42 マイラの目的
私は自分の詰めが相当に甘かった事を思い知らされていた。
気づくチャンスはあったのだ。彼が銀流亭で文字を読み上げた時がそうだ。
あの時、彼自身が戸惑っていたような気もしたから当たり障りの無いように流したが、あそこはより知識についての話を掘り下げておくべきだった。
貴族区画にほど近い貴族御用達の『魚鱗亭』の一室、人払いをした一室のテーブルには4つのお茶が並んでいる。
テーブルを挟んで私の真正面に座るテオは真剣な目をしながら口を開く。
「彼は私に色々な事を教えてくれたわ。
人体の仕組みから空気中に漂う物質まで多種多様な知識まで。その知識はどうやって得たのか分からない。
何故私達が息をする必要があるのかを彼は事細かに説明できたのよ? 貴方は説明できる?」
「いいや無理だね。
そもそも息をするという行動について疑問に思った事すらない。」
「そう。私も『そういうものだから』と納得していた。でもそういう物についても『何故そうなのか』を知っているのよ。彼。
それも確信に近い自信を持ってね。」
彼女の言葉に肩をすくめることしかできない。
肩をすくめながらもとりあえず口を開く。
「王都あたりだと、ちょっと彼が話をしただけでも目をつけられる恐れはあるね。ここが王都じゃなかった事が救いだよ。
ただ……彼が真実を口にしているとは限らない。彼自身が盲信しているだけという可能性もある。」
「えぇ。確認のしようがない事も多いですもの。当然ね。
ただ魔力については確認出来てしまうのよ。見てて。」
テオの前に置かれていたお茶からのぼっていた湯気が消える。
「このお茶に触れてみて。」
すっとお茶を私の方へと動かすテオ。
言われた通りにカップに触れてみる。カップに触れた違和感から、指を茶につけてみる。
「……冷たい。」
「私が得意なのは『火』の魔法よ。知っているでしょう? でもこれは温かくなったわけじゃなく逆に冷めた。
私が得意なのは火だから熱くこそなれ冷えるのは違うはずでしょう? でも事実として冷えている。
コレは彼と話をしていたことの一端を私が理解してできるようになったの。
……重要なのは私は『彼と話をしただけ』ということ。わかる?」
私は大きくため息をつきながら口を開く。
「……十分に。」
それ以外の答えようが無かった。
彼は少し話しただけで、火の魔法使いに氷の魔法使いの才能を目覚めさせたのだ。二つの才に恵まれる事は稀で、その功績は計り知れない。
もしかすると騎士団に秘匿されている訓練方法についても彼と話をするだけで、更なる発展をみせる可能性すらあるかもしれない。
そうなればますます国が彼に目をつける事になるのは間違いないだろう。
背もたれに身体を預けながら真正面のテオを見る。
「『彼』という存在の認識を改める必要があるね……まったくちょっと目を離しただけでもこんな発見をされてしまうんだもの。参るよ。心の底から。」
独り言を呟いてから気を引き締めて視線を前へと向ける。
「テオ殿の言うように彼が街に馴染むのは問題が起きるのは間違いない。だから彼が不平不満を抱かない範囲で他人との接触を避けるようにしなくちゃならない。一人で食事に行ったりしないようにとかね。
その為には彼という存在を理解している私達はよりしっかりと協力した方がいいという事になるわけだ。」
「そうね。私達が裏表なく、しっかりと協力しなくちゃきっとうまくいかないわ。
だからこそマイラ。貴方に問わなくちゃいけない。貴方の本心を。」
真剣な顔を向けてくるテオに対して、首を傾げて見せる。
「私の本心は前にも言った通り。『彼の友人として信頼関係を築く事』これだけだよ。」
「そうね。今の目的はそれで嘘偽りないでしょうね。
でも私が問うたのは本心よ。貴方はその先に一体何を見ているの?
