67 欲の力
ミレーネが企み――
マイラが企み――
マコトが一人個室で貧乏ゆすりのように足を震わせ続け、森に夜がやってきた。
姉妹で森の中を移動していたアリサは索敵でフリーシア達の気配を発見し口を開く。
「姉さん。見つけたわ。」
「どっち。」
アリサの指さした方向に索敵を集中すると確かに気配があった。
気配の雰囲気として野営キャンプを設営しているようだ。
「さて……こっちが見つけたという事は、あちらの索敵が得意な人も私達を見つけてるでしょうね。」
「上には上がいるものね……フリーシア程じゃないだろうけれど私以上の索敵能力を持っている人は居るでしょうね……正直、結構自信あったから、ちょっとヘコむわ。」
「ふふっ、それでも私よりは鋭いんだからヘコまないで。じゃあ行きましょうか。」
アリサは一つだけ頷き、そして二人で歩みを止めることなくフリーシア達へと近づいていく。
ゆっくりと歩き続け、フリーシア達をそろそろ目視でも確認できるかもしれないと思える距離まで近づいた時、異変に気が付く。
その異変は唐突に始まった。
「……霧?」
「わぁ……凄いわね。気配が有耶無耶になっていく感じがするわ。」
「これが魔法って事? 姉さんこんな魔法に心当たりある?」
「ん~、無いけれど、その内できるような気がするわ。原理を教えてくれそうな人に心当たりもあるからね。
さぁアリサ、この霧が魔法だとすれば、すぐに来る可能性があるから念のため離れて様子をみてて。」
「分かった。じゃあ姉さん、無茶しないで頑張って。」
「任せておいて。アリサも万が一、獣か何かが出てきたら無理しないのよ?」
「分かってる。でも今ならこの辺りの獣なら一人でも問題ないわ。」
「過信は禁物。」
「はい。」
アリサは一人、渋い顔をしながらも素直に返事をしてから地を蹴り、気配を察知できるギリギリまで距離を取り始めた。
そんなアリサを見送るとあっという間に霧に覆われて視界が奪われてゆく。
「ほんと凄い……」
作り出されたであろう霧に思わず感嘆の息を漏らす。
朝以外に発生する濃霧など人為的に作られる意外に考えられない。驚くべきはその濃霧を作り出す魔法の使い方だ。
マイラの話に聞いていた通り、ハンターとは違う『人と戦う為の騎士団の魔法の使い方』
暗闇と濃霧で今いる場所からの方向が掴めなくなってゆくような感覚を覚え、慣れた森にいるはずなのに恐怖を感じる程だった。
「こんばんは。」
突如後ろからの女の声。
目を向ければ霧の中ゆっくりとフードをかぶったローブ姿の女が近づいてきていた。
向こうから声をかけてきたことから攻撃の意思はないことは分かる。だけれども攻撃しようと思えばこちらが気づく前に攻撃できるという事実に、うすら寒い物を感じずにはいられない。
ひとまず何も知らないハンターのようなフリをしつつ訝しむような表情を作り出して口を開く。
「どちら様?」
「これは失礼。」
そういってフードを取る女。
大きな三つ編みに編んである赤毛が目に入り、内心で一息安堵の息を吐く。
なぜならマイラから要注意人物の髪の色は白だと前もって言われていたからだ。
「私は王都の騎士団に所属する者。
マイラ様の昔からの友人と言えばわかってもらえるかしら?」
単純にマイラという人物に心当たりのある人のみが分かるというカマかけの意味もあるけれど、そのカマかけの意味は薄い。
どちらかと言えば、こちらがマイラを知っていることを前提に開口一番、暗に『貴族です』と自ら宣言したのだ。つまり『逆らったらわかっているんだろうな』とあらかじめ釘を刺してきたということ。その行動に苦笑いの一つも出そうになる。
表情を変化させずに首を傾げて見せる。
「さて? マイラ様とはどちら様の事なのでしょう?
いかんせん私は、この森で獲物を狩るしか能のない、しがないハンターなもので……理解が及ばず申し訳ございません。」
とりあえずとぼけておくと、クスクスと口元を手で隠して笑い始めた。
「ふふふっ、そんなわざとらしく隠さなくてもいいんですよ。テオ。
あなたが騎士団と調査に行ったことは公式の記録に残っているというのに、ここで『知らぬ』ととぼける行為など、逆に『知らなくていい事を知っている』と言っているようなものですわよ。」
面白そうに笑いながら放たれる言葉の一つ一つが、まるで嫌らしい刃のような切れ味を感じる。
そんな言葉を浴びながら、うっすらとマイラが本気を出したらこういう感じなんだろうなと感じてしまい、浮かべていた笑顔も冷える。
「調査……あぁ、以前に騎士団の方々の案内させて頂きましたが、そういった方がおられたのですね。
生憎役職などでお呼びさせていただくことが多かったもので、お名前まで存じておりませんでした。」
「嘘に嘘を重ねると、どんどん苦しくなっていきますわよ?
