60 ソフィア
マイラが訓練場で神に祈りを捧げ、マコトが森に入り行動を共にしているテオとアリサの二人が今どんなパンツを履いているのかを妄想している時から、少し時を遡る。
遡った時は、5日前、マイラ、テオ、アリサ、フリーシアが魚鱗亭で会議を開き、テオがマコトの故郷に思いを馳せた頃から少し経ち、自棄気味だったマイラが落ち着きを取り戻していた頃に辿りつく。
マイラは一息だけ小さく、ふうと口から吐き出して落ち着いた口調で声を発する。
「とりあえず皆には私が、どうして王都からやってくる人をこれほどに警戒しているのか……その理由を伝えておきたい。じゃないと、なぜこれほどまでに私が思い悩んでいるかも理解できないだろうからね。」
声に全員が目を向け、そして耳を傾ける。
その気配を察知しマイラは説明を始めた。
「まず私が警戒している人とは『ソフィア・サルバドール・クレイトン』というお方。
少し言ったと思うけれど、このカーディアの街で水運ギルドを統括するヴィニス氏にフリーシアから手を引かせることができる程の権力の持ち主だ。
具体的には彼女自身が侯爵を伴侶に持っていた事や、彼女の娘の旦那様が、このアルスター国の公爵であることも大きい。」
マイラ以外が聞き慣れない身分に要領を得ない目をするが、気にせず続ける。
「要は、彼女自身が貴族の中でも元々上位であり相当な地位を保持している。
さらに彼女の娘に至っては権力者を思い浮かべて上から数えてすぐに思い当たるレベルの身分を持っている、さらにさらに言うなれば彼女自身熟練した魔法の使い手であることから、現皇女様の魔法鍛錬の教鞭をとったのも彼女。
つまり王族との付き合いも深いという事であり、貴族の中でも絶対に敵に回したくはないお方ということだね。」
「ちょっと待ってください……素朴な疑問なんですが、なぜそんな身分の高いお方が騎士団に所属を?」
フリーシアが疑問を口にする。
フリーシアのこの疑問は、元々貴族の愛人として腰を落ち着けようとしていた事から貴族の世界の事をメイド勤めをしながら学んでいたからこその疑問だった。
「うん。その疑問はもっともだよね。」
マイラは皆の顔を見回し、まずどの程度のレベルで話をするかを検討する。
そして少し口を開いているアリサの顔を見て、彼女がまったく興味をもっておらず、制度の理解もしていないであろう事を悟り、小さく咳をしてから、きちんとアリサに理解できるように補足しながら説明をする事を決めた。
「しかしそう疑問に思うということは、騎士団と貴族は相反する面がある事をよく知っているという事だね。フリーシアはよく勉強している。
念の為に説明すると、そもそも私達貴族という存在は国から与えられた領土と、その民をまとめ、その土地を発展させる為にいる。運営に必要な金子は税として民から徴収し、収益を上げて国へと納めている。
そして国はその収益を基に国全体を発展させる為の舵取りを行う仕組みだね。」
チラリと目を右から左へと動かせると、テオとフリーシアは自身の認識や解釈に間違いないかを確認しており、アリサは少し興味を持ったように聞き始めているのが分かった。
「国が発展しなければ隣国なんかから攻められた際に降伏する以外に手は無くなってしまう。だからこそ国の発展を司る貴族は重要な役目を担っている事になる。
私のトレンティーノ家のように隣国と接している領土等の場合は、いざという時に真っ先に戦闘になり易いからこそ自衛の為に対抗する手立てが必要になり、常に戦いに備えた自衛団を有している。
ただ自分で振るえる力を有しているというのは困った物で、持っているだけで他国のみならず自国内においても影響力を有してしまうことでもある。自国内の他領土も自領の優位を得ようと自衛団を設けざるを得ない。しかしそれは貴族間の武力抗争に発展しかねない恐れにもなる。」
指を一本立て暗い雰囲気から転調する。
「そこで登場するのが騎士団という存在。貴族が持つ戦力ではなく国のお抱えの戦力。それが騎士団。
もちろん戦争になれば騎士団も国の為に力を振るうけれど、その他に領主が暴走して圧政を強いたりした場合、民の訴えを聞いた国王が派遣し貴族粛清の旗印となるのも騎士団という事。
まぁ実際のところは各貴族の持つ自衛団からも戦力を派遣してもらう事になるんだけれどね。
ただ、騎士団はその存在意義からどの自衛団よりも強くなければならない。」
フリーシアは疑問が間違っていなかったと確認し再度疑問を口にする。
「はい。だからこそ不思議なんです。
