38 銀流亭の外
「マコト様!」
部屋のドアを開けると、まるで花が咲いたように眩しい笑顔を向けてくるフリーシアさんが居た。
綺麗で可憐。一目見てすぐに可愛いと感じる顔立ち。そんな子が笑顔を向けてくれると、それだけで好意を寄せてしまいそうになる。
ただ、その笑顔が自分の外見に向けられているのだと思ってしまうと、自分から好意を向ける事も、相手から好意を向けられる事も辛くなる。
「 」
そんな葛藤の中で何とか声を返すと、一瞬だけピクリと何か反応したように見えた。だけれど、すぐにゆっくりとスカートの裾を上げて会釈をするフリーシアさん。
顔を上げるとさっきとは違う仕事をする人の顔になっているのが分かった。
「本日は朝のお世話をする事が出来ずに申し訳ございませんでした。
これからは時間の許す限り、なんでも私にお言いつけくださいませ。」
「 」
「さて、まずはご判断を頂きたいのですが、皆さんが下にいらっしゃっておりますが、いかが致しましょうか?」
「 」
フリーシアさんと、微妙に距離を保ちながら自動昇降機でエントランスへ降りると、イケメン殿と金髪ふわふわさん。そしてアリサさんの姿があった。今日はポニーテールで服装も女人女人している感じではなく動きやすさを重視している感じの服。
よく見れば金髪ふわふわさんも、似た様な感じになっている。
「やぁ、マコト殿。宿はどうだった? 眠れたかな?」
「 」
「こんにちは。マコトくん。
なんだか元気が無いような感じもするけれど……大丈夫?」
「 …… 」
「もしかしてあまり休めなかった?
まぁ、急な環境の変化な上に色々あったものね。
でもきっと今日はぐっすり眠れるようになるわよ。」
アドバイスをもらい、御礼の代わりに口元に、にへらっと笑顔を作って会釈を返す。
金髪ふわふわさんは中々に鋭い人だ。
「ほら、アリサ。」
金髪ふわふわさんの肘に急かされ、戸惑ったような表情のアリサさんが前に出てくる。
やっぱり綺麗な人で、その顔を見ていると『好き』と思ってしまう。
チラリ、チラリと下に向いていたアリサさんの目が何度となく自分を捉える。
「その……昨日は、酷い事をして……ごめんなさい。」
「いえ! とんでもないです! 有難うございました!」
つい腰を折って礼をしてしまう。
本当は『こちらこそすみませんでした』というつもりだったのだけれど、なぜかこの人とキスしたんだという思いが言葉を上回ってしまい勝手に口から出ていた。
「マコトくん……ふふっ、それは一体なんのお礼なの? ふふっ。」
口元に手を当てて笑う金髪ふわふわさんの声に恥ずかしくなり、慌てて手を振りながら答える。
「い、いえ! あの、これは、その! あの! キス……じゃなくて! その! 昨日叱ってくれた事に対してといいますか――」
「ふふふっ、いいのよ。ゴメンなさいね茶化してしまって。
……良かったわねアリサ。マコトくんは全然怒ってなさそうよ。」
恥ずかしそうに顔を下に逸らしていたアリサさんが、その顔を上げ、一度大きく深呼吸をして、しっかりと見据えてきた。
「とりあえず……あんなことはもう二度としないわ。本当にごめんなさい。」
内心で『えぇ……もっとしてくれてもいいのに……』と心の底から思う。
だけれどそれを言葉に出すことはできなかった。
どうしていいのか戸惑っていると、金髪ふわふわさんが。一つ手を打った。
「じゃあ、昨日の件はこれで後腐れなしって事でいいかしら?」
そう言って自分とアリサさんの顔をキョロキョロと交互に見る金髪ふわふわさん。
「ええ。私は。もちろん。」
「あ、はい……大丈夫です。」
正直に『後腐れたい』なんて言えるはずもなかった。
社交辞令的に返す。
「良かった。それじゃあいい時間だし、お昼にしましょう。」
「そうだね。じゃあマコト殿。昨日の部屋ではなんだから今日はテラスでの昼食はどうかな?」
イケメン殿の声に上乗せするように金髪ふわふわさんが声を被せてくる。
「それなんだけれどマコトくん。良かったら今日のお昼は私の行きつけの店に行ってみない?
味は銀流亭には敵わないけど、それなりに満足はできると思うんだ。」
イケメン殿がすぐに顔を伺ってきた。
こっちとしては昨日出るに出られなかった外に出れる。しかも外の店を知れるというメリットは大きい。
それに高級店ではない店の料理がどんなものかも気になる。
皆の反応を気にする間もなく口が勝手に開いていた。
「あ、はい。行ってみたいです。」
「そう! 実は席を取って置いてもらってあるの! 良かった~!」
「じゃあ今日は他の店で食事というワケだね……ちなみに店は教えてもらえるのかな? テオ殿。」
テオさんって言うんだ!
