70 越冬
Time has wings.
Il tempo vola come una freccia.
Le temps file comme une fleche.
『光陰矢の如し』と同じ意味を持つ言葉は世界中に存在する。
それは、いつの時代どこの世界であっても、人である限り時間の経過には逆らえず、それを惜しんでいる事の証明ではないだろうか。
人は誰もその針の進みは誰も止めることなどできはしないのだ。
それは5次元を越え別の世界に移ったとしても同じ。
ソフィア達の騒動が落ち着きを見せた後の『小休止』とも呼べる時間は瞬く間に過ぎてゆく。
小休止の始め、マイラはソフィアがやってきた際のことを思い返し、そして推測した。
ミレーネが報告に一度姿を消した事から、明らかに上役の人物がいたことは間違いない。
そしてそれはソフィアであった可能性が濃厚であったはずだが、なぜ彼女はミレーネに交渉を任せ、自分が出なかったのだろう。
鱗一枚でわざわざ出張ってきたというのに、より大量の鱗が議題に上がったのを無視する事は考えられない。なぜ敢えて会わない選択をしたのかが疑問に思えてくる。
自分が相手の立場になった形を想像し、そこから会わない選択肢を取る理由を考える。
真っ先に思いつくのは『まだ何か隠しているだろう』という疑惑。
功績などを気にしなくていいからこそ、目くらましも通じずそこに目がいって当然。だけれどもそれが何かを知ることはできない。ヒントが少ない。であればそれを探り、仕入れた情報が当たりだと確信した時に効果的なタイミングで出ればよい。
どう探るかの方法までは想像がつかないけれど確実に言えることは『決して放置されることはない』というどこか確信めいた思い。
その思いに厭忌の情を抱かないではいられない。ソフィアは必ず秘密に迫り何かしらの行動を起こす。
そこまでを考えて自分の握られた弱みや、権力差からくる立場の違い等を思い返し『あ。これ、もうどうにもならんな』と思ったマイラは、節度を持ちつつもある程度開き直って行動をとってゆくことに決めた。
もちろん節度を持ってソフィアの手の者が探らなければバレないようには動くけれど、『秘匿しよう』ではなく『バレてもいい』に方針を転換したのは今後取る行動に大きな影響力を持つ。
なぜ開き直る選択をしたのかを説明するには、少し脱線する必要がある。
脱線した話の向かう先では戦術、戦略の講義に変わるのだが、さて『一番怖い敵とは何か』と問われ人はどう考えるだろうか。
有力者、盗賊、権力者、赤熊や地竜。様々な怖い敵は存在するが、こと騎士団という存在の中において一定階級以上の者は『一番怖い敵』と戦わない為の講義を受ける。
その講義における一番怖い敵とは『追い詰められて逃げ場をなくした敵』である。
騎士団の想定は常に対人の戦争にその目を向けられており、敵対するのも軍勢などの単位で見る。そしてその中で最も怖いのは『追い詰められて逃げ場をなくした敵』。
そういった兵はただの兵ではなく『死兵』へと変わり文字通り死に物狂いで戦うようになるからだ。
だからこそ戦術などの講義の際には、罠に誘う時には敢えて逃げ道を一本だけ残し、そこに逃げ出した敵の背中を刺すことが最も有効であると教えられる。
窮鼠猫を噛むという言葉があるように追い詰められた者は鼠のような力しか有しておらずとも本当の死力を尽くして牙をむくのだ。そしてその牙の一撃が大逆転の楔とならないとも言えない。
小隊長という役職に就くマイラはもちろんこの講義を受けていた。だからこそマイラは開き直る事にしたのだ。
つまり無理に隠そうとしても、どうせ知られる可能性が高いのであれば、知られることを前提に動くべきだと。
そして逆に『自分を追い詰めたらどうなるか』を想像させればいい。
想像もつかない方法で秘密を暴かれようが、その秘密に対して手の出しようがない状態となっていれば何もできるはずがない。
だからこそ、バレることに臆して闇に潜むよりも、バレようが少しの時間も無駄にせずマコトと協力関係をより強固にするべく動き、揺るぎようの無い信頼関係を築く事に注力することにしたのだ。
親友とまではいかなくとも『この人を失うには惜しい』と思わせる友人になっていれば、それだけで大きなアドバンテージとなる。
そしてどうせなら周囲の人間たちについても、もし自身が窮地に陥った事を知った際にマコトに『助けた方がよい』と助言してくれる味方も多く作りたい。
幸いな事に大金貨30枚という大金が軍資金として手元にあるからこそ決意する。