それほどの有力者であれば自領を害する可能性のある騎士団ではなく自衛団に力を貸すのではないかと。」
「ふふっ、その理由は簡単だよ。
彼女は貴族というよりも既に王族に近い立ち位置に立っているということさ。
正確には貴族達の取り纏めをする側の貴族と言った方がいいかな? 自領というよりも王都自体が王族と彼女たちの領土と言えるわけ。」
黙していたテオが肩を竦めながら口を開く。
「それほどの権力を持っているお貴族様から、たかがメイドの件で口を出されるのであれば、口を出されるカーディアの貴族は震えあがるしかないわね……でも逆に疑問を持つんじゃない? 『あのメイドにどんな価値が?』って……
それにそれほど名のある貴族が本当にマイラの要請で動いてくれるの?」
「動くよ。
私の為に動くんじゃなく私が渡す報酬『地竜の鱗』の為にね。
マコト殿のせいで忘れそうになるけれど本当に貴重な素材なんだよ。『地竜の鱗』は。」
アリサは肌身離さずポケットにしまっている地竜の鱗に手を触れる。
「もちろんカーディアの貴族も疑問を当然持つだろうけれど、ただの好奇心を満たす為だけに行動を起こすには相手が悪すぎるから疑問は飲み込むよ。
『ソフィア・サルバドール・クレイトン』というお方は様々な噂があるお方でね……どこまで話すべきか迷うけれど、まずは重要な事から話しておこう。
彼女は騎士団の特別な部隊の副隊長を務めているんだけれど、敢えて副隊長の地位にいると言われているよ。なんせ副隊長としてもう約40年ほど在籍しているんだから。」
「40年……生まれた時から騎士団に?」
「いいや子供を生んでから騎士団に所属したのが20歳の頃と聞くよ。」
「60歳ってこと? ……それじゃあお――」
「おっと! 気をつけて! ……それ以上は言っちゃダメだ。
確かに孫もいるお方ではあるけれども、その言葉を彼女以外が口にしてはいけないんだよ。その言葉を迂闊に口にしたが為に姿を消した者も多いと聞く。」
マイラの真剣な言葉に、言葉を発していたテオは途中まで出ていた言葉を飲み込んで胸にしまう。
「それにね、実際の彼女を見たら驚くよ。
見た目は私よりも少し上くらいにしか見えないんだよ。年齢を感じさせるのは髪の毛の色くらいしかない。」
「えぇっ!? 嘘でしょう?」
「疑問に思うのも当然だけれど、これは彼女の趣味としている事が大きく影響しているらしいんだ。『魔道具の研究』という趣味がね。」
「魔道具?」
久しぶりに口を開いたアリサに向き直るマイラ。
「うん。魔道具。
矢の魔法の威力を高める為の触媒なんかがいい例だね。テオも使っていたでしょう? アレも魔道具の一種。
アリサもテオも自分達の狩った獣の素材から道具が作られている事は気づいていたんじゃない?」
「ええ。矢の触媒には骨が加工されて利用されているのは皆知っているわよ。もちろんどうやって作るのかまでは知らないけれど。」
「その『どうやって作るのか』を考える研究をしているのが『ソフィア・サルバドール・クレイトン』というお方さ。
趣味なのに自身の実益も騎士団の実益も兼ねているから騎士団も国もどっちも公認の研究になっている。
そして獣の骨が触媒として加工される事からもわかるように、魔道具の素材としてハンターたちの持ってくる獣の素材は有用なんだ。
そもそもハンターの素材報酬の価値を決める基になっているのは魔道具の利用価値と言ってもいい。
だからこそ高額報酬素材である『地竜の鱗』が手に入るのであれば、彼女はこの話に喜んで乗る。なんせ彼女から見れば一言告げれば済む簡単な話だからね。」
「すごいのね……『地竜の鱗』って。」
アリサの言葉に、マイラが目を閉じて首を振る。
「ああ、凄いんだよ。凄すぎて本人が興味を持って対価となるフリーシアを見に来るかもしれないくらいには凄いね。」
「高額報酬素材なら赤熊の毛皮もあったでしょう? そっちの方じゃ駄目なの?」
「赤熊の毛皮はどちらかといえば権威付けの装飾的な意味合いが強くて魔道具の研究価値は低いんだよ。
高額報酬には魔道具の利用の外にも、美的価値だったり、権威付けだったり、様々な要因があるからね。赤熊の毛皮じゃあ彼女は出てこない。
それに彼女クラスになれば必要になれば自分で手に入れることだってできるから、今の私の手持ちで彼女が間違いなく乗ってくるだろう素材は『地竜の鱗』しかないんだよ。
それにカーディアの騎士団の記録を漁れば、私が地竜の件を報告しているから、私が地竜の鱗を隠し持っていたとしても不思議じゃないからね。」
「……フリーシアで彼女は納得すると思う?」