金髪ふわふわさんの名前を覚えた。
「『酒好きの子熊亭』よ。知っている?」
「あぁ……あそこね。ハンターの人達がよく利用している店だろう?」
「えぇ。ホイストさんにお世話になった人は多いから……マコトくんにも紹介しておきたくて。それじゃあ行きましょう。」
先導するテオさんの後を追って銀流亭の敷地から足を踏み出す。
人数が多いからか、それとも銀流亭で色々な人と会ったり話したりしたせいか、昨日感じた街の怖さは大分和らいでいた。
--*--*--
「おう! よく来たな小娘! あんまり遅ぇから、もう席埋めちまおうかと思ったぜ。」
「ふふっ、取っておいてくれて有難うホイストさん。」
「なんだ? 気持ちワリィなぁ! いちいち名前なんかで呼ぶなよ。俺のことなんか『おやっさん』でいいんだよ。『おやっさん』で。」
和らいだと思ったのは気のせいだった。
賑やかなお店に足を踏み入れたとかと思えば、必要最低限の愛想しかもっていない女店員さんに6人掛けのテーブルに案内され、テオさんとアリサさんが向かいに、そして自分の両隣にイケメン殿とフリーシアさんが座る形になり、どうしたものかわたわたしていると、あれよあれよという間に両手に大皿を2つ持ってきた筋肉モリモリのハゲが現れた。
正直怖い。
ハゲが乱暴にテーブルに皿をドンと音を鳴らして置く。
「オラ。今日は肉と野菜の煮込みと茹でイモだ。残すなよ。
しっかしなんだ? 新顔が結構いるなぁ? 紹介しておきたいって言ってたヤツはどいつだ? 全員じゃねぇんだろ?」
「えぇ、彼よ。マコトくん。」
テオさんが指を自分に向けると同時に、筋肉ハゲさんの目がギョロっと向いた。
ハゲで髭で、長身の上に筋肉モリモリの人に睨まれると、つい固まってしまう。
「ちょっと……彼が怯えるからあんまり怖がらせないで。」
「あぁ? 怖がらせてるつもりぁねぇよ。オイ坊主!」
「は、ひゃい!」
「おめぇなに顔に巻いてんだ!? そんなんで前見えんのか!?」
「あ、あ――」
「大丈夫よ。問題ないわ。」
「そうかよ……まぁわかんねぇが、この小娘がつれてくるってこたぁ、お前もハンターになろうとしてるんだろう?
あれだぞ。ハンターは身体が資本だ。モリモリ食え! で、よく寝ろ! で、よく寝たら働け! 働いて稼いだらメシを食いに来い。 いいな?」
「は、ひゃい!」
「あともし食い詰めたらここに来い、小娘の紹介だ。働いてメシ代を返したくなる程度には食わせてやる!」
「あ、ひゃい! 有難うございます!」
「おう! じゃあな。」
「ふふっ、ありがと。」
テオさんがお礼を言って手を伸ばし、ホイストさんの手の平に何かを置いた。
チャリっと音がしたから渡したのがお金なんだと気づけた。
受け取ってすぐにドスドスと調理場の方へと歩き出すホイストさん。帰りながらも他テーブルの人達と一言二言交わしている。
客の人達との仲がとても良さそうに見えた。
「面白い人でしょう? あの人も元々は腕のいいハンターだったのよ。
でも料理を人に食べさせる事が面白くなって料理人になっちゃったの。」
「へ、へぇ……」
「彼を紹介したのはね、もしどうしようもなく困った時の為の命綱だと思って。
さっきの言葉でもちょっとわかったとは思うけれど、見た目はアレだけどとても人情に厚い人だから、もし食べるのに困った知り合いがいたら簡単に見捨てたりしないわ。
そしてそんな人だから色んな人に慕われて、周りに良い人が集まっているの。
人が集まるところは知恵も集まるから、彼に相談すれば解決の糸口が見える事もあるわ……ただ、彼の声は大きいから内緒話はなかなか難しいけれどね。ふふっ。」
「はぁ。ありがとうございます……」
「後、もう一つここに来た大事な理由があるわよね。ね? アリサ。」
テオさんの言葉に隣のアリサさんに目を向けると、席から立って大皿から煮込みを掬って木皿に取り分けていた。
煮込みを盛った木皿を配りながら口を開く。
「単純にここの煮込みは美味しい。私もテオも大好きなの。」
そう言っておどけたように口角を上げた。
アリサさんの笑顔を見れて、何となく楽しい気分になるのだった。
盛った皿を配りながら言葉を続ける。
「さぁ、食べてみて。
銀流亭とはまた違った味わいだから。」
そう言いながら煮込みを盛った木皿をイケメン殿とフリーシアさんに渡していくアリサさん。
イケメン殿は笑顔で礼を言って受け取り、フリーシアさんは目を閉じて会釈して受け取った。
自分の目の前の煮込みに注目する。アリサさんもテオさんも好きな料理となれば、しっかり味わわないわけにはいかない。
木のスプーンを木皿に差し込んで具をつつくと、木のスプーンよりも大きいゴロっとした肉や野菜が湯気を上げる。
長時間煮込まれているのか、ほぼほぼ茶色に染まった具。まずは肉を食べてみることにした。
肉を掬い上げて口に運ぶと、ほろほろと崩れる程の柔らかさ。だけれど筋の部分かクニっと歯に程よい弾力も感じる。
