33 それぞれの動き
自動昇降機を使って部屋に戻り、キーホルダーのついた平石を近づけてドアを開く。
部屋に入ってすぐに窓に駆けより外を眺め影を探してしまう。
だけれど目に入るのは街並み。人の影は家屋や庭の木に遮られる。
「はぁ……」
自然とため息が漏れる。
こんなとこにいるはずもないのに目は自然とアリサとフリーシアの姿を探していた。
際限なく探してしまいそうで、目を閉じて顔を振って意識を切り離し、探すのを切り上げる。
完全に探すのを止める為に、窓から目を逸らそうと後ろを向くとソファーが目に入った。
「そういえば……あそこにフリーシアさんが……」
倒れそうになったフリーシアを支えて寝かせていたソファーだ。
あのソファーにフリーシアは確かに横になっていた。
それに気付いた時には足は既にソファーに向けて動き出していた。
「……」
無言でフリーシアが横になっていた箇所に顔をうずめ臭いを嗅ぐ。
「……ふぁあ。」
嗅ぐ。嗅ぐ。
そしてソファーを抱きしめんばかりに顔をなすりつける。
「むぉおお!」
赤茶色の髪の毛を発見した。
その長さと色から、サイドアップの髪型にしているフリーシアの物と見て間違いなかった。
「お、お、お、お宝やぁ~!」
両手の指でつまんで神々しく一本の髪の毛を拾いあげ、そしてゆっくりと鼻に近づけて深呼吸をする。
微かなフリーシアの香りに、まるでそこにフリーシアが居るような気にさえなった。
「ふぉおおお!!」
吸って、吸って、吸う。
堪えきれずに口に含み味わう。そしてまるでさやえんどうのスジを引っ張りだすように指でゆっくりと引っ張りだし、再度蕎麦をすする様に吸い込み舌の上で転がしてテイスティングする。
味わっている。
味わい尽くすつもりなのだ。
まるでフリーシアを舌で弄んでいるかのような錯覚に陥り、ボルテージは最高潮!
「……あれ?」
ふと冷静になった。
口の中から、フリーシアの髪の毛をすーっと引っ張りだし。
涎にまみれた髪の毛を眺める。
「うわ、拙者気持ち悪ぅっ!」
自分の中の第三者が冷静な判断を下し、背筋がぞわっと粟立つ。
明らかに変態の所業を無意識にしてしまっていたのだから『自分はまともな人間だ』と思っていたからこそ、そのショックは大きい。
自己嫌悪と反省の渦に苛まれながら、持っていた髪の毛を大事にポケットに締まった。
--*--*--
マコトが変態と人の間を行き来している頃。
テオとマイラが其々に脇に荷物を抱えながら別れの挨拶を交わしていた。
もちろんテオが抱える荷物は眠っているアリサであり、マイラが抱える荷物は今更ながら興奮に飲み込まれ思考放棄し恍惚の波に飲まれているフリーシアだ。
「なんだかどっと疲れたけれど……とりあえず今日は私達は保護者として、きちんと教育しなければならないと思う。」
「えぇそうね……流石に私も叱っておくわ。
酒に酔って醜態をさらすなんて、いくらなんでも恥ずかしい事だわ。貴方にも謝罪しておくわ。ゴメンなさいマイラ。」
「いや。こちらも成り行きとは言え保護者のような形になっているフリーシアが、アリサに触発されたとは言えど、あまりに感情的すぎるのは悪かったと思う。言い聞かせておくよ。」
「お互い面倒な役割ね。」
「本当に。」
力なく笑い合う二人。
「まぁ、苦労する者同士はせめて協力していこうじゃないか。」
「えぇ。そうね。
それじゃあ明日の朝、マコトくんが朝食を食べる頃にまた銀流亭で合流する?
改めて謝罪も必要だろうし……もちろんお酒は無しで。」
「う~ん……彼は今晩、初めての街の夜になるだろう?