「『魔法の訓練をして一日で素養を掴んだ』という将来性と言えば納得はできる線ではあると思う。
ただ、彼女相手だと少し厳しいと言わざるを得ない面もあるから、フリーシアにはもう少しだけ魔法を使えるようになってもらえると有難い。
あと、使えるように手ほどきをしたテオにも彼女の手の者が接触を図ると思うから気を付けて。」
「え? 私?」
「うん。彼女は優秀な人間は大好きだからね。彼女に近い人間が秘密裏に行動してスカウトもあると思う。
私の見立てではテオなら王都でも活躍できるだろうね……でも私個人としたら、どんなに魅力的なスカウトでも彼女自身が動き始めるまでは話に乗らない方を勧めるよ。彼女の周りは面倒も多いから。」
「ご忠告をありがたく受け入れておくわ。
もちろん私から情報が洩れるのが嫌だからだろうけれどね。」
「否定はしないよ。
ただ本当に貴族がらみの派閥争いなんかに巻き込まれるから、もしスカウトを受けるとしても彼女の直接の庇護の下の方がいい。
彼女は平民に対する理解も深いからね。今の騎士団の腕に覚えがあれば平民でも受け入れるという仕組みも30年以上前の彼女の発案が基になっているらしいから。
後アリサも同様だけど、アリサはテオ程隠し事が上手にはできないから、彼女達が帰った後もしばらくの間できるだけ街から離れていることを勧めるよ。アリサの場合は使えることがバレたら必ず連れていかれるだろうから。」
アリサは一つ頷いて口を開く。
「とりあえず予定を入れておくことにしよっと。」
「私もアリサと一緒に街を離れたいところだけど、そういうワケにもいかないからの話なんでしょうね。」
テオがため息を漏らしマイラが苦笑いをする。
「察しが良くて助かるよ。
テオには彼女の手の者のスカウトを断って全員を綺麗にカーディアの街から帰してほしい。」
「なんだか周りの人も面倒臭そうですね」
「そうだねフリーシア。彼女は自分の隊を率いてくると思うんだけど、彼女の隊は騎士団でも異質でね全員が全員厄介な性質を持っているんだ……一つだけ言えることは、全員『目的の為なら手段を選ばない』タイプの人間だという事。
その筆頭が『ソフィア・サルバドール・クレイトン』というお方。」
力を入れたマイラの言葉に一瞬だけ空気が張り詰める。
だが、すぐにマイラは力を抜いて、テーブルに肘をつく。
「とにかく、私達の目的は『ヴィニス氏に穏便にフリーシアから手を引いてもらう』事だ。
彼女たちにマコト殿に関わるような目的さえ持たせなければ、なんの問題も起こらない。
彼女は地竜の鱗を手に入れてホクホクした顔で王都に一直線に帰り、そして実験を楽しむだろう。」
「なんだか、その貴族の人が来ない方がいいんじゃない? って思っちゃったんだけど。」
「だとしたら、どう解決する?
例えばフリーシアが誘拐されて私が奪還に行ったとなれば、貴族間の諍いになりどちらにしろ彼女の耳に入る事になる。
もし私がやらずに、テオ達やマコト殿が扇動したら、より情報は漏れやすくなるだろうね。
私個人としたら、最も良い解決策は、フリーシアがヴィニス氏を納得させてから私の所に来るというのが理想ではあるけれど。」
マイラの視線に、フリーシアはそっぽ向く。
「そんなのはお断りです。元主人である旦那様には悪いですが、マコト様以外の方に触れられるくらいなら私はマコト様のご慈悲に縋ってでもして逃げ出して見せましょう。」
「と、本人はこの調子だ。
金での解決もダメ、私からの説得は聞く耳なし、当人であるフリーシアも嫌な事を言う。
私には、どの選択もリスクでしかないし、もし放置してフリーシアが誘拐でもされて、万が一マコト殿が出張る事になれば目も当てられない。
だが、彼女に仲裁を頼むことに成功すればカーディアの貴族が私に余計なちょっかいを出してこないように釘を刺す意味にもなる。それにもしかすると彼女の使者が様子を見に来るだけで終わる可能性だってあるんだ。」
「最高の場合は使者と話してそれで終わり、最低の場合は王都から騎士団の団体がやってきて調査していくって事ね……」
「そう。そして、その最低の場合になる可能性は高いとみているからこそ、せめて彼女がいる間はマコト殿や君たちには念のために隠れていてほしい。
なに多少の時間はかかっても、うまくやってみせるさ――」
――時はマイラが祈り、マコトがパンツの妄想をノーマルパンツで確定させニッコリほほ笑んだ、その日の夜まで進む。
その夜、カーディアの街に夜の闇に紛れるような装いの3人組が音もなく入り込むのだった。