私の目的は前と変わりなく『私達の安全』。貴方の本心が聞けず危険を考慮し続けなければならないのであれば、私は必死でマコトくんを取り込むわよ。その覚悟はもうできている。」
口ぶりから察するに望む答えが得られなければ行動に移すと言っているような物だ。
彼女がそう言うからには、そうできるであろうという自信もあるのだろう。
それは私にとっては厄介な事この上ない。
あまりに面倒な状況に溜め息が漏れる。
「ちょっと!? 取りこむとかマコト様に何をする気なの!?」
「安心なさいフリーシア。マコト君にはマイラよりも私の味方になってもらうってことよ。
あなたはマコトくんに愛されたいんでしょう? それを邪魔しない。むしろ手助けしてあげるわ。」
「ならいいんです。」
席を立ったかと思えばすぐに着席したフリーシア。
フリーシアの扱い方も十分に理解しているようだ。
テオの視線の向かう先は一切変わっていない。
「やれやれ……ちなみにテオ殿は、私についてはどれくらい調べたのかな?」
「マイラ・ナバロ・トレンティーノ様。
隣国ハイラント国と接する領地を与えられているトレンティーノ家の三女。
王都の貴族との縁談を騎士団入隊を理由に断った。
騎士団入隊後、訓練終了と同時にカーディアの街に配属されている。」
思わず拍手をしていた。
心からの驚きだった。
「へぇ~凄いね。まさかそこまで調べられると思ってなかったよ。意外と調べられるもんだね。」
「カーディアは王都も近いから王都の情報を持った人間も流れてくるのよ。それに貴方の隊員達だって街に出る。庶民だって小さくても色々と情報は持っているわ。」
「では、もうある程度私の動く理由には察しがついているのでは?」
「推測では確信が持てないもの。」
「それもそうだ。」
笑顔を作り口を開く。
「今テオ殿の言ったとおり、私の家の領地は隣国と接している。そしてその立地から隣国との些細な折衝もよく行わされる事が多い。つまり我がトレンティーノ家は他国と通じているとも言えるわけだ。
だからこそ、私達姉妹はトレンティーノ家が国を裏切らないよう人質として王都に送られる事になる。
私が王都を中心として領地の真逆のカーディアの街に配属されているのもその為だね。トレンティーノ家が何かを企んだ場合に私達を人質として確保できるように。」
手をテーブルの前に置いて組む。
「……私はね、貴族として生まれたけれど『貴族の娘』という道具として生きたくはなかった。
そしてその運命から逃れる事を願っても、その願いが叶わないと知っている。」
そこまで話すと私の目は自然と閉じていた。
でも、目は開きテオを見据える。
「でも、私はその運命を変えられるかもしれない手段を見つけた。
トレンティーノ家が何をしようと、私がマイラとして生きられるかもしれない一筋の道を。」
「……トレンティーノ家は国に逆らうつもりなの?」
「いいえ。違うわ。テオ。そんなつもりはない。
現に我がトレンティーノ家の忠誠は、我が国アルスターにある。私だってそう。
両親も私が王都ライトリムの貴族に嫁ぐ事を心から願っていたの。
私。私個人。マイラとしての望みなのよ。道具ではなく一人の人間として生きたいの。」
そこまで言い終えると、腹の底からの息が漏れ出す。
一息を吐き終り、手元にあったお茶を一口だけ飲む。
「……これが私の目的と言えるかもしれないわね。
今すぐどうという事は無いけれど、いざという時に私を国という呪縛……貴族という呪縛から解き放ってもらう事。
どう? 望む答えだった? 納得はいったかしら?」
そこまでの答えを聞いたテオは頭を抱えていた。
ゆっくりと抱えていた頭を上げて私を見る。
「ねぇマイラ……それって、もしその『いざ』という状況になったら、騎士団も国も貴族も敵に回して逃げるって事でしょう?」
「そうとも言えるかもね? でもできるでしょう? マコトが手伝ってくれるなら。
だからテオが必死になるのと同様。私も必死に彼を取り込む必要がある。」
その答えを聞きテオはまた頭を抱える。
ソレを見て、私はただ微笑むのだった。
呪縛から解き放ってもらう方法は他にもあるけれど、あえて今それを話す必要は無いのだから。
頭を抱えるテオに気づかれない内に口を開く。
「あぁ、そうそう。
とりあえず私の目的が分かってもらえたのであれば、これから協力していけそうだと思うんだけれど……それに当たって問題になりそうな事を耳に挟んだから伝えておくよ。
フリーシアの元雇い主の貴族が、フリーシアの行方を捜しているらしいよ。そして私の所に出入りしている事はバレている。
銀流亭に居る事もバレているだろうから、なにかフリーシア絡みで問題が起きるのも時間の問題だと思う。」
全員の視線がフリーシアへと向けられる。
フリーシアは小さく溜め息を吐く。
「あぁ……あの旦那様ならありえますね。
なんせ私の初物に随分とご執心でいらっしゃいましたから。」
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「むぅ…………違う。」
クッションを二つ並べ、その間に置いていた二の腕を上げる。
次に枕を二つ並べていた間へと二の腕を移し、目を閉じて数回枕に埋めるように動かす。
「ん~~~……違う。」
マコトのテオのオッパイ再現実験はまだ始まったばかりだった。




