71 冬の終わりと始まり
王都の中枢にある研究室の一室。
台に固定され苦悶の表情を浮かべた50歳を超えた程に見える女がいた。
苦しむ女は手術着のような服を纏った女達に囲まれ、右腕に何かしらの施術を受けている。
施術している女の傍には切開する為のメスやピンセットのような物がトレイに並び、そしてそれらは血に濡れていた。
そこに役目を終えたであろうピンセットが置かれ、施術していた女が小さく息を吐く。
「これで良し……と。回復を。」
ソフィアの声だった。
指示に従い、回復術師による切開箇所の回復が行われてゆく。
ソフィアは固定されている女の切開していない左手を触り状態を確認してゆく。
不思議な事にその左手は50歳を超えているであろうはずなのに、若々しく水を弾くような玉の肌であった。
「拒絶反応は無し……地竜の鱗ともなると、効果も顕著ね……」
そう独りごちてから、施術されていた女の額に浮かんだ汗を優しく拭うソフィア。
「お疲れ様。とりあえず今日の分は終わったわ。
また2~3日後に続きを行いましょう。」
「……ありがとうございます…ソフィア様……」
「いいのよ。こちらこそ実験台に志願してくれて有難う。
今のところ経過は順調。多分問題無く貴方も私達のようになれるわ。」
50歳を超えた程に見える女は、疲労を目に浮かべながらも、どこか満足したようにゆっくりと瞼を閉じるのだった。
ソフィアは自身の趣味として魔道具などの研究を行っている。
そしてその魔道具の研究は私財を惜しみなく投じた事もあり、多大な功績を残し、国からも正式に援助を受ける程の成果を上げているのだが、この魔道具の研究には彼女の野望があった。
それは『若返り』
彼女や彼女の側近たちは、皆その年齢に相応しくない若さを持っている。
これは老化を恐れたソフィアの研究の成果であり、そしてその研究の実験に身を捧げた彼女達の忠誠の証でもある。
ソフィアが辿りついた若返りの秘術は、恐るべき力を持つモノの生命力は凄まじく、その生命力を自分達の身体に取り込む事だった。
動物実験、人体実験を通して適した素材を探し、そして効果の顕著な物には高額な懸賞金をかけ手に入れた。
今回手にした地竜の鱗も、武具などに使用されもするが、若返りの効果がある事を破片から確認していた。
今行っているのは、自身の再改良の前の最終段階の臨床試験と呼べる物。
手にした地竜の鱗の汚れを取り、堅牢な地竜の鱗の芯に近い部分だけを残して他は切除。芯部分から1000分の1ミリとも思えそうな薄いシートを作りだし、そしてそれを切開して皮膚下に埋め込むという手術。
このシートも地竜の鱗の恐るべき硬度からシート状の材料を作るだけでも大きな苦労があり研究の時間を要した。
地竜の鱗は硬く削る事が出来なかった。石臼のような挽き方をすれば臼の方が削れて粉末に不純物が混じってしまう。そこで考えに考えた末、地竜の鱗で地竜の鱗を削り粉末にする事を思いついたのだ。
この着想に至るまで地竜の鱗を手に入れてから多大な時間を費やし、そして次のシートを作りあげるにもドラマがあったのだがそれはまた別のお話。
一仕事を終え、自室に戻って一息を付き、地竜の鱗の価値を再確認したソファイはカーディアのマイラを思い出す。
もう冬も終わりの頃。指示した作戦が通常通りに進んでいたとすれば、そろそろトレンティーノ領では暗雲が立ち始めている頃。
俄かに活気づく他国に、その国と接する領地を治める貴族の娘でありながら違法な資金稼ぎをしていたマイラという材料があれば、いかようにも料理が出来る。
まずは種を撒いた隣国の様子を確認すべく最も信を置き付き合いの長いロレーナを呼ぶ。
「マイラの件で犬たちの様子はどう?」
「それが……」
珍しく歯切れの悪い声を漏らすロレーナ。
言いたくないのか俯いた事で短い前髪が少しだけ目を隠した。
その様子から余り宜しくない状況であると判断し口を開くソフィア。
「なに? マズいのなら、とりあえず現状だけでも教えてくれない?」
少しの怒気を孕んだ声に仕方なしといった雰囲気でロレーナが答える。
「分かりました……ただ、お伝えできるのは確認が不十分な物だという事は予めご理解ください。」
「分かったわ。」
王都に居る間、裏の取れていない不確かな情報を配下の者が上げてくる事はない。
大抵が自身の側近である『白銀の魔女』達によって精査され確実な情報だけが上がってくる。だからこそ、この件に関しては『白銀の魔女』達をもってしても裏が取り難い状況でもあると告げられているような物。想像するだけもあまりよくない状況とも言えるだろう。どういった情報が上がってくるか気を引き締める。
「小競り合いが起きません。」
「…………は?」
一瞬の沈黙。
数回瞬きをしたソフィアが、再度口を開く。
「挑発に乗ってこないというの? あの頭の中まで筋肉でできているような犬風情が?」
「いえ、挑発にはのってきたんです。こちらの流した情報を掴んだ途端に出兵準備も始めていましたし、やる気にはなっていたようです。」
「どういうこと?」
「あくまでも上がってきた情報をそのまま伝えるならば『鎮圧された』との事です。」
「内乱でもあったというの?」
「いえ、眉唾ですが『人』に鎮圧されたとか。」
「ん? ん? ん? ……何?」