ゆっくり眠れるか分からないし昼頃でいいんじゃないだろうか?」
「それもそうね。じゃあまたお昼に銀流亭で。」
「あぁ。それじゃあ。」
軽く手を振りあってからマイラは貴族区画へと足を向け、テオは庶民区画へと足を向けた。
--*--*--
マイラは自室へと戻り、椅子にフリーシアを座らせる。
フリーシアはマイラの屋敷に戻ってきたことは理解しているけれど、未だ一人笑いをしだしたりと夢見心地だ。
マイラはそれを見て口角を上げる。
「フリーシア。どうやらマコト殿は君に気があるようだ。良かったね。」
「本当ですか!」
一気に現実に戻ってきたフリーシアが身を乗り出す。
そして、その声をかけた相手がマイラであった事を思いだし、目が正気を取り戻し乗り出した身体を引く。
変化に構わずマイラは言葉を続ける。
「あぁ本当だとも。
テオ殿が居た手前、仕方なく引き離しはしたがマコト殿の手は君を求めそうになっていたよ。」
フリーシアの顔は警戒から感情を表に出さないように心掛けているだろうことが分かるほどに固い。だがそれでも嬉しさは口元の動きとなって現れる。
「察しの良い君の事だから私が何を言いたいのか検討はついているかな?」
「…………そうですね。
突然押しかけ言いつけに反した私を罰するでもなく、それどころかあの女達との話し合いの時に庇い、そして庇うだけでなくマコト様の世話係として後押しをしてくださいましたものね。マイラ様は。
とりあえず私をどのような位置に置きたいか……分からない程に鈍い者はいないでしょう。」
「うん。私の事をマコト殿の前でトレンティーノの名で呼んだ事で、やっぱり君は賢いなと思ったよ。」
「ありがとう存じます。」
しれっとした顔で返答するフリーシア。
だけれど次の瞬間には目を細めながら口を開く。
「ただ、私はマイラ様の思う通りに動くつもりはございません。」
「ふふふ。私を貴族と理解しているのに随分はっきり言うね。どうやら君の中で私は怖い存在ではないらしい。でもそれでいい。」
笑顔を返すマイラ。
フリーシアは答えず、一度軽く顎を引く。
自分が罰されていない事からも、マイラが自分自身に価値を見出している事に気づいているからできる受け答えだ。
マイラはそんな態度にも、まったく笑顔を崩すことなく、むしろよりよい笑顔で続ける。
「分かっているよ。君が動くのは『マコト殿の為』それが第一。そしてその『マコト殿の隣にいる自分の為』が次点だ。
……だからこそ私は君を使える。
なぜなら君も私を利用する価値を理解しているからね。」
フリーシアは細めた目を閉じ口を噤む。
それはその言葉が正しい事を暗に示していた。
「大丈夫。心配しなくても私は君がマコト殿とうまくいくように援護するつもりだよ。
それに今はマコト殿の力を使おうとは思っていないし、そのつもりもない。
このことは私のように貴族でありながら騎士団に所属する人間が多くはない事からも理解できるはずだ。
フリーシアにしても私以外の貴族が絡んでくる方がよほど怖い事だろう? 私を盾として使える価値は君が思うよりはずっと大きいのだよ。」
フリーシアは息をゆっくりと吸って、そして吐いた。
それは決意を固める儀式のようにも見える。
「貴族の方と言葉で戦おうとは思っていません。
ただ私は自分の信じた道を進むだけです。」
「うん。それで良いよ。
その信じる道が私と共にあるべきと理解していればね。
大丈夫。私達はうまくやって行けるさ。」
フリーシアは再び口を噤む。
「それに君の信じる道に進む為には、アリサに勝たなければならないだろう?」
フリーシアの目がカっと開かれる。
「ふふ。マコト殿は彼女にも気があるよ。
むしろ初めて会った時からアリサに気があった分。フリーシア。君は不利なんだよ。
同じ立ち位置に立っていると思っているのなら、それは大きな間違いだ。」
口を閉じているフリーシアの歯に力が籠っているのが頬骨付近の動きで分かる。
マイラはそれを見て、ゆっくりと背もたれに体重を預けながら言葉を続ける。
「さて、ここで確認なんだけれど、私は別に君に協力をお願いしているわけじゃないんだ。現に何も言っていないだろう?