それにマイラ様の事で嘘をつくよりも『私はテオではありません』という方向で嘘をついた方が幾分増しだったかと思いますわ。」
さらに仄暗さを感じる笑顔を強める女。
相手を丸飲みにしてやろうという意思さえ感じそうな独特な笑顔に、まともには相手をしたくない相手であると感じてしまう。
マイラから気を付けなくてはいけないと言われていたソフィアという人でなかったというのに、それでもこのレベルの人なのだと思うと本気で当人では無くて良かったと思ってしまう。
そんなこちらの思惑を気にも留めず女は続ける。
「……テオ。あなたの評判はとても良い……二つ名は確か『世話焼きテオ』だったかしら?
ハンター内での面倒見の良さだけでなく、ハンター以外の方面の案内などの際にも、しっかりと相手のことを理解するように心を砕く方だと他の方々からも評判が良いですね。そんな人がマイラ様の名前を知らないはずもない。
それにあなた達とフリーシア、そしてマイラ様が調査後に会っていたという情報もある……あなたがマイラ様との繋がりを否定すれば否定する程、それは裏がある事を肯定しているのと同義なの。」
ふと別の人の気配を感じ目を向けると、同じフードを被った人間が自分の後ろに控え挟まれていた。
『逃がす気はない』という意思表示意外には考えられない。
「貴方は随分と聡い方のようですね。テオ。
私が貴方にどんな言葉を求めているのか……貴方なら分かるでしょう?」
圧倒的に優位な状況を作り出してからの優しい口調。
明らかに懐柔の意図を感じる。
逆に考えれば脅すよりも懐柔した方が彼女たちにとっては都合がよいという事。
そうであれば、この後の展開は私が作り出せる可能性もある。
その可能性を思い女の言葉に悩むふりをしながら思考を巡らせる。
今、マイラが最も懸念していることは『マコトくんの存在が知られる事』その一点だけ。それ以外なら多少難があったとしても問題はない。
そしてマコトくんの存在を隠す為であれば多少の泥を啜る覚悟をマイラならしているはず。
思考が定まると同時に覚悟を決めて口を開く。
「貴女は……貴族としてどの程度の力を持っているの?」
笑顔を固定したまま女はゆっくりと口を開く。
「私個人としては、マイラ様と同程度かしらね。
ただマイラ様との大きな差は、国すら動かすことだってできる組織に居るという点。」
「そう……それじゃあ、貴方は私の商売相手として不足はないという事ね。」
女の笑顔に、どこか色が付いたような気がした。
「えぇテオ。安心してくれて良い。貴方に損をさせるような真似はしないわ。」
「そうであることを願うわ。それじゃあそろそろ貴方の名前くらいは教えてくれないかしら? 私は名前も知らない相手と商売なんてしたくないの。」
「あら、ごめんなさいね。私の名前は『ミレーネ・バーガラ・ミリガン』よ。
マイラ様の隣の領地を治める領主の娘。気にせずミレーネと呼んでくれてもいいわ。」
「そう。ミレーネ様
早速お願いなんだけれど、マイラ様も交渉のテーブルについてもらってもいいかしら?
