47 動揺
「……何がどしたっていうの?
アリサ……何か聞いている?」
「いいえ……ただ、何か気になるとか、気のせいとかとは言っていたけれど……」
すぐさま念入りに獣の気配を探り始めるテオとアリサ。
しばらくして二人は目を合わせ、小さく首を振る。
「だめ……特になにか気になるような気配は掴めない。それどころかマコトくんがどこに行ったかすらも分からないわ。」
「私も同じよテオ。」
「マコト様は……ここから約2キロくらい先の所にいらっしゃるのを感じます。今は……身を…潜めている?」
自分の回答に少し自信が無いのか首を傾げながら言葉を放ったフリーシアに呆れたような表情を返すテオとアリサ。
そしてテオが小さく笑みを浮かべながら口を開く。
「フリーシア……あなたマコトくんの事となると、超人並みの能力を発揮するのね。
普通そこまで分からないわよ……それに貴方まだ魔力もうまく使えていないでしょうに……」
「私がマコト様の事を思わない日はありませんから。」
アリサが気づいたように口を開く。
「……もしかして、街の中でもずっと彼を捉え続けていた……とか?」
ニコリと微笑み返すフリーシア。
「私がマコト様の事を思わない日はありませんから。」
同じ言葉を繰り返すフリーシアに、アリサは少しだけ背筋を寒くした。
「ん~……とりあえず、マコトくんはその『気になる事』をなんとかしに行ったと見るのが良さそうね。そして私達はそれを手伝う事も追いかける事も出来そうにない。」
「そうね。私が全力を出してもとてもじゃないけれど追いつけないわ。」
「流石マコト様です。」
「となればマコトくんが用事を終わらせて戻ってくるのを待つしかないということね。」
「……彼が何をしにいったのか分からないけれど、ここには特に危なそうな獣の気配もないし、そもそも今日はもうベースキャンプを作る予定だった。
なにより彼自身『少し離れる』と言っていたから戻ってくるのは間違いない。これらの事からも、ここで待つのが一番ね。」
「よし、じゃあフリーシア。
折角マコトくんが離れているんだから彼がいると貴方が聞き難い事を話しておきましょう。
トイレの事とか。」
「あ、はい。」
マコトみたいな返事をしたフリーシアに小さく笑うテオだった。
--*--*--
「んんんく…う…ぅっ! ううう……!」
悲しかった。
ただ悲しかった。
そして情けなかった。
その情けなさが涙に変わっていた。
「ふ…っう……うぅふ…う…ぅう…」
解放感。
長く苦しめられた苦痛から解き放たれ自由を得た。
それ自身はとても、とても気持ちの良い物だった。
解放感を得て、いつものように水魔法と火魔法で温水の水球を作り出して尻を綺麗にし、風魔法と火魔法の温風で乾かしてパンツとズボンを履いた。
そして自分を苦しめていた元凶がどのような物かを確認し、ショックを受けずにはいられなかった。
「うぅさ……ぎっ! の…ぉっ!」
ウサギの糞が如く、ほんの小さな固まりでしかなかったのだ。
こんな小さな固まりの為に、あれほど苦しみ、我慢し、思い悩んでいた。
あれ程の苦しみ。さぞ満足がいく結果を得られるはずだと思っていたのに、その結果たるや小動物のソレ。
その事実が情けなく、そして悲しかった。
「拙者はぁ……こんなものの為に、あれほど……あれほど……」
自分自身に失望してしまっていた。
自分が小さなウンコ一つで慌てふためき動揺するしょうもない男であると、自分自身で証明してしまったのだ。
それが悲しかった。
「ふ……ふふ、へへっ……小さい男でござるなぁ……」
涙はやがて呆れ笑いへと変わっていた。
がっくりと頭を垂れ、とぼとぼと来た道を帰りはじめるのだった。
--*--*--
野生動物達の勘は鋭い。
焦りから気配を一切隠すことのなかったマコトの全力ダッシュは、その周辺の野生動物達に『とんでもない捕食者がいる』という認識と大きな影響を与えていた。
そしてその認識は森に波紋のように伝染してゆく。
まるでそこに地竜がいるかのように錯覚した鳥たちがギャアギャアと警戒の声色を叫びながら飛び立ちはじめ、その声を聴いた小動物達も同様に動く。小動物達が動けば、中型も動きだす。
