34 自覚
ソファーにうつ伏せになり、顔を埋める。
もちろん顔を埋めている場所は、フリーシアのお尻が乗っていた所だ。
かれこれ、もう20分はこうしている。
「はぁ……」
顔を埋めたまま溜息をもらす。
胸が苦しいのだ。
顔をソファーに埋めていることから、息がし難いこともあるだろう。だけれども、それ以上にキスをされた時の事を思い出して胸が締め付けられている。
すぐに思い出すのはフリーシアの顔。
なんといっても、キスをされた後にニコリと微笑んだその表情は天使のように思えた。
さらにその後、何度も何度も唇をせがむように迫られた印象は強い。
それになんといっても、今顔を埋めているのはフリーシアのお尻の乗っていた場所だ。
「ん?」
ふと冷静になる。
ここは宿であり、宿の部屋のソファー。
つまり多種多様な宿泊客の尻がこのソファーの上に乗ってきたのだ。
その事実に気づき、顔を横にずらして脱出する。
だがそれでもやはり、最後に乗っていたお尻はフリーシアのお尻だからそれで良いと心が叫び、引き離すには至らない。
「んんんん……」
埋めようか、埋めまいか。
そう思い悩んでいると、ふとアリサの事も思い出す。
突然キスされてヌロヌロと舌が絡んだあの感触は、忘れがたい。
舌がまるで別の生き物のように感じられ、息づかいや温度、人のぬくもりが感じられたのだ。
自然と自分の唇に手が触れる。
「なんなんでござろうなぁ……」
心が戸惑っていた。
キスをされた事で熱病に浮かれるような気持ちが生まれたと同時に、それを『何故?』と疑わしく思う心も生まれていた。
なぜならマコトにしてみれば日本に居た頃は、こんな風に女の人に迫られるような事は無かったし、性格も変わっていない。
それが出会ってまだ2回目のアリサと、初めて会ったフリーシアに唇を奪われたのだから、逆に冷静に原因を考え始めても仕方ないこと。
「好かれているんでござるかなぁ……」
フリーシアの態度を見れば、そう思えないでもなかった。
逆にアリサについては、そうは思えない。
「フリーシア……さん……」
メイドの恰好をしていて、YESロリータNOタッチなお年頃の、将来有望そうな初めて会った少女。
考えてみれば初めて会った瞬間から、触れる程に近づいてきたりと好意があったような気がする。
その理由を考えてみると、すぐに思い当たる。
「拙者……どうやらお金持ちらしいですからなぁ……」
地竜の鱗一つでも豪遊できてしまう事を知った今、数えるのも面倒になるほどに鱗を貯えている自分は、どれほどのお金持ちなのだろうかは見当がつく。
それに鱗が無くなっても、また地竜を狩ればいいだけのこと。1日もあればできてしまうだろう。
その事実に気づくと溜息が漏れる。
「……やっぱりお金目的でござるかなぁ……」
ストンと胸に落ちるものがあった。
やはり自分程度の人間に対して好意を寄せる理由としては、それ以外に考えようもない。
おおよそ利益を見越しての好意なのだろう。
「はぁ……」
納得はできても、心は別だった。
やはり悲しかった。
自分がフリーシアの事を好きだと思っているからこそ、『自分を』好きで居て欲しかった。
匂いを嗅ぐでもなくソファーに顔を埋める。
ただ隠れたかった。
しばらく落ち込みながら、これまでの事を振り返っていると、また気になる事が出てきた。
「そういえば顔を見た後も……すごく様子がおかしかったでござるよな……」
顔をソファーから起こし化粧室に目をやる。
化粧室には鏡が備え付けられていたからだ。
自分自身がどれほど恐ろしい目をしているのかを知っておくべきではないだろうかという思いが生まれていたのだ。
真実を知る事がどれだけ怖かろうが、それでもやはり自分はこの顔と付き合っていくしかないのだから、知らないままの方がもっと怖い。
「はぁ……」
歯医者に行きたくない子供のように、行かなくちゃいけない。けれど行きたくない。という気持ちから、またソファーに顔を埋める。
だけれどフリーシアに『絶対に私以外に見せてはなりません』と言われたことを思い出す。
フリーシアは見ているのだ。見て怖い思いをしたのに、自分だけ逃げるのは卑怯だ。卑怯ものだ。
フリーシアの言葉に後押しされるように顔を見る事を決意する。
「ふん!」
腕立ての要領で体を勢いよく起こし、化粧室へと向かう。
ドアを開けると、そこには小さな鏡があり自分の顔を映している。
その顔はまだ布に覆われたままだ。
自分自身のことながらも手に汗が浮かぶ程に緊張してしまう。
「はぁ……確認するだけ……ちらっと確認するだけでござる……ちらっと。」
ふー。っと口から細く息を吐きながら、手を握ったり開いたりを繰り返す。
ざわつく気持ちが行動に現れてしまっている。
それに気付き、手を横に広げて一度大きく深呼吸をする。
「ええい!」
顔を覆う布を外し、大きく鼻から息を吐く。
まだ目は閉じたままだ。
「……さぁ……覚悟を決めるでござるよ自分! はぁああ!」
気を溜めるように構えて気合を入れる。
「いざっ!」
目は開かれた。
--*--*--