貴方は嫌だろうけれど、この街にいる貴族でお得意様だった方の恨みを買いたくはないの。」
ミレーネは笑顔のまま一拍だけ間を置いた。
その時、ミレーネの視線に射抜かれるような気もちになったけれど表情を崩さず堪える。
まだ言葉を発しないミレーネに優位に立つ為の言葉を発する。
「も――」
「分かったわ。マイラ様にも同席頂きましょう。」
「……そう。」
『もし飲めないのなら、この話はなかったことで』と言おうとした瞬間に遮られ、そしてミレーネは姿を消した。
どうやら、マイラと顔を合わせることはできるようだ。
--*--*--
「おおおおおいっ!」
突然の変化。
まるでモヤがかかったように視界がぼやけ始めたのだ。
せっかく、もうサーモグラフィーモードでもいいか的に思い始めたところだったのに、なんという事か。
『丸見えですね。有難うございます』モードから通常に切り替えても視界がおかしい。こっちもモヤがかかったような状態に見えてしまっている。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!」
足は冷え切って冷たい。下手すれば痛いほどに冷えている。
それを我慢しながら、ようやくもうコレでいいかと腹を決めたにも関わらず突然の視界不良。
「………………行くか?」
ふと閃く実地検分。
自分の視界と能力を組み合わせれば、もしかするとよりリアルに色々見えるかもしれない。
それはすごく魅力的な思い付きだった。
その魅力に握った拳に力が入る。
もう欲望のままに動いてみてもいいのかもしれない。
そんな暴走を心待ちにする下半身の意思に飲み込まれそうになる。
だけれども冷静な心はまだ残っていた。
冷静な心は淡々と告げる。
『もしかして……今なら一生懸命頑張っても、フリーシアがこっちを見れないんじゃね?』
と。
その冷静な心のお告げに、神経も何もかもが冴えわたる。
正直、まだ下半身を満足させられていないのは、心のどこかで『フリーシアにこちらの動きを覗かれている』という後ろめたさがあったのは否めない。
フリーシアは距離が近ければ動きの逐一まで把握されてしまう為、彼女が間近にいる時に自家発電など二度とできはしない。
今は、これだけ距離が離れていれば細かい手の動きを読まれることは無いだろうと思いこもうとしていたのだ。だけれでもフリーシアに自家発電がバレる可能性はゼロじゃなかった。バレるかもしれないという思いがあった。
だが、今。
フリーシアはどこにいる。
なんとなく見えにくい状態になっている場所にいる。
こちらが見えにくいという事は、あちらからだって見えにくいはず。
「う……うぉぉおおおおおっ!」
アイキャンフライ。
今、自由の翼を得たのだ。
自由の翼で羽ばたけるのだ。
瞬時に心を切り替え情報を集める。
なぜならいつまでこの状態が続くかわからない。
早く。一刻も早く急がなければならない。
時間は20分かもしれないし、5分かもしれない。
早くいかなければならない。
『オカズはどこだ』
その一心で、瞬間的に大森林を心が駆け巡る。
『万里を見通す眼』は、フリーシア達のいる場所だけが見えにくくなっている事をすぐに把握し、その他の地域はまるで問題なく確認できることを理解した。
そしてすぐ近くにアリサがいることも確認できた。
だが、アリサはオカズにはできない。
もしオカズにしようものなら、もう彼女の目をまっすぐ見る事はできないだろう。
『オカズはどこだ』
その一心から、視界は瞬間的にモヤを中心に万里を駆ける。
そして見つけた。
少し離れたところに女人だけの集団がいることを。
そしてその内の3人は、なぜかサーモグラフィーでもくっきりと色々と形が分かったのだ。
しかも大中小と、サイズもバライティに富んでいる。
「Eurekaっ!!」
叫んだ。
古代ギリシア、アルキメデスが発見した時の喜びを言葉にした時に叫んだとされる感嘆詞を叫んだ。
アルキメデスは、風呂に入る時に自身の体積分の水位が上がることを発見し『正確に体積を計る方法を見つけた』喜びを言葉にして叫んだ。
そして喜びのあまり素っ裸で街へと飛び出したという。それほどに嬉しかったのだ。
『丸見えですね。有難うございます』という能力に嘘はなかった。
そのことがただただ嬉しかった。
「ぁありがとうございまぁすっ!! うぉおおおおおおっ!!」
今、冷え切っていた下半身に熱が灯り始めるのだった。
--*--*--
「はぁ……」
ミレーネと共にやってきたマイラが、こっちを見てため息をついた。
マイラの態度から『会いたくなかった』という雰囲気が出ている。
だが、それは芝居であることをマコトくんの能力でフリーシアの符丁を確認したことで理解している。
「ごめんなさいねマイラ様。
貴方だけと取引をする理由がなくなったの。」
マイラが口を開く前にこちらから口を開く。
マイラに任せておけばアドリブで誤魔化すこともできただろうけれど、マイラは変色した地竜の鱗の価値を知らない。
もしそれを相手に渡してもいいと考えているとしたら大きな間違いだからこそ、それを渡さない為に主導権を握る必要があったのだ。
「あぁもう……嫌な予感はしていたんだよ。まったく。
はぁ……ミレーネ様は嫌な方向に成長されてしまったようで、私は悲しい。」
「あらあらマイラ様。それはある意味で私達にとっては褒め言葉ですわよ。フフっ。」
マイラはこちらの意図を組んだのか様子を探りながらも話を合わせてくれている。
だからこそマイラが理解できるようにこちらの意図をできるだけわかりやすいように言葉を選ぶ。
「残念でしたね。マイラ様。
まぁ私としては地竜の鱗を買ってくれそうなお客様は多いに越したことは無いの。
それに買い取り額は貴方よりも期待できそうだし。ねぇミレーネ様。」
マイラも私が発した言葉だけで『ハンターが地竜の鱗を保管していて、それを秘密裏に買い取ることができる状態である』という設定を理解したようで、ゆっくりと頷いた。
ミレーネはこっちを見てニッコリと微笑む。
「えぇそうですわね。
良いお値段で買わせていただきますわ。なんせ地竜の鱗ですものね。」
ミレーネの微笑みを浮かべた言葉を聞いてからマイラに向き直る。
「恨まないでくださいねマイラ様。
私はあくまでも素材を売っているだけ。高く値を付けてくださった方に売るのは当然のことでしょう?