「というわけで、今日から私も銀流亭に滞在するよ。もちろんフリーシア、テオ、アリサも一緒だ。」
「はぁ……」
交友を深めるには、とにかく同じ時間を共にする事。同じ釜の飯を食う事。顔を合わせる事。
一冬。約3か月。毎日のように顔を合わせ同じ飯を食って入れば情も沸く。
マイラの提案にマコトは戸惑ったが、テオはこの提案に二つ返事で乗った。
というのもテオ自身ミレーネの濃霧に包まれた事で無力を思い知らされたからだ。
実のところテオはマコトとの会話から成長のヒントを掴み強くなった気でいた。アリサも強くなっているしマイラにも引けを取ることはないと、いつの間にかどこか安心していたのだ。だが、その鼻っ柱を見事に折られてしまい強い危機感を抱いていた。
マイラの全面的な協力により彼女たちがエンカンブレンサーと呼ばれる騎士団の精鋭である事を理解し、彼女たちと対抗できる手段を手に入れなければ決して心から安心できはしないと悟り、そして今以上に強くなる必要があった。
そしてその為の最もよい教材がマコトである。
会話を通して得られる知識を研究し応用することだけでも魔法の幅は広がり自力の底上げにつながるからこそ、乗った方が良いと判断した。
そもそもの話として森の異変調査というマイラの依頼を受けなければ、こういう事態にはならなかったという考えも一瞬だけ頭を過るが、過去は悔やんでも変わりはしない事は痛いほどに理解している。
だからこそ守ると誓ったアリサの為にも、今という現状からよりよい未来に向けて努力をすることにしたのだ。
もちろんアリサもミレーネ達の索敵能力の差、そして索敵を混乱させる能力を目の当たりにし強くなりたいと思いを胸に秘めていた。
濃霧の索敵妨害により気配がわからなくなり、姉の安否すらつかめない状況は想像以上に胸に苦しいものだった。だからこそ不安を切り開く力を求めていたから提案に乗らないはずもない。
フリーシアは、マコトの側に居られればそれで良かった。
そして自分に興味を持ってほしかったし、マコトに喜んでもらう為の努力を惜しむはずもない。
こうして4人もマコトと同じく銀流亭を本拠地として、関係の強化、そして自力の強化に取り組む事になった。
一冬。
ただ無為に過ごすのであれば、それはゆったりとした心地よい時間だっただろう。
だけれども、何かを成そうと志す者達にとっては、とても短く忙しい時間となる――
--*--*--
宿を共にするようになって関係は大きく変化する。
親密になる。心安くなるという事は良いところも見えてくれば悪いところも見えてくるという事。
そしてマイラにとって恐ろしいのは……嘘がバレてマコトに幻滅される事だった。
だからこそマイラはマコトに現状を説明する事にした。
それは今後も見据えてのこと。
「聡明なマコト殿のことだ……ここ最近の私達の動きは怪しく見えたことだろう。」
「お……あ、はい。」
もちろんそんなことは微塵も思っていなかったマコトの返事。
だがそれに気づかないように続ける。
「うん。だからこそ流石に隠しておくのも心苦しくてね、この際きちんと説明しておこうと思ったんだ。」
「あ、有難うございます。」
「さてどこから説明しようかな……今更ではあるけれど、マコト殿はご自分の力が他人とは大きく違うモノであることは理解していると思う。」
「それは、まぁ、なんとなくですが。」
「うん。簡単に言えば桁が違う。マコト殿にとって地竜は単なる獲物でしかないけれど私達にとっては敵対すべき相手ではない。戦わざるをえない場合には国から大部隊を派遣する程の存在。つまり私達とマコト殿の力の差は大人と子供……いや、地竜と虫けらほどの差があると言ってもいい。」
「……」
「伝えたと思うけれど、テオ達と一緒に森に入ってもらったのは王都からこの国に影響力を持つ権力者がやってきていたから。
もし彼らに見つかってしまえば、マコト殿の自由が奪われてしまう可能性があったから念の為に離れてもらっていたというわけだが……実は彼らがやってくることになった理由は私なんだ……いやなに、フリーシアがこの街のある貴族に狙われていてね……マコト殿もフリーシアを悪くは思っていないようだったので、なんとかフリーシアが貴族に誘拐されたりだのを阻止する為に動いていたら、地竜の鱗の売買も絡んで、その動きを怪しまれて調査に来てしまったというわけだよ。
王都には感が鋭い人が多いから気を付けてはいたんだが……全て私の不徳の成すところ。本当に申し訳なかった。」
「い、いえ、お気遣い有難うございます。」
「いやいや、とんでもない! 不自由をかけて申し訳なかった。
