7 混乱
「おい聞いたか?」
「何をだ?」
壁のベンチに腰かけている手ぬぐいを頭に巻いた男に、気安く声をかける男。
人を待っているであろう手ぬぐいを頭に巻いた男は嫌な顔をするでもなく、普通に声を返す。
親しくは無くとも顔見知りではあるようだ。
「何って昨日から噂になってるだろ?」
どかっと隣に腰をおろした男は、20代の半ば頃に見える。手ぬぐいを巻いた男も同年代だ。
双方引き締まった体をしているだろう事は服の上からでもよくわかった。
「あぁ……関係ないから気にしてなかったけど、こんな朝一から聞きまわる程重要な事だったのか?」
「俺だって眉唾かと思ったけどよ、ここに居れば本当か分かりそうだから来ただけだ。ちょっとした暇つぶしよ。」
「はっ、暇を持てるなんて結構な事だな。」
「バッカ。わかってて言うなよ。俺だって暇したくて暇になってるんじゃねぇよ。
流石に森に赤熊が混じり始めたと聞けば編成組直しになって当然だろう? うちのリーダーの指示待ちさ。お前だってそうだろう?」
手ぬぐいを頭に巻いた男は目を閉じて肩を上げ、少し口角も上げた顔を男に返す。
「あいにく。俺はこれから出るのに待ち合わせよ。」
「はっ、ご苦労なこって。どうせ大した獲物じゃねぇんだろ?」
「まぁな。それでも無いよりはマシさ。」
「違いない。」
軽く笑い合う男達。
「で? どうしてこのハンターギルドに居る事が、ちらほら聞こえてくる噂……なんだっけ?
貴族の屋敷勤めを鼻にかけた高慢ちき女が、この世のもことは思えない程のとんでもない男前を見たって噂だっけか? それが本当かどうか確かめる事に繋がるんだ?」
「ふん。聞きたけりゃ教えてやるよ。
その高慢ちき女だがな、まだ14にもなってない子供らしい。だが、あと数年もすれば世話係として活躍しただろうって位には見た目もいいって話だ。」
「はっ、好色な貴族様はいいねぇ。」
「あぁ、お貴族様は夜のお勤めに忙しいってな。女にしてもお情けにあずかれば安泰さ……まぁ嫉妬されてひでぇ目にあうって話もよく聞くけどな。」
「女ってのは陰湿でいけねぇなぁ。」
「ほんとにな。ぞっとする話もよく聞くぜ。」
男達は顔を見合わせ渋い顔をしあう。
表情を戻して男は続ける。
「だがよ、そんな安泰するかもしれない未来を描ける立場にいながら、その女は、あろうことかメイドを辞めちまったってさ。しかも辞めた理由が、その男前を探す為だっつー話。」
「はぁ? もったいねぇことするなぁ……楽に贅沢できるならそれ以上の事はねぇだろうに。つーか親が許さねぇだろ?」
「啖呵切って家にも戻ってねぇらしいぜ。」
「……ふっ、ふっふっ、はっはっは、バカだなソイツ。」
「あぁ、なかなか見所のあるバカだよな。ははっ!
で、そいつが辞める時に言ってた言葉が『あの方はとても上質な毛皮を纏ってらしたの! ハンターに違いないわ!』ってことを叫んでたっつー話だから、もしかしたらと思って様子を見に来たってわけよ。」
「男前のハンター?」
手ぬぐいを頭に巻いた男は首を捻って考える素振り。
「駄目だ……俺くらいしか思い当たらねぇな。」
「はっ! お前でいいなら俺だって男前だな。」
「いーや。お前は俺と違って品ってもんがねぇから無理だな。」
「品なんかでメシが食えるかよ。」
「食えねぇな。」
「だろ?」
男達が朝早く人の少ないハンターギルド内で談笑していると、突如乱暴にドアが開き注目が集まる。
ドアを開いた人間に目を向ければ、それは噂の貴族のメイドを辞めた少女の姿。
「赤熊の方はいずこーっ!!」
開口一番全力の咆哮にハンターギルドの朝の静けさはかき消され、少女は受付の男に対して食って掛かるようにその両肩を掴み揺すっている。
力任せに中年の男の肩を揺する少女の姿は、まるで狼が獲物の首に噛みついたかのようで、常軌を逸しているようにしか見えず、談笑していた男達も言葉が出てこなくなっていた。
「どこにいるのーー! 答えなさいっ!」
「い、ち、よ、ま」
『いや、ちょっと待て』とでも言いたかっただろう受付男の言葉、少女の態度はとても物を聞く態度ではないし、ハンターでもない少女に答えようもない。
騒ぎを聞きつけた別の受付の女に羽交い絞めにされ止められる少女。
「うぇほっ! ゲホっ! あー……嬢ちゃん。
赤熊の毛皮なんて着て狩りするヤツなんていねぇよ……少なくともこのギルドで13年働いてる俺は見たことねぇな……」
酷い目にあわされながらも求める答えを返した受け付けの男にある種の敬意が沸く。熟練者とは求められる物を返す。俺達もかくあるべきなのだろう。
「ちっ!」
礼も言わず大きな舌打ちをして羽交い絞めされた腕を乱暴に振りきり大人しくなる少女。
そしてその場で大きく息を吐いて考え込むように腕を組み親指を噛んだ。