恐慌状態となった小動物や中型の動物は、人里に近づく方が捕食者達の牙が届きにくい事を本能的に知っており、その動きは奥地から人里との境に向けての動きとなってゆく。
そしてその動きは人間の勘の良い者でも察知できる程に大きなうねりとなっていた。
「テオ、なんだか様子がおかしいわ。」
「……本当ね。マコトくんが気になるって言ってた事が関係しているのかしら……」
「マコト様は……少しずつこちらに動いています。」
厳しい目をして口元を手で押さえながら、テオは一拍思案して口を開く。
「アリサ。マコトくんの作った小屋の強度を調べて。」
すぐに剣を抜き土魔法で作り出した家に向けて突きを放つアリサ。
剣の切っ先を受けて少しだけ削れる壁。
「かなり丈夫よ。金属鎧よりは固い。」
「フリーシアがいる以上、木の上への避難は怪しい。今は小屋に避難しましょう。アリサは警戒を続けて。」
「わかった。」
「フリーシア。マコトくんの小屋の中に入るわよ。」
「はい。」
フリーシアが真剣な空気を理解できないはずもなく素直に言葉に従い、すぐに家へと身を隠す。
アリサも剣を抜いたまま小屋に入り、気配を探り続けている。
一人思案を巡らせながらテオは、フリーシアが少しだけ動揺していることに気づいた。
初めて本格的に森に入り事態が急転したのだから、焦ったり動揺したりして当然だろう。
安心させるべく声をかける。
「多分……マコトくんが何かしている事が影響しているだけだと思うから、本当ならここまで警戒しなくてもいいかもしれない。
でも森では慎重に慎重を重ねて行動しても損はしないのよ。何もなかったとしても心配性なくらいがちょうどいいわ。」
テオの言葉にコクリと一つ頷くフリーシア。
テオもアリサも初めて森に入った時の心細さに心当たりがあり、自身の当時の心境を思い出し、少し微笑むのだった。
「なにはともあれ、マコトくんが戻ってきたら、何があったのか聞かないとね……」
--*--*--
戻る足を進めながら気づく。
突然ダッシュで離れてまでして『何をしていたか』を聞かれるという事に。
正直小さな男であるという事を認めてしまっている心境ゆえに『もう正直に話してしまえ。どうせお前など元々期待もされていない』という気持ちが生まれつつあった。
このまま帰れば「すみませんウンコしてました」と言ってしまいかねない。
なにせ所詮は小さい男。ハーレムチャンスだなどと考えていた事自体が烏滸がましいのだ。
自分のような小さい男は、ちょっとだけ着替えを覗けるかもしれない、という程度のチャンスが相応しい。
……だけれども本能は違っていた。
『男』という性別の持つ本能。つまりオッパイチャンスを求める本能は死んではいなかったのだ。
本能は囁く。
どれだけ小さな男であっても取り繕ってさえいれば、一揉みできるくらいのチャンスは巡ってくるかもしれない。なにせ奇跡に器の大きさは関係ないのだから。
本能の声にしたがって、一度顔を覆う布を外して目と鼻を拭う。そしてギュっと締め直す。
「……言い訳を……言い訳を考えるでござる。」
奇跡を諦めない為に、目を閉じ全力でセンサーを働かせる。
この世界に来て、ここまで真剣にセンサーを働かせた事は無かった。
自分を中心として、波紋が広がるように森の動植物を次々と感知してゆく。
まさに『万里を見通す眼』とでもいうべき技の覚醒。だが、本人はそんな事を知る由もない。
今はただ、ただひたすらに奇跡を諦めたくなかった。
中型の獣や熊も次々に捉える。
だが、それらの獣は言い訳として多少の納得はできても、心からの納得はできそうになかった。
例えば「熊が居たんで狩ってきました」なんて言っても「わざわざ狩りにゆく必要あった?」という返答が来たら「念の為」としか返せない。この返答では『過保護』だの『自分達の力を信用されてない』など、こっちの思惑にない誤解をされてしまうかもしれない。
もっと、もっと言い訳として筋が通りそうな事が無いか『万里を見通す眼』をさらに働かせる。
――そして見つけた。
森の奥地までは行かない程の場所で6人の人間が肉食虫と戦っているのを見つけたのだ。
「人助け! これは立派な言い訳……もとい! 場を離れる理由になるでござる! うぉおおおおっ!」
またも全力で駆け出すのだった。