なにより口に含んだ瞬間に広がる濃厚なドミグラスソースのような……いいや、むしろ日本のどて焼きのような味わい。
魂が刺激されるような気がした。
「これ、うっめぇ~……」
お上品な味わいとは違う大衆的な美味しさ。
思わず肘をついて頭を抱えた状態になりつつ自然と漏れ出る賞賛。
すぐに気を取り直して濃厚な口の中に茹でたイモを放り込むと、これ以上ないマリアージュ。世界最高のカップリングがここにあった。
「んん~……しあわせぇ~……」
しみじみ思う。
美味しい物を食べてこその人生なのだと。
「マコト様はこういった料理がお好みですか?」
「あ、え、あ……はい。」
フリーシアさんの声に急に現実に戻る。
正直隣で近いとドキドキする。緊張する。
自分の顔だけが好きなのだと分かっていても、それでもやっぱり意識せずにはいられない。
「私は庶民の出ですので、こういった料理は馴染みが深くあります。
もしマコト様がお望みでしたら銀流亭でも準備致しますので、いつでもお声掛けください。」
う~ん。食の女神様、ここに健在。好き。
「あ、有難うございます。」
「へぇ。フリーシアは料理もできるのかい?」
「披露する程の腕はございませんが、マコト様の為とあれば頑張りたいと思っています。」
ニコっと微笑まれてキュンと来た。
自分の顔に向けられていると分かっていても、胸がときめきを感じてしまう。誰か助けて。
「アリサの料理も美味しいのよ? 昔は私が外に出ている間に食事を用意してくれていたからね。」
「ちょっと……最近はあまり作ってないでしょ? 止めてよ。もう」
アリサさんはお姉さん思いなんな~……
それだけで胸がキュンとする。
口は美味しくて幸せ。幸せだけれど胸は切ない。
しあわせつない。
どうしたらいいのか分からなくなって、鼻から息が少し勢いをつけて漏れだす。
「どうかしたかい? マコト殿。」
「あ……いいえ。すみません。
美味しい物を食べれて、その上、沢山の気も使って頂いて、なんだか申し訳ないなと思ってしまって……」
「そんな……マコト様……」
そ、っと膝の上にフリーシアさんの両手が乗ってくる。
瞬間的にゾワっとした背徳的な感覚に支配される。
「私はマコト様にお仕えできる事が何よりの幸せなのです……お気になさらないでください。もっと私にご奉仕させてくださいませ。マコト様……」
甘えるような、ねだるような声にゾワゾワっと自分の中での何かが動いた。
具体的に言えば下半身が反応しそうだった。
「あ、ああ、あ、有難うございます! ま、また何かあったらお願いします。」
急いで膝に置かれた手を両手で戻して、目の前の食べ物に集中する。
もちろん手を戻す時に両手に触れた事で『おててやわあかい』という意識もかなり大きい。
だけれど頑張ってその意識を無視して煮込みを食べる。
「私、マコトくんの気持ちわかるわ……多分だけれど漠然とでも『何かしたい』ような気持ちよね?
これまで休みなく動いていたのに、突然贅沢していい状況になっても、なかなか心も体も納得しないものね。」
「あ。そうかもしれないです。はい。」
テオさんはニッコリと微笑む。
「あら。そうだわ。
だったら……もし良かったらだけど、私とアリサのハンターの仕事を手伝ってくれない? マコトくんが手伝ってくれたら大分私達の負担が少なくなって助かるんだけど――」
「ちょっといいかなテオ殿。
……マコト殿は、この冬を楽しく街で過ごす為にここに居るんだよ? また春になれば否が応にも働かなくちゃいけなくなるかもしれないんだから、今は、休める時には休んでおく方が良いんじゃないかな?」
イケメン殿が持っていた木のスプーンを木皿に置いて続ける。
「それにマコト殿はまだ街の事も明るくない。
私達だって文字を読めるくらいしかマコト殿の事を理解していないというのに、ハンターの仕事を手伝うだなんて、あまりに無茶が過ぎると思うよ。私は。」
「そうですわ。テオ様。マコト様はあくまでも溜まった日々の疲れを癒しにいらっしゃっているのです。まずは宿に慣れて頂くことから始めませんと。」
「休みは大事よ。でも休みすぎて勘が鈍るわ。勘が鈍ればこれまで磨いた能力まで痩せてしまう。それはとてももったいない事じゃない?」
突然始まった柔らかいながらも芯がつまったような言葉の応酬に首が右往左往する。
まだまだ続きそうな雰囲気の中、アリサさんがじっとこっちを見ていることに気づき、目が合うと口を開いた。
「ねぇ……周りがどうこう言うよりも、本人の意思が一番重要でしょう? 折角ここにご本人様が居るのだからアレコレ言う前に聞いてみる方が早いでしょうに。」
アリサさんの言葉で一気に自分に注目が集まる。
集中されると自然と背筋が伸びていく。
「あ……あの……」
皆が言葉を見守っている。
「あの……その……
『ハンターの仕事』って……なんなんですか?」