なにせ私の命の恩人なんだ。誰かにいいように使われるような事になるのだけは避けたかったからね。
本当はもっと早く伝えておけばよかったんだが、マコト殿には可能な限り何も気にせずに街にいる時間を楽しんで欲しいと思っていたから説明に二の足を踏んでしまったんだ。」
「……」
「今、この話を伝えたことでマコト殿も察しているかとは思うけれど、その王都からやってきた人たちに少し勘づかれたような気がしていてね……またお願いをしてしまうようで申し訳ないけれど、これまで通り極力他人にマコト殿の持っている力が知られないように注意していただいても良いだろうか? あと怪しい人の動きなんかがあったら是非教えてほしい。」
「分かりました。」
――このマイラの説明には、隠された言葉が沢山ある。
王都から来たのが女たちである事や、自由を奪うといっても決して強制ではなく自然とそうなるように仕組まれるという事だが、そういった内容は意図的に隠されている。
その他にも「(私以外の)誰かにいいように使われるような事になるのだけは(自分の為に)避けたかったからね。」などなど色々な心も隠れているのだが、上っ面の言葉だけを聞いていれば『全ては君の為に苦労を買って頑張ってます』という言葉にも聞こえる。
もちろんマイラとてこんな直球の言葉を投げるつもりはなかったが、最初の探りの一言の反応で『あ、怪しんでないね。うん。こりゃはっきり言わないと伝わらないな』と判断したのだ。
そしてやはり表面の言葉だけをしっかりと受け取るマコトが『小隊長殿はいいお方でござるなぁ……』と信頼度を上げるのもまた当然の事。
こうして信頼がおけて気も回してくれる小隊長と、好きな女3人と共に過ごせるのは幸せな事。
だからこそ日々、座学を通して親交を深めたり、時には全員そろって森へ出向き自力を上げる訓練の手伝いを買って出た。
――異次元の力、異世界の知識、地竜の魔道具を通して4人はみるみる力をつけてゆく。
そして悪い意味でもマコトに慣れてしまうのだった。
「地竜の肉って……料理で美味しくなるでござるかな?」
「オーケーマコト殿。それ以上言うな。是非料理して食べようじゃないか。それが早い。」
驚く素振りもなく提案に乗るマイラ。
「干し肉の状態になってるならスープにするのが定番よね。」
「食べられる素材であれば結局料理する人の腕次第。まぁ下処理が悪かったらどうやっても悪いだろうけど。」
「マコト様の下処理に間違いがあるはずがありません! とはいえまずは肉の味の確認ということであれば、玉ねぎと芋を一緒に煮て塩で味付けするシンプルな形で様子を見るのがよさそうですね……アクが出た時の為に卵、あとは香辛料も少々あった方がよさそうですね……材料の手配はお任せください。」
『ちょっとまって! 地竜の肉を食べるの!?』などとツッコミを入れていそうなテオの姿はもうない。むしろどうやって食べるかの方に興味が向いている始末。
アリサも同様。フリーシアに至っては胃袋を掴む為に銀流亭の環境を活かして健気な努力を重ねている。
4人もまた少しずつマコトに引っ張られるようにズレていくのだった。
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冬も山場を迎えた頃。マコト達のいるアルスターの国。マイラの実家のあるトレンティーノ領が接する隣国ハイラント国で動きがあった。
「親父殿。どうやらアルスターの奴らに動きがありそうです。」
「ほう? なかなか血気盛んよのう。しかし……相変わらず、ようもこそこそと動くわ。」
「まだ噂程度ではありますが、春先が怪しいかと。」
「ふん。よかろう。準備は怠るな。」
「はっ。」
返事を受け取った男は、音もなく下がってゆく。
そして親父殿と呼ばれた男は誰もいなくなった部屋で立ち上がり、木造家屋の窓を開ける。
月明りが差し込み男の姿を照らし出すと、銀に輝くオオカミの顔が浮かび上がる。
その男の顔はオオカミそのものだった。オオカミのような顔にも関わらず二本の足で立ち簡単な服も身に纏っている。
羽織っただけのシャツの胸から銀の胸毛が覗き、身体もオオカミのそれであることが分かる。その身体は2mはありそうだ。
「ふん……ちょうど血が騒ぎだす頃。せいぜい楽しませてくれよ。」
好戦的な笑みを浮かべながら月を眺め、そして月に向かって吠えた。
その遠吠えは、自身の縄張りを犯す者を許さないと告げているようにも聞こえる。
冬の静けさの中、戦火の足音が小さく響き始めるのだった――