それにこちらの方はマイラ様が連れてきたみたいなものじゃないですか。」
「はぁ……恨みたいのは山々だけれど、そう言われてしまうと辛いね。
私だってこうしたくてこうなっているわけじゃないんだよ。」
「でも事実はマイラ様が連れてきたんですから、私に責はないはずでしょう。」
マイラは私の言葉に大きく首を振る。
「ねぇ、ミレーネ様。貴方は自身で払うつもりはないのでしょう? だとしたら競りになったとしても私の勝ち目はないじゃないですか。」
「あら? これまで独占されておられたのであればもう十分なのでは?
その点について言及しないのは旧友のよしみだと思ってくださいまし。」
「はぁ……感謝したらよいのか恨んだらよいのか……ねぇテオ。一つだけ助言してもいいかな。」
「助言はいつでも有難いです。」
「彼女には売れる物は全部売った方がいいよ。
会ったのは久しぶりだったけど彼女に隠し事をしても、きっとバレるからね。」
「あら、有難うございますマイラ様。そうしてもらえると私も手間が省けますからね。」
「それほどの方なのですね……ミレーネ様という方は。」
「あぁ……それほどの方なんだよ。」
マイラの言った『売れる物は全部売った方がいい』という言葉を考える。これはある程度の量を整えた方が納得するという事。
マコトくんの地竜の素材貯蔵庫で見た光景を思い返し、そしてミレーネに向き直る。
「ではミレーネ様。
地竜の鱗を8枚……そして地竜の爪のかけらを1つ。
以上の品々にいかほどの値を付けて頂けますか?」
「……それは本当ですの?」
ミレーネの笑顔が曇った。
「ねぇテオ『私は隠し事はするな』と言ったんだよ。
君は私のことを気遣ったんだろうけれど、それは逆に迷惑になるってことさ。私のことは気を使わなくていい。」
マイラの言葉に肩を竦めてみせる。
「あら、そうでしたか……気を回しすぎるのもよくありませんね。私のクセなんです。」
一つ咳をしてミレーネに向き直る。
「地竜の鱗を11枚……そして地竜の爪のかけらが2つ。
各品マイラ様以上の値を付けてくださることを期待しております。ミレーネ様。」
「……分かりました。
回答までに少しだけ時間を頂いても良いですか?」
「大金ですものね。もちろん問題ございません。」
ニコリとほほ笑みを返す。
この後、間もなくミレーネは小隊の半数を連れて森へと姿を消した。
残された数人の監視であればマイラとフリーシアとも話をする余裕を持つことが出来、情報の共有を始めるのだった。
--*--*--
「ふぅ……」
心は大海原のように凪いでいる。
平穏。
心の安寧を得た気持ちと、少しの虚しさに心が痛む。
「さむっ……」
そして何より寒かった。
身体が芯から冷えていた。
全神経を傾けていた『丸見えですね。有難うございます』の能力を解いて、部屋を暖める為に魔力を使い始めて暖を取るのだった。
--*--*--
「ねぇロレーナ、ビクトリア。気づいてた?」
「もちろんです。」
「まるで絡みつく視線のようでしたわ。」
「ハンターの娘たちに反応がない事から、獣ではないという事は分かる。術者は追えた?」
「無理でした。申し訳ございません。」
「私もです。面目ございません。」
「私もわからなかったから問題ないわ……でも引き際のようね。
随分面白い何かがいるのね。この森。」
ソフィアは薄く笑うのだった。