「あひゃぁああんあぁあぁあん……くんくんくんくんくん……はぁぁん! くんくんくん……」
白い服を両手でくしゃくしゃと圧縮したかと思えば、それを顔に押し付ける。
しばらくそのままでいたかと思えば、ゆっくりと恍惚とした表情でそれから顔を剥がして広げ、またくしゃくしゃと圧縮して匂いを嗅ぐ。
「………………うわぁ。」
ここまでの痴態を惜しげもなく晒す人間を見たことが無かった。
圧倒されると同時に、なぜそこまで曝け出せるのか興味も沸く。
「はっ!? これに水を浸して絞れば、マコト様汁ができるのではっ!? なんということ!」
まるで自分自身が天才である事に気づいたかのような反応をみせる少女。その様子は今すぐにでも行動しそうに思え流石に怖気が走った。
「ちょ、それ……は、マコト殿は自分で綺麗にしていたから、流石に無理じゃないかな? 綺麗に洗っていたもの。うん。」
「ちぃっ! ……となるとやはり……自分で手に入れるしか……ない……」
親指を噛んで虚空を睨む少女。
気が付けば、なんとか制しようと両手の平を少女へと向けていた。
「ね、ねぇフリーシア……その、世話係という立場を利用するのはいいけれど……なんというか、マコト殿が知った時にドン引きするような行動は……当面は避けた方がいいんじゃないかな? な? 君が一番怖いのはマコト殿に嫌われる事でしょう? ね?」
少女は言葉を受けとり即座に苦虫を噛み潰したような表情に変わる。
「ん……んん………んぅっ!」
苦い表情のまま、握り拳を作って自分の腿を打った。
納得できない事を無理矢理納得させようとしたのか、行き場のない気持ちを昇華させたのだろう。
「……仕方……ありません………堪えます。」
「えぇ……そこまで?」
自分の眉尻が下がって情けない顔をしているだろうことは分かる。
だけれども流石にこの状況で感情を隠しきるのは難しかった。
そして何が彼女をそこまでさせるのかという事実を確かめないわけにはいかない気持ちは強くなる。
「……フリーシア。君がマコト殿を好きな事は十分に分かったけれど、何が君をそこまでさせるんだい?
私が知りうる限り、君は彼を一目見た程度のはず。彼の事をよく知らないだろう?」
そう問うた私に対し、フリーシアはさも見下すような視線を向けてきた。
その視線は明らかに物乞いでも見ているような、家畜でも見ているような、そんな視線だった。
年端もいかない少女にそんな視線を向けられて、ちょっと嬉しくなる。
「マイラ様。マイラ様にしては愚問ですわね。
私がマコト様を愛している。事実はそれだけです。
理由などどうでも良いではありませんか。人が人を愛する事に理由が必要なのですか?」
やはり見下されている。
うん。美少女に見下されるのはやっぱり……いいね!
自然と笑顔になりながら、謎解きを続ける。
「確かに愛に理由は無くても、それだけで美しい。
だけれど人の心が動くには、動くにたる理由があるものだろう?
特に君の場合は普通では考えられない程の動きを見せている。
そしてその原因であるマコト殿も普通ではないから、どの普通ではない部分に突き動かされたのか、その理由に興味を持つのも当然だろう?
君の様子から、彼の『財力』が目的とか、そんなつまらない事が理由とは思えないからね。」
「財など……くだらないにも程があります――」
そこまで言って、フリーシアは突如口を噤んだ。
そして腕を組んで何かを考えだし、すぐに笑顔を作り口を開いた。
「ねぇマイラ様。理由をお伝えするに当たり、一つお約束願いたい事がございますが申し上げても宜しいでしょうか?」
「約束の内容にもよるね。どんな内容だい?」
「マコト様はお顔を隠してらっしゃいます。
そのお顔を隠し通して頂きたいのです。あの女達を筆頭に、もちろん貴方様も含めて。
これはマコト様も望んでいらっしゃる事ですから問題は無いはずでしょう?」
既に答えを言っているような物だった。
つい笑いが漏れる。
「約束は出来ないね。でもマコト殿がそう望むのであれば応えるよう努力しよう。
……そこまでの美形なのかい? マコト殿は?」
鼻で笑った私に対して真剣な顔を返すフリーシア。
「笑いごとではないのですよ。マイラ様。
……マコト様のお顔を拝見すれば皆が私のように恋い焦がれ、愛にその身を燃やすことでしょう。
そうなれば、いかにマイラ様と言えど止められますか?」
真剣な表情と言葉に、うすら寒い物を覚えた。
確かにテオやアリサ、それに宿を利用する貴族が居たとして、それがフリーシアのようになったらと考えるだけで身体の芯が急激に冷える。
「このお願いは、私達双方の利益を思ってのお願いなのです。
マイラ様とて私のようにならないとは言えないのですよ?
マコト様のお顔を知るのは……私だけで良いのです。」
「……善処しよう。」
いつの間にか私は固唾を飲んでいた。
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トゥンク――
「……えっ? これが……拙者?」
また一人、胸がときめいている者がいた。