また静寂が訪れた事で、手ぬぐいの男は肘で小さく隣の男をつつく。
「……本当だった……らしいな。」
「あぁ……やばいレベルで夢中にさせるくらいの男前……しかも赤熊を狩る強者と来た。」
「いるのかよそんなやつ……」
「アレをみる限り……いるんだろうよ……」
その時、少女がギっと談笑していた男を睨みつけた。
男達は咄嗟に強い眼力を受けたことで蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。
少女は勇み足でツカツカと近づいてくる。
男達はつい同時に固唾を飲む。
「貴方たち! 私をハンターにしなさい!」
少女の咆哮。
時が止まり、そして呆気にとられる男達。
「「……はぁ?」」
それ以外に言葉は出てこなかった。
男達の反応に少女は忌々しげに口を開く。
「あの方はきっと凄腕のハンターに違いないわ! だから私もハンターになってあの方を追いかけるのよ! さぁ、私に協力しなさい!」
あまりに理不尽な要求で、その要求に応える義理もないが、あまりに強い言葉と勢いに飲まれてしまう。
だが厳しい世界での順応が求められるハンターの男達は、すぐに正気を取り戻した。
手ぬぐいを頭に巻いた男は両手を前にだし、ひらひらと動かす。
「ま、まぁ嬢ちゃん。ちょっと落ち着きな。」
「そうそう。まずハンターは冷静さが求められるからな。」
手ぬぐいの男が動いた事で、もう一人の男もすぐに動く。
連携は集団での狩りを行うハンターにとって非常に重要なスキルだ。誰かがミスをしても誰かがカバーする。そうして生き残ってきたのだ。
「私は冷静よ! 今の私はなんでもできるわ! だから安心なさい!」
余りの力技に男達は目を閉じる。
その心中は『コイツはヤバイ』しかなかった。
「そうか。それは結構だな。だが嬢ちゃん。女のハンターは女に教わるもんだ。」
「そうだぞ。男のハンターと女のハンターは役割が違うんだ。」
少女は厳しい目を向けてきた。
だが少女が口を開く前に男が口を開く。
「それにだ。女のハンターの役割をこなせる方が、男のハンターは求めるだろう。なぁ、お前もそうだよな。」
「あ、あぁ。そうだ。やっぱり女のハンターが優秀だと、その分だけ楽に狩りが出来るからな。」
「……なるほど。」
いつの間にか肩を組んでいた男達。
少女は男達の言葉にまた腕を組んで親指を噛む。
その姿を見て、こっそりとその場を離れ逃げ出そうとする男達。
「じゃあ女のハンターを紹介しなさい!」
「「えぇ……」」
だが逃げられなかった。
「あ、そうだ! そういえば女のハンターで面倒見がいいヤツがいるぞ。『テオ』って女だ。アイツなら相談に乗ってくれるんじゃねぇか?」
「あぁテオな! あれは気も利くしいい女だ。」
「そう! じゃあその人紹介して!」
「いや、紹介しようにも……確か今テオは狩りに出てるんじゃなかったっけ?」
「あ、あぁ。確か騎士団の依頼とかなんかで結構前に出てたな。お偉いさん方に同行して森の奥に行ってたはずだ。」
「じゃあ帰ってくるのは、きっと1週間後くらいじゃないか?」
「まぁそんくらいかかるだろうな。前それくらいだったもんな。嬢ちゃんはテオが戻ってきたら相談するといい。」
「そう! じゃあ森の奥へ行くわよ!」
「「ちょっと待て! 聞いてたか話。」」
動き出した少女は男2人に両脇を抱えられ止められるのだった。
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一方その頃。マコトは貯蔵庫まで戻り一人泣いていた。
「うっ、グス……女の人怖い……怖いよう……」
そう。
マコトは同好の士であったりすれば饒舌に話す事が出来る。
だけれど、それ以外の普通の人間と話をする事は苦手なのだ。そして中でも女の人は怖くて怖くて仕方ない。
緊張のあまり混乱し、どう声をかけていいか分からなくなってしまうのだ。
折角、頑張って門の前まで行ったけれど、テンパりながらミッションを遂行しようと声をかけようとして見れば、苦手な女の人の姿。
苦手を堪えて頑張り声をかけてみれば、チラリと振り返った少女はとても綺麗な顔立ちをしていた。
相手が綺麗であればあるほど、さらに緊張感が増してしまう。
緊張のあまり自分が変な行動をとっているような気がしたので、とりあえず謝ってから今日は諦めて帰ろうと心が逃げに入った頃、再度こちらを向いた少女は冷たい目を向け、あまつさえ鼻で笑ってきた。
『えっ? えっ? えっ?』
と、頭の中は大混乱し、心が折れてどうしようもなくなった瞬間、少女が絶叫したので思わず逃げてきたのだ。
もう何が何だか分からず走り続け。気が付けば貯蔵庫の前まで帰ってきていた。
「怖いヨウ……」
ミッション
『街の入り口のにいる人に話しかけて、入場に必要な物を聞く』
失敗!