「……眉唾ですが……『人』に鎮圧されたとか。」
予想外の言葉に一度目を閉じて情報をあらゆる角度から検証する。
戦闘できる獣人といえば圧倒的な膂力を振るう猛者。人が対峙するには魔法を駆使し、罠を張り、数を用いて対峙するしかない。
「それは……いつの話なの?」
「明かり信号を用いた報告ですので、時間的なロスは少ないはずですが、おおよそ3~4日程前かと。」
--*--*--
ソフィアが報告を受ける7日前。
驚愕の事実を知り吠えた男がいた。
「獣人ですとーっ!?」
マコトだった。
「うん。私のトレンティーノ領は隣国と接しているのは話しただろう? だからよく隣国とも戦いになり、双方に捕虜を捕まえていたりするんだ。昔はよく見た物だよ。獣人。」
「獣人ですとーーっ!?」
「ちょっと、なんでそんなにテンション高いのよ。」
「居るのは有名だけど、あまりいい噂は聞かないわよね。」
アリサの疎ましげな眼に、困ったようなテオの顔。
「まぁ敵国みたいな物だからね。いい噂は流れないさ。
でも実際に接する機会があると中々面白いヤツもいるんだよ。」
「どどど、どういうレベルのケモナーなのぉっ!?」
「マコト様。ケモナーという言葉が分かりません。教えてください。」
すがるような目で教えを請うフリーシア。
この後、フリーシアに請われたことで無駄なケモナーのレベル分け及び、ケモナーとケモミミストの差についてマコトが熱弁するが割愛――
「ふむんっ! ということはケモナーレベルは5段階分けでの3に該当するのでござるな! ぉおおおっ! これは久しぶりにテンションがあがるぅ! あぁ、魔法だけでなく溢れるファンタジー臭! 一体どんな生態なんでござろうか獣人!」
「生態……まぁ社会を築く程度には文化的だよ。
ただ、その種類によって結構個性が分かれるね。」
「むっはぁ! 小隊長殿ぉっ! 拙者に詳しく教えてくだされぇぇっ!」
マイラもマコトに慣れたもので、求められるままに隣国について説明を始める。
ハイラント国はかつては国として存在しておらず、種族毎に各獣人達が各々部族を率いていた。
だが、野心を持った部族が縄張りを広げ始めた事で、部族間闘争が起こり、ハイラントは戦いの時代へと突入した。
幾つもの部族が栄えては滅び、栄えては滅びを繰り返し、ある時、狼の一族により統一が果たされる。
以降、狼の一族が頂点として君臨し各部族を支配し時が流れてゆくのだが、その支配の先、獣人ではない人との戦いが起き、狼は全く違う人との戦いにより苦境に立たされてゆく。
単一部族での闘争の先に敗北が見えた時、狼の一族は支配下に置いた者達を最大限に利用する事を思いつき、そして動いた。
戦いが得意な物は戦いを、食料生産が得意な物は生産を、工芸が得意な物は工芸をといった具合に住み分けを行う事で苦境から持ち直したのだ。
そして現在、ハイラント国には士農工商に近しい階級制度が設けられており、そしてその階級は種族により分けられている。
士農工商の士にあたるは狼の一族、そして虎の一族。
狼の一族はその圧倒的な力を原点としたランク分けをし、上が下を支配、下は上に服従する形で国を管理した。
虎の一族は持ち前の奔放さから、用心棒や流浪の民として国内を徘徊する事が多い。
士農工商の農にあたるは兎の一族と、鼠の一族。
双方、獣人としては1m程度と小さな体躯をしており戦闘力は低い。だがその繁殖力は強い。
過酷な農業を数の力を持ってこなす事で現在の地位を確立している。
士農工商の工にあたるは猿の一族と熊の一族。
猿の一族はその手先の器用さと柔軟な発想から物を作り出す事を得意とし、熊の一族も器用さと力の強さから大きな物を作り出す時には欠かせない存在となっている。
士農工商の商にあたるは狐の一族と鳥の一族。
狐の一族は計算高く先を見通す者も多く、狐の一族の中には狼の一族の側近として控えている者もいる。
鳥の一族は機動力の高さから、物資の運搬や情報収集と言った重要な役目を担っている。
ただ、この二つの一族に共通して言える事はとっても狡賢いという事。
この生まれに由来するカーストのようにも思える階級制度を長く採用し、ハイラント国は国として成立しているのである。
――と、ここまで聞いたマコトが沸き起こる『実物を見てみたい』という欲求を抑えられるはずもない。
万里を見通す目を発動し、まずは遠くトレンティーノ領まで意識を飛ばすと、なんとなく獣人らしき人達が大農園で労働に勤しんでいるような姿が見えないでもない。
ただ距離があるせいか曇りガラス越しに見ているような不明瞭さがあった。
さらにハイラント国の方に意識を移動させてみればより曇り具合が強くなってゆく。
だが、その曇りの中でも何となく隊列を組んだ犬っぽい人達が移動しているのが見えたので、それを呟かないはずもなく、その報告を聞いたマイラが『隊列?』とその隊列の居る場所を確認しないはずもない。
もちろん隊列の位置や雰囲気から、当然『攻めてくる気か!?』とマイラは気が付く。
慌てて自領の様子をマコトに確認させれば、対抗する準備をしている素振りは見て取れない。
遠く離れたとはいえど故郷の危機。見過ごす事などどうしてできるだろうか。
だからこそマイラはマコトに言った。
「危機を伝えるだけでも手伝ってもらえないだろうか。」
と。




