヒトってのは年がら年中発情しているらしいじゃねぇか。はえぇとこ嫁にしろよマコト。」
「ちょ、その言い方は大いに誤解があるような気がするぅっ!」
また聞こえてきた言葉に小さく二人で鼻を鳴らす。
自虐なのか、それともマコト殿には無理だろうという悟りなのかは分からない。
なんせこの冬、フリーシアもテオも結構あからさまに関係を進めようとしていたように見えた。だが肝心のマコト殿といえばのらりくらりと言い訳をしては関係を進めるのを避けていたのだ。
他の男だったらば今は二人と深い関係になっていただろう……いや下手すればアリサともそういう関係ができ、歪に爛れた関係が出来あがっていてもおかしくなかったほど。なのに、そうはならなかった。
マコト殿はそういう人なのだ。
一冬共にすごして私は未だ男と思われているが、彼は同性に対しても一時接触を避ける傾向が強い……というか腹を割らない。他者に対する壁が厚く硬いのだ。
要は、強い人ではあるけれど何故か人に対しては肝が据わってないと言える。
謙虚で素晴らしい人柄であるとは思うけれど、過ぎたるはなんとやら……というのがしっくりきてしまう。
「それにようメスばっかり連れてるんだしよ。選びたい放題じゃねぇか。」
「ちょ、メスって!」
「オスはオメェだけだし、ほんと猫みてぇだな。マコト。」
「おぉっと失礼っ!」
堅牢を纏いながら蹴躓き倒れ込むようにショルダータックルをコンに向けて放つ。
「んああ!」
タックルの勢いで酒が入った竹の水筒が勢いよく空を舞う。
「いやぁすまない! 疲れのせいか足元が悪くてねぇ! 大丈夫かいコン殿よ。あぁ大変だ零れた酒が服に。」
誰のかも分からない手近にあった手ぬぐいを手に取り、コンの服についた酒を叩きとるようにして殴る。
「い、て、てて、た、ちょっ!」
「あぁ、済まないアルマ殿。私の失態で粗相をしてしまったのだがコン殿の代えの服などは無いだろうか?」
コンを立たせてアルマの方へと連れてゆく。
一連の出来事にマコト殿の口が開いていたが、彼のあの様子なら大丈夫だ。なんせフリーシアが『14で子供産むのが普通なんですって!』と言わんばかりの表情でじっと見ていた。そろそろこっちを気にするどころじゃないプレッシャーに気づくはず。
ほら、気づいて慌てて竹コップを呷った。
フリーシアが気を逸らしてくれている間に、戸惑うアルマと現状を掴めていないコンに小さく言葉を放つ。
「マコト殿は私を男だと思っている。下手な事は言わないでもらえるかな。」
「「 えぇ? 」」
コンとアルマがチラっとマコト殿に目を向けてから向き直る。
「いや、匂いでわかるだろうに……」
「ヒトはそこまで鼻がよくないんだよ。」
「貴方はそれでいいの? オスにメスとして見られていないっていうのは……私だったらちょっと腹が立つけど。」
「別に私もバレてもいいんだが、それだと彼が『自分は勘違いしていた』と傷つくだろう? どうせ大した問題じゃないさ。」
「まぁ……よくわかんねぇが、さっきの動き……お前も中々強い感じがしたな。手合せしてくれるんなら俺は黙ってるぜ?」
「ふん。私はアリサとは少し違うから、かなり痛い目をみることになるが、それでもいいか?」
「おもしれぇ!」
「アンタ……」
アルマの声が呆れた声色に変わっていた。
その声を聞いたコンの耳がしゅんと小さくなる。
「いや……だってよう……」
「折角落ち着いてきたのに、また賑やかしてどうすんのよ! 頭使いな!」
「……」
少し落ち込んだような様子で口を噤むコン。
なんとなく可笑しくなって少しだけ口角が上がる。
「アンタもだよマイラ。
アンタもいちいちトゲを出しなさんな。ここに居るヒトの中でアンタだけどうにも敵対心が隠れてないんだよ。」
痛いところを突かれて上がった口角が真っ直ぐに伸びる。
「アンタがウチの国と接して戦ってきた歴史があるのは分かるし嫌ってるのも分かる。けどさぁ、今の状況でアンタに裏があり過ぎればこっちだって警戒がずっと解けないんだよ。」
「ふん、敵同士だからな。」
「あぁ、そうかい。じゃあアンタが隠したい事に協力する義理も無いね。」
即答で返され言葉に詰まる。
「……はぁ。いいだろう。敵意はできるだけ隠そうとも。
マコト殿もそれを望んでいるのは分かっていたからね。」
「よし。じゃあそれが守られている限りはアンタの隠したい事も守ろうじゃないか。いいね? アンタ。」
「……ぉぅ。」
「ただマイラ。私らの目の届かない所は関知しないからね?」
「あぁ、それは私がマコト殿に注意していよう。」
こうして私が女であることは黙秘される事となった。
折角これまで男として仲良くなったのだ。彼の女に対する壁を見ていれば、まだ男の方が有利と思える今、わざわざ知られる必要はない。
すぐに敵意を一切隠した笑顔に切り替える。
「では、これからしばらくの間、宜しく頼む。」
私の笑顔に対してアルマが薄く笑い、コンはヒクっと口を動かした。
獣人の国の処世術など知らないが、人の間では敵意を隠せずして貴族は務まらない。
「……ふぅ……もう大丈夫だ。」
ベンが寝起きのようにのっそりと姿を現し、ベンの領地に向けて移動が開始されるのだった。