なにせ私はアリサとも良い関係を築いているからね。」
フリーシアがギュっとスカートの裾を握る。
暗に、自分に協力しないならばアリサとマコトがうまくいくように仕向け、フリーシアとの仲が進まないように邪魔をすると言っているのだ。
『自分が動くのはマコトの隣にいる為』と信じるフリーシアに最初から選択肢は無かった。
フリーシアは椅子から立ち上がって両手でスカートの裾をつまみ、軽くスカートを持ち上げる。
膝を深く曲げ、腰を折って深々とマイラに頭を下げた。
「どうぞ……宜しくお願い申し上げます。マイラ様。」
「うん。良い関係が築けそうで嬉しいよ。」
フリーシアが下げた頭を上げることは無かった。
それをみたマイラは眉を一つ動かして、そして思いついたように手を鳴らす。
「そうそう。私はマコト殿とやり取りをしてて手に入れた物があるんだ。
良かったらフリーシアと私の友好の印として君にあげるよ。」
フリーシアの顔がガバっと上がる。
その目には強い興味の色しかなかった。
「ええと……彼が森に居た頃に身に着けていた服……肌着っぽい服なんだけれどね――」
「このフリーシアになんでも言いつけくださいませマイラ様っ!」
この時、初めてマイラの口角がひくつくのだった。
--*--*--
「んにゃ………むぅ……………」
「アリサ……アリサ。」
「――んえ?」
「起きた?」
「……あれ?
えっ? ……ここ……私の部屋? 寝てたの?」
「そうよ。ねぇアリサ。貴方、何をしたか覚えてる?」
「えっ? ……あれ? ……確か銀流亭でご飯食べて……料理が美味しくて……」
「そうね。で?」
「…………ワインが美味しかった。」
「……で?」
「……え? えっ? ちょっとまって……そこで記憶が途切れているんだけど……」
ようやくテオから大きな溜息が漏れた。
その反応を見て、アリサも体を起こす。だけれど頭が重い。
「うぁ…… ……あれ? 私酔ってる?」
「そうね。酔ってるわね。
酔った貴方に教えてあげるわ。アリサ。貴方マコトくんに絡んで大変だったのよ。」
「えぇっ!? 嘘でしょうっ!?」
言葉を受けてアリサは大きく動揺し、頭の重さも忘れて向き直る。
テオは呆れ顔で続ける。
「ほんとに嘘だったら良かったわね。
飲んだくれた男達みたいに乱暴に肩を組んで汚い言葉かけて……あまつさえ熱烈なキスをしてたわよ。貴方。
まったく身内の醜態と舌まで絡めるキスを見せつけられるこっちの身にもなって頂戴。」
「…………冗談はやめてよ。テオ……」
「今の私の顔を見て冗談といえるの? 貴方に、まったく同じ言葉を返すわ。
ほんとに冗談はやめて。アリサ。」
言葉とテオの視線を受けて真実なのだと悟ると、アリサはすぐに両手で顔を覆った。
そして顔を覆って一呼吸した後、次に両手で口を覆い隠した。
「キスって……私初めてだったのに……」
「あらそう。良かったわね。
相手が有望そうな人で。」
「良くないでしょう! ファーストキスなのよ!?」
「自分からしておいて何が不満なの?
命を救ってもらった相手。ハンターとしても優秀。さらに布で隠している素顔は一目で女を惚れさせる美形って噂まである相手。
ははっ、お金払ってでもしたい相手じゃないの。」
「違うでしょ!」
「何が?」
「いや、そうじゃなくて!」
再び顔を覆うアリサ。
「……なんで私が覚えてないの。」
落ち込みを見せたアリサにテオは肩を竦める。
「なら、とりあえず頑張って思い出してみなさい。
そして自分が何をしたのかをきちんと振り返るのね。」
そう言って立ち上がるテオ。
「アリサ。過去は変わらない。
過ちにはもう手は出せないわ。
ただ、そこから学ぶことはできる。
……しっかり学びなさい。」
一言を残して部屋から出るのだった。